大乗非仏説論について

 

 大乗非仏説論とは、大乗経典を批判する論説のことです。「小乗経典だけが釈尊の本当の説法であり、法華経などの大乗経典は仏の滅後、400~500年ほど経過したころ作り出されたものである」との偏った考え方です。
 江戸時代、国学者や神道学者らが、仏教を「他国から伝播してきたよそ者」として卑下・排斥(はいせき)し、古来の神道を復興させようとの思惑からさかんに主張しました。


◇非仏説論のおこり
 釈尊が入滅したのちの100年頃、インドのマトラ国に大天(マカダイバ)が出現し、当時広まっていた小乗思想について「小乗経は、釈尊の本意から逸脱したものである」と非難しました。「大乗非仏説論」は、実はこの時の大天による「小乗経への非難」を大乗経典と取り違えたところに始まると言われています。
 大天ののち、馬鳴(めみょう)、竜樹(りゅうじゅ)、提婆(だいば)の時代を経て、釈尊滅後800~900年頃の無著(むちゃく)・世親(せじん)の時代には、「大乗経典は仏説なのか、そうでないのか」をめぐり、小乗と大乗の対立が顕著となりました。

 

◇日本における「大乗非仏説論」
 中国では、「大乗非仏説論」はほとんど見られませんでした。しかし日本では江戸時代中期、寛永仲基(ちゅうき)による「出定後語」や服部天游(てんゆう)の「赤裸々」、国学者・平田篤胤の「出定笑語」等の書籍で「大乗非仏説論」が発表され、国学者や神道学者による仏教攻撃の原動力となりました。

 これらの「大乗非仏説論」者の言い分は、次の3点に集約されます。
 一、原始仏教(小乗)の思想が、時代を経るにしたがって、より高度な大乗思想に発展していった。
 二、小乗経典の簡単な言葉・内容が、次第に高度な意味の言葉に作り替えられて、新たに大乗経典として成立した。
 三、釈尊滅後に出現した天才(聖人)たちが、仏の霊感によって大乗経典を作り上げた。

 

 これらの「大乗非仏説論」に対して明治以降になると今度は、仏教学者の間に、歴史学・文献学によって、「大乗経典が仏説であることを証明しよう」とする動きが出てきました。
 その代表的なものに、村上専精の「仏教統一論」、前田慧雲の「大乗仏教史論」、伊藤義賢の「大乗非仏説論の批判」、姉崎正治による「法華経信仰者としての立論」などがあります。
 しかし、これらの反論はいずれも、大乗非仏説論を論破・排斥するには十分とは言えない内容でした。

 

◇大乗経典が、正しく“仏説”である理由
 一、口伝による伝承方法
 大乗非仏説論が起こる原因は、どの経典もみな、釈尊みずからが“文字”として残したものではないことにあります。
 経典には二つの成立方法があります。一つは釈尊滅後、その弟子たちが集まって編集したもの(結集・けつじゅう)。もう一つは釈尊から聞いた教えを師匠から弟子に、さらにその弟子に伝えるといった「口伝形式」によったもの。前者が小乗経典、後者が大乗経典として成立しています。
 大乗非仏説論者は、この“口伝”を疑って科学的文献学のみに頼り、仏説か否かを判定しようとしているのです。しかし当時のインドでは、暗誦や口伝による伝承が一般的な方法でした。まして不妄語戒(偽りの言葉を禁ずる戒)を厳格に守る仏弟子たちにとって、口伝による伝承は正確かつ純粋なものでなければならず、そこに自分勝手な教えを取り混ぜることなど、絶対にあり得ないことでした。


 二、小乗・大乗の区別の存在時期
 大乗非仏説論者は、「『小乗』という言葉自体、大乗側より原始仏教をさげすむ意味の用語であり、もともと“小乗”という言葉は無かった」と主張します。
 しかし、阿含経の中に「仏の境界や不可思議などのことは、小乗の知るところではない」との文や、「大乗経は遠大な菩薩たちが用いるものであるから、これらは雑蔵しておこう」という文言が見られます。このように“小乗経”である「阿含経」自体に“小乗”との言葉が見られるように、大乗小乗の区別は原始仏教時代から存在していたのです。大乗経典は「雑蔵」との言葉のとおり、小乗が説かれた後に、時到って、仏の智慧により世に出現したものといえるのです。

 

 三、小乗経典に大乗を内包
 仏の教説は、一語一語に深い意味があるため、同じ説法を聞いても機根によって(仏教の奥義を理解する度合いの違いによって)、理解する内容が異なります。ですから、機根の熟した(深い哲理を理解できる能力を持った)者は、小乗の教えを聞いただけで、そこから深く進んだ「大乗の悟り」まで到達できる者もいたのです。よって、小乗の教説のなかからであっても仏の大乗の教えとして、「私はこのように聞いた」と経典に残した部分も十分にあり得ることだったのです。

