世界救世教(MOA)   沿革・歴史と疑問

 

 世界救世教は、大本教の影響を強く受けた宗教で、一般には“お光さま”と呼ばれています。この教団は「浄霊」と称する「手かざし」を行なうことが特徴で、自然農法による食品販売や、静岡県熱海市に「MOA美術館」を所有することでも知られています。
 

◇沿革・歴史
 創設者である岡田茂吉は、明治15年、東京浅草に誕生しました。幼少の頃から病弱でしたが、美術的感覚には優れていたといいます。
 20歳を過ぎるころまで種々の病気を患い続けた茂吉は、闘病中医薬の効果がなかなか現われなかったことから、薬を使い過ぎるとかえって毒になるのではと考え、以来、薬に頼ることは人間本来の治癒力を弱めるという「薬毒論」を形成していきました。これが後に教団の教義として「健康法」を取り入れる元になったとされています。

 茂吉はその後装身具等を販売する問屋を経営し、一時は繁盛しましたが、すぐに大恐慌にあって破産しました。間もなく最初の妻と3人の子供まですべてを亡くしたこともあり、救いを求めて大本(おおもと)教に入信しました。
 一時は大本からも遠ざかりましたが、大正13年ころから大本の出口王仁三郎のもとで、大本教開祖・出口なおの言葉「お筆先」等の研究に没頭しはじめました。この頃茂吉は、神霊である観音が自分に宿ったとして「私の腹には光の玉がある」と、奇妙なことを言い出しました。その後も茂吉は大本教での活動を続け、大本教の「布教師」「別院長」にまでなりましたが、昭和6年に千葉県の鋸(のこぎり)山において「霊界の夜昼(よるひる)転換(てんかん)」という天の啓示を受けたとしています。

 

 茂吉は昭和9年に大本(おおもと)教を脱会。昭和10年1月に「大日本観音会」を創立しました。これは観音が茂吉の体内に宿り、その力をもととする「浄霊」によって「病気や貧困、紛争」を解決し「健康・富貴・平和」と「真・善・美」の理想世界の建設を目的とするものと説明しています。しかし当時は、宗教団体に対する弾圧が厳しかったことから、宗教活動より健康活動を表とすることになりました。
 昭和19年には本拠地を東京から箱根・熱海に移し、以来「地上天国」の建設を目指すことになりました。地上天国とは、霊界が夜昼転換したことによって、やがては現世界も明るい昼の世界へと転換し、そこに現れる天国的な美の世界のことをいいます。この具体的な姿を、箱根や熱海に創造するものとし、後に美術館の建設や美術・芸術に対する姿勢によく現われています。
 教団は戦後ただちに「日本浄霊化普及会」と名乗り、昭和22年には宗教法人「日本観音教団」として再建。同25年には分立していた「日本五六七(みろく)教会」「天国会」などの教会を統合して「宗教法人世界救世(メシア)教」となりました。このとき茂吉は、「観音の衣をかなぐり捨ててメシヤ(救世)へと衣替えをした」といっていますが、この直後、脱税と贈賄容疑で有罪判決を受けています。昭和27年には京都にも土地を取得し、熱海・箱根と合わせて三大聖地に指定しました。
 昭和30年、茂吉が死亡すると、後妻・岡田よしが第二代教主に就任しました。その直後、教団内部に対立が起こり、世界明主教、救世主教・浄霊医術普及会などの新宗教が分立していきました。
 昭和32年、岡田よしは、教団の名称を「世界救世教」と変更し、教団内の仏教的な要素を薄めて、神道式の儀礼に統一していきました。その後、三代目教主・斎(いつき・茂吉の三女)を経て、四代目教主・岡田陽一(茂吉の孫)が就任しています。
 この間にも、教団の一元化をめぐって各地の多数の教会が執行部に反発し、次々と独立して新教団を発足させていきました。それらのおもなものは、世界真光文明教団とその分派の崇教真光、救世神教、救世新教、神慈秀明会、黎明教会、救世真教、みろく神教、救いの光教団などです。これらの教団では、浄霊の「手かざし」を行なうなどの共通点が多いものの、世界救世教との関係を明確にしないものもあります。
 世界救世教は、昭和27年には箱根美術館を開館、昭和47年には華道の山月創流を創始、昭和57年には熱海にMOA美術館を開館しています。


