護摩行でホントに願いが叶う???

 

 

阿含宗

 

◇阿含(あごん)宗とは?

 仏教系の新興(しんこう)宗教団体である阿含宗の総本山(釈迦山大菩提寺)は、京都盆地の東にあります。毎年、二檀(にだん)護摩(ごま)という日本最大級の護摩檀が派手に組まれ、山伏(やまぶし)姿の修行者が焚(た)く護摩木が三千万本以上。大量の白煙を上げながら上る炎は高さ二十メートルにも達し、そこに参拝者は手を合わせ拝むことになります。これが宣伝で、よく目にする「阿含の星まつり」です。

 阿含宗という名称だけを聞くと、歴史ある既成仏教と思いがちですが、その実は桐山靖雄という人物が、「観音慈恵会」という宗教団体を経て、昭和53年に設立した、れっきとした新興宗教なのです。

 

◇コロコロ変わる阿含宗の「仏」

 阿含宗教団のホームページには

 「仏教における信仰は、『仏』『法』『僧』の三大要素によって成り立ちます。仏教教団は、この三つの要素が正しいものであると同時に、すべてそろっていなければなりません。つまり、正しい教団か否かは、それによって決定するわけです」

と書かれています。

 しかし、阿含宗では、自宗の教義に正統な「三宝」が調ってはいないことを、以下にご説明します。

 

 まず、阿含宗で説く「仏」とは現在、「真身(しんじん)舎利(しゃり)」と呼ぶものを本尊として拝んでいます。しかし、この本尊に至るまでには、何度も何度もコロコロと本尊が入れ替わってきたという事実を、阿含宗の信徒の皆さんはご存知でしょうか。

 まず新興宗教・阿含宗の前身であり、昭和二十九年に設立された「観音慈恵会」時代は、「準胝(じゅんてい)観世音(かんぜおん)」というものが、彼等の本尊でした。その後、阿含宗を設立したあとも、しばらくの間は「準胝観世音」を本尊として拝んでいましたが、昭和54年になると、「大柴燈(だいさいとう)護摩供(ごまく)」という法要の最中、火焔(かえん)の中に突如として姿を現わしたから、これ以降、本尊とするといって、急遽、「大日如来・釈迦如来・準胝如来」を新しい本尊に変更したのです。

 昭和61年、スリランカの国家的行事である仏舎利の分骨贈与が受取側の不都合で中止となり、たまたまその仏舎利を入手することができた阿含宗の管長・桐山氏は、釈尊の骨とされるモノを、「良いものが手に入った」として「真正(しんせい)仏舎利(真身舎利)」と称し、新しい本尊に制定したのです。

 しかし、法華経には、

 「復(また)舎利を安んずることを須(もち)いず」(大石寺版法華経 326㌻)

と説かれています。これは、釈尊自身が、仏舎利(自身の骨)を本尊として祀(まつ)ったり、拝んだりすることを厳しく誡めている言葉です。要するに、現在の阿含宗では、お釈迦様でさえ禁止したことを行なっているという事実に、信者の皆さんは気づくべきでしょう。

 

◇一貫性のない「法」

 次に阿含宗の「法」についてみてみましょう。阿含宗では「成仏法」「如意宝珠法」「求聞持聡明法」の三つを修行法として掲げています。しかし、教義の中心とされるこれらの修行法は、新宗教設立時には決まっていませんでした。

 さらに、教団設立後、年月が経つにつれて「準胝尊・因縁解脱千座行」という修行になったり、「仏舎利宝珠尊・解脱宝生行」へ変更されたりしています。

 さらにおかしいことに、阿含宗の修行法は、阿含経の教説に基づいていると言いながら、実際に法要を行なう際には真言宗の密教形式を取り入れたりと、いろんなお経や、宗教から思い思いの方式を新しく取り入れるなどして作り上げているのです。

 読む経典についても、阿含宗設立前には「準胝観音経」や「般若心経」だったものが、阿含宗設立後には「阿含経」へ変更したりと、読むお経についても、全く一貫性がありません。

 

◇欺瞞(ぎまん)に満ちた「僧」

 さらに「僧」については、教団そのものや指導者としての桐山管長のことを指しています。

 しかし、仏教で説く「仏」「法」「僧」の三宝は、その教えの基本をなすものですから、盤石で不動でなければなりません。ところが阿含宗では、本尊やお経、修行方法などが、指導者によってコロコロ変更されることから、指導者の考えや信仰が、定まったものではないことは一目瞭然です。このように、自身の信仰自体、揺れ動く人が、尊崇の対象となるべき「僧宝」ではないことは明かです。

 

 

 

◇仏教を必死で装う阿含宗

 このように阿含宗では、「自分たちは由緒ある仏教である」と装おうとして、仏教古来の伝統教義の一つである「三宝」を持ち出したり、著作において「釈尊に帰れ」と叫んでみたりしています。あるいは

 

「釈尊が、成仏するための修行法を、阿含経という経典のみに記されているということは、ずうっと後世に至るまで、誰も知らなかったことである(阿含宗という新興宗教団体が出現するまで、誰も知らなかったのである)(趣意)」(人は輪廻転生するか 233㌻)

という、何ら根拠のない主張をまことしやかに言っているのは許せません。しかも

 「法華経には成仏のための修行法が示されていないという欠陥がある(趣意)」と真っ向から法華経を否定する始末です。

 しかし、法華経の開経である『無量義経』には「四十余年 未顕真実」とあり、また法華経自体にも「法華最第一」と説かれるように、釈尊の本意は法華経説示にあることは明かです。にもかかわらず、阿含宗では法華経を真っ向から否定しるのであり、こうした姿勢からは、「自分たちの教えに不都合と判断すれば、釈尊さえ否定する、仏教に似ていて、仏教を破壊する魔の集団」と批判されても仕方ありません。

 

◇真の教えである法華経

 日蓮大聖人は『如説修行抄』に

 「諸経は無得道堕地獄の根源、法華経独り成仏の法なり」(平成新編御書 673㌻)

と説かれています。末法の今日、法華経を受持信行すること、しかも末法の今日は、日蓮大聖人説示の文底秘沈の南無妙法蓮華経のみを信仰することによって、一切衆生の成仏は可能となります。

 時代遅れの既成仏教はもとより、阿含宗や創価学会など根無し草のような新興宗教では、成仏どころか精神修養さえままならないと知るべきです。

 

(大白法 令和2年12月16日号 6面 『諸宗教破折』記事を基に、編者が加筆等をした文章です)

 

大石寺 法祥園より富士を望む

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