日蓮本仏論                           日蓮正宗総本山第66世 日達上人御述


序 文
 宗祖本仏義は、日寛上人が祖述大成せられて余す所がないのであるが、昭和二年に、法兄福重照平師が時勢に応じ、日蓮本仏論の一書を物されて、当時宗内を稗益したのてあった。
私は今回、宗祖の
 「五義を知って仏法を弘めば日本国の国師となる可きか、乃至国師となるべき者なければ一人に於ても生死を離るる者之れなし」           (教機時国抄、全440)
の御言葉を拝して、宗祖本仏観を御書を中心とし、その外、日寛上人以前の先師の御言葉を今引用して教機時国教法流布の前後の五綱に別けて考えて見たのである。
しかして教は教相とし、後の四義を観心として章を別けて記したものである。
諸賢、宜しく私の微衷を恕せられよ。

 

総 論
 一、今番の仏出世
 三世諸仏総勘文教相廃立に云く、
 「釈迦如来、五百塵点劫の当初、凡夫にて御座せし時我が身は地水火風空なりと知しめして即座に悟を開き給いき、後に化他の為に世世、番番に出世、成道し在在、処処に八相作仏し王宮に誕生し樹下に成道して始めて仏に成る様を衆生に見知らしめ四十余年に方便教を儲け衆生を誘引す、其の後方便の諸の経教を捨てて正直の妙法蓮華経の五智の如来の種子の理を説き顕して其の中に四十二年の方便の諸経を丸かし納れて一仏乗と丸し人一の法と名く一人が上の法なり」                           (全568)
との、宗祖の聖意の如く久遠五百塵点の当初、釈迦牟尼仏、我が身、地水火風空の五智の如来と悟り、一迷先達して五智の如来の種子を妙法蓮華経と説き、時と機を得て、世世番番に妙法蓮華経を説くべき一大事の因縁の故に出世するのである。その仏、今番に出現して釈迦牟尼仏と称して一代五十年の化導を垂れたのである。
 宗祖は「一代五十年の外に仏法ある可からず」と誡られている。
 今番出世の釈迦牟尼仏は先ず妙法蓮華経を、
 「寂場にして説かんと欲するに物の機未だ宜からず其の苦に堕せん事を恐れて更に方便を施す。四十余年種々に調熟し法華の会に至つて初めて略して権を開するに動執生疑して慇懃に三請す五千起ち去って方に枝葉無し四一を点示して五仏の章を演べ上根の人に被るを名づけて法説と為し、中根は未だ解せざれば猶譬喩を●う、下根は器劣にして復た因縁を侍つ」

                             (八宗違目抄 全160)
と、二千の授記を終って弘経の功徳の深重を説き末世弘経の方軌を示し、証前起後の多宝塔涌現して分身来集し、国界を厳浄す。二仏並座して、三箇の鳳詔は下さる。遇々ニ箇の諫暁あり、二万の菩薩は此土に、五八の声聞は他土に弘経を発信し、諸尼は授記し之により一切の成仏なる。続いて三類の強敵を忍び我不愛身命、但惜無上道と誓う。深行菩薩の弘経を歎じて、更に初心の菩薩に四安楽行を説く。迹化他方弘経を請うも、許さずして迹門の大地を破って下方本眷属涌出す。弥勒騰疑致請して正しく答を請う、如来三誡し、弥勒三請し、如来又重誡すしかして広開近顕遠して断疑生信なさしめ、五百塵点劫の本仏なるを開顕す。十神力を現じて、一代の説法を四句の要法となし地涌千界に付嘱し了わり、滅後の如来修行を勧奨す。諸菩薩に三度摩頂して付嘱す。付嘱の事畢わりて分身は本土に還り、多宝は塔を閉ず、かくて今番出世の大役は終わりて涅槃の相を示す。
しかもこの説法は五仏道同と方便品に説かれているのである。
 もし今番出生の釈尊の仏身をたずぬれば、三位日順師は、
 「今日の釈尊は三蔵教の教主、次第次第に通別円と昇リて迹門十四品の中、法師品までは劣応身なり、宝塔品より他受用報身となり、寿量品にして自受用報身となり給う所説の法門は従因至果の迹門なり、本門とは云えども迹中の本の本門なり」

                           (本因妙ロ決 富士要2‐83)

の仏となるのである。
 今番出世の釈迦牟尼仏は滅後、末世法滅の時を鑑みられて一代の仏法を四句の要法に結要して、地涌千界の上首上付菩薩に付嘱して次番出世の大導師とせられたのである。
 宗祖は自ら本地自受用報身の垂迹上行菩薩の再誕、本門の大師日蓮

                              (百六箇抄 全854)

と名のられて次番出世を自覚せられているのである。

 

 二、日蓮本仏は本宗の宗是
 宗祖本仏論は他派の人々は宗祖滅後百七八十年後の説と考えているが燃らず。
実に大聖人自ら末法の仏としての御化身であられた事は開目抄の人本尊開顕を以て明らかであるが今、産湯相承に、
「日蓮は天上天下の一切衆生の主君なり父母なり師匠なり。乃至三世常恒に日蓮は今此三界の主なり」                             (聖典580)