◇教義の概要
 世界救世教は信仰の対象を「大光明(みろく)真神(おおみかみ)」としています。
 教祖・岡田茂吉は、言うことがコロコロ変わっていました。
 茂吉は「神から心霊を与えられた」とか「私の腹中には光の玉がある」などと言ったり、またあるときは「観音菩薩の力を得た」と言いながら後に「観音の衣を脱ぎ捨ててメシヤになった」などと、神道・仏教などを混在させた発言を繰り返してきたのです。そして最終的には、その著に
 「釈迦・キリスト・マホメッドの三大聖者も、神人合一ではない。ところが私は、私の言動のすべてを神様自身が自由自在に動かしているのだから、神と人との区別がなく真の神人合一である(趣旨)」
と述べたように、自分は、釈尊、キリスト、マホメッド等の三大聖者を超越した神の立場にあると称するに至ったのです。
 現在の世界救世教は、この真の神を大光明真神と称して祭神とし、これと一体化した教祖・岡田茂吉こそ、世界人類の救世主であり「明主(めいしゅ)」であるとします。そしてこの大光明真神とは、この世を創造した主神の働きのうち、特に人類を救済し、地上天国・真文明世界を創造するために現れた神であるとします。このことから教団では、病・貧・争を三大災厄とし、これらをなくして健・富・和で真・善・美を完結させた「地上天国」という理想世界の実現を目指すとしているのです。

 儀礼の実践は「浄霊」が中心となります。これは、茂吉が神から観音力を授かったとし、「腹中に光の玉がある」といい始めたことを元としています。茂吉は、相手に「光」の文字を書いた紙を畳んで懐に入れさせ、それに向かって手をかざすことにより、自分の体内の光の玉からの「光波」が供給され、救済されると説きました。
 現在では、信者の誰もが、教祖から与えられた文字など「おひかり」と称するものを身につけ、病人や相談者に対して手をかざし、「光」をなぞる動作をすれば、苦悩の原因となっている霊の曇りを浄化させ、病気・不幸・争いをなくせるとしています。浄化とは、人間の体に残留する汚物が毒素となり、霊の曇りとなることから、自然治癒能力によってこれを排除させようとするものであるといいます。教団ではこれらを総合して、「日本医術・浄霊」と称しています。


◇教えに対する疑問
▼世界救世教の教義は、教祖の腹の中に「光の玉」があるとしたり、仏教や神道、さらにはメシヤの教えを混ぜた、その場しのぎ、思いつくまま口から出たデマカセばかりで構成されており、ご都合主義の教えと言われても仕方がないものばかりです。また教祖は「神から授かった」といいながら、「神人合一」と称して、自分は釈迦・キリスト・マホメッドよりも上位で、神と同格にあるとも言っています。まさに、矛盾に満ちた内容ばかりで、支離滅裂、荒唐無稽の信仰と言っても過言ではありません。

 

▼世界救世教では、教祖に力を与えたという観音について「その本体は、天照皇大神の慈悲による救世の代現神・伊都能売大神であり、これが仏身に姿を変えてインドにわたり、観音の立場として釈迦を悟りに導いた。したがって仏教の元は観音である。この伊都能売大神は、大光明(みろく)真神(おおみかみ)の霊系である」などと、何ら脈絡のない意味不明な説明をしながら、大光明真神とつなぎ合わせようとしているのです。この説明こそ、教団で配布する「大光真神」は実体のない架空のものであることを、みずから明かしているといえます。
 また岡田茂吉を写真に撮影した際、“観音・お光・竜”などが同時に写っていたとする「霊写真」を宣伝したこともありましたが、後になって、二重写しの偽造写真であることが読売新聞(昭和25年6月1日付夕刊)に暴露され、教祖の欺瞞性が暴かれました。

 

▼「霊界の夜昼転換」により理想世界の「地上天国」が現われるといいますが、これは美術骨董の趣味・収集の欲望を満足させるため、茂吉自身の理想として創作したものに他なりません。その欲望のために奉仕し続ける信者こそ、最後に苦しい思いをすることは明らかです。

 

▼教団では「手かざし」によって、大漁や豊作になったり、故障したエンジンがなおったなどと、奇跡を売り物にしています。しかし、浄霊・手かざしを行なって、あらゆる苦悩の原因である霊の曇りを無くしたはずの世界救世教教団で、跡目争いや内紛が、次々と続くという姿を目の当たりにするにつけて、手かざしなどには、何ら効力がないことはあきらかといえます。

 

※上記文章は「諸宗破折ガイド」(大石寺発行)を基に、筆者が簡潔にまとめたものです。

 

 

毎月の行事

 

  ● 先祖供養 お経日  

      14:00/19:00

※日程変更あり・要確認

 

第 1    日曜日 

  ● 広布唱題会      

      9:00

 

第 2    日曜日 

    ● 御報恩 お講  

            14:00

 

お講前日の土曜日  

     ●お逮夜 お講   

            19:00

http://www.myotsuuji.info