 

 四、地方・部派の多様性
 大乗非仏説論者は、「大乗経典に異本(同じ経典に、幾種類もの翻訳本がある・内容が異なる)が多いのは、大乗経典が仏説ではないからだ」と主張します。
 しかし、大乗経典に異本が多いのは、大乗思想自体が、口伝によって伝承されてきたこと、そしてその口誦が、それぞれの地方や部派の方言の違いによって多少の異なりが生じてきたためであって、異本の存在をもって「大乗経典は、多くの人による創作である証拠」にはなりません。

 

 五、教主の優劣
 大乗非仏説論者は、小乗経典に説かれる「四諦」「十二因縁」「八正道」のみが、釈尊が実際に説いた教えであるとしています。つまり、「小乗経を説いたのは釈尊という仏であるが、それより高度で難しく、広い教義が説かれる大乗経典を説いたのは仏ではない」と言っているのです。
 しかし、小乗経典とは比較にならないほどの高度な教えを説くことができる聖人が、仏以外にいるでしょうか。むしろ、その聖人こそがまた仏であり、教主の身に具わる徳、力用の違いはあっても、すべての経典は釈尊が説いたものに他ならないということになりませんか。

(これを理解するには、釈尊が悟りを開き仏となった後、教えを説く時期と教えの内容が移り変わるに従って、それぞれ劣応身、勝応身、他受用身 応仏昇進の自受用身等の仏身に変化していく仏身論を識る必要があります)。
 もし、大乗非仏説論者が「小乗経は仏説」と認めるならば、それより高度な大乗経を説いたのも、仏以外の何者でもない、ということになります。

 

◇天台大師の説
 経典の成立や発展経過は、単に歴史学文献学的に研究されれば「それでよし」という単純なものではありません。歴史上の人物の哲学書や文学作品を研究することと、仏典を研究することとは、まったくその意味が異なるのです。
 仏の教えは、過去・現在・未来の三世にわたって一切衆生を導き、救済するためのものであり、その手段・方途には人智も及ばぬ深い筋道が存します。
 さらに、何よりも仏の化導を理解する上で大切なことは、「信ずること」と「実践してみる」ことなのです。信仰心と実践力の両方が伴わなければ、経典の真意や存在理由、仏の化導の姿を理解することはできません。
 この意味において、天台大師が釈尊一代50年の経典を分類するにあたり、五時八教の判定基準を立てたことは重大な意義がありました。天台大師は法華経を中心として仏教全体の綱格を明らかにし、小乗・大乗・実経の立て分けと、従浅至深の関連性を説き明かされたのです。このことは、大乗経と小乗経がともに釈尊に説かれたことにより、初めて釈尊の一生に渡った布教が、順序立てて行なわれたことを明らかにしています。

 

◇日蓮大聖人の仏法より、「大乗非仏説論」を破す
 日蓮大聖人の仏法より「大乗非仏説論」を見るとき、次の二点から論ずることができます。
 第一点は、日蓮大聖人が末法に出現し、成仏の根源の法を建立されることは、二千三百余年を隔てた「法華経」に、すでに予証されており、実際に、その通りに大聖人が三大秘法の南無妙法蓮華経を建立されているという現実です。これは「法華経」が仏の悟りによって説き出だされた真正の経典であり、現実世界に生き、人々を実際に救済する経典であることを意味しています。
 第二点は、日蓮正宗における御本仏は日蓮大聖人であり、大聖人の御教示は御書として留め置かれ、御法門の極理である本門戒壇の大御本尊と血脈相承は、今日まで着実に継承されているということです。
 したがって、大乗経典が釈尊の説かれる説か否かという議論は他宗と異なり、日蓮正宗にとっては、直接関係のある問題ではないといえます。(そもそも日蓮大聖人の仏法においては、文上顕本を究極とする釈尊仏法の、さらに奥深く、文底に秘沈された久遠元初の南無妙法蓮華経を根源と拝するのであり、その久遠の本法から立ち返って、はじめて釈尊仏法全体の流れ、真意を知ることができるからです)

 

※上記文章は、「大白法」(387号)に掲載された『教学基礎講座』の文章に、筆者が一部手を加えたものです。

 

毎月の行事

 

  ● 先祖供養 お経日  

      14:00/19:00

※日程変更あり・要確認

 

第 1    日曜日 

  ● 広布唱題会      

      9:00

 

第 2    日曜日 

    ● 御報恩 お講  

            14:00

 

お講前日の土曜日  

     ●お逮夜 お講   

            19:00

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