とあり、又頼基陳伏を引けば、
 「日蓮聖人は御経にとかれてましますが如くば久成如来の御使、上行菩薩の垂迹、法華本門の行者、五五百歳の大導師にて御座候」                (全357)
と、末法の大導師と称せられている。大導師とは開目抄に、
 「大覚世尊は此一切衆生の大導師」                  (全188)
とあるごとく仏の意である。又、御義口伝に、
 「如来とは釈尊、惣じて十方三世の諸仏なり別しては本地無作の三身なり、今日蓮等の類いの意は惣じては如来とは一切衆生なり別しては日蓮の弟子檀那なり、されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり」                      (全752)
と説かれている。
 又、宗祖滅後二祖日興上人は身延において、宗祖を仏としてその御影を安置せられていたことは、清長誓状に、
 「本尊ならびに御聖人の御影のにくまれを清長が身にあつくふかくかぶるべく候」
と、あり又、原殿御返事に、
 「改心の御状をあそばして御影の御宝前に進らせさせ給えと申し候」  (聖典560)
と、あるを以て推測することが出来る。
 二祖日興上人は三時弘経次第に、
 「今日蓮房共に本化垂迹の師檀と為りて迹門を破し、本門を立てて末法を利益し、国土を治むべきこと」                           (聖典520)
と、示さるるが、この上行菩薩を五人所破抄において、
 「上行菩薩は本極法身微妙深遠にして寂光に居す」          (聖典550)
と、上行菩薩の本地を明され、そして又、同抄には、
 「日蓮聖人は忝くも上行菩薩の再誕にして本門弘通の大権也」     (聖典547)
と、宗祖の境界を示されている。大権とは、久遠の本仏が末法の衆生を教化のために大方便を用いて出現した仏の意である。このことを、百六箇抄に、
 「自受用身は本、上行日蓮は迹なり」                 (全863)
と示されているのである。
 又、日順師は本因妙ロ決に、
 「本因妙の日蓮大聖人を久遠元初の自受用身と取り定め申すべきなりと。云云」

                                 (富士要2‐83)
と、ありて明確に宗祖本仏義をあらはされている。
 三祖日目上人の御本尊には、保田妙本寺、並に柳目妙教寺所蔵の如く、中尊の南無妙法蓮華経の下に日蓮聖人と遊ばされ、宗祖の本仏たることを表わしているのである。
 四祖日道上人は御伝土代に、
 「日蓮聖人云く、本地は寂光、地涌の大士上行菩薩六万恒河沙の上首也、久遠実成釈尊の最初結縁令初発道心の第一の御弟子也。
 本門教主は久遠実成無作三身、寿命無量阿憎祗劫常住不滅、我本行菩薩道所成寿命今猶未尽復信上数の本仏也法を云えば妙法蓮華経の涌出、寿量以下の十四品本極微妙諸仏内証八万聖教の肝心一切諸仏の眼目たる南無妙法蓮華経也、弘通を申せば、後五百歳中末法一万年の導師也」                              (聖典600)

と。この導師は、
 「末法は流通が面となる」           (御本尊七箇相伝の事 聖典378)
のであるから、後五百歳中末法万年の導師は一代聖教肝心一切諸仏の眼目である南無妙法蓮華経を
 「流通分の大曼荼羅」                       (聖典378)
となし
 「流通とは末法なり」                       (聖典378)
の末法を利益する本仏即ち、宗祖大聖人御自身を称するのである。
 更に下って九世日有上人は宗祖を「仏聖人」と称し、又化儀抄に、
 「当宗の本尊の事、日蓮聖人に限り奉るべし、中略、今末法四依の人師、地涌菩薩にて在す事を思い合わすべし」                       (聖典979)
 「釈迦をば本尊には安置せざるなり、中略。釈迦の因行を本尊とするなり、其の故は我等が高祖日蓮聖人にて在すなり」                    (聖典996)
と当宗の人本尊を明示せられている。
 左京日教師は百五十箇条(文明十二年述)に、
 「只本門の教主釈尊とは日蓮聖人の御事なりと申し募るなり」   (富士要2‐182)
と、宗祖本仏を説かれている。かくて日寛上人に及び、我々末学のため宗祖本仏義を大成して教導せりれたのである。

 

 三、宗祖本仏義
 今宗祖本仏義を立つるに、教相外用の面と観心内証の面とから立論すべきである。
先ず教相外用を論ずると、顕仏未来記に、

「天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて震旦に敷揚し、叡山の一家は天台に相承し法華宗を助けて日本に弘通す、安州の日蓮は恐くは三師に相承し法華宗を助けて末法に流通す三に一を加えて三国四師と号く」                      (全509)
と、外用相承を明かし、そして忍難においては、開目抄に、
 「猶多怨嫉、況滅度後、此の言良に以有るなり、中略、在世猶をしかり(中略)像法の中には天台一人法華経、一切経をよめり(中略)像の末に伝教一人、法華経一切経を仏説のごとく読み給えり(中略)今末法の始め二百余年なり況滅度後のしるしに闘諍の序となるべきゆえに(中略)末法の始めのしるし、恐怖悪世中の金言のあふゆへに、但日蓮一人これをよめり」                                (全201)
と、三国四師の忍難を示されているが、伝教大師が叡山に円頓の大乗別授戒を建立せることを挙げて、撰時抄に、
 「内証は龍樹、天台等には戒は劣るにもや戒は同じくもやあるらん、仏法の人をすべて一法となせる事は、龍樹、天親にもこえ、南岳、天台にもすぐれて見えさせ給うなり」
                                   (全271)
と、円戒建立を以て伝教を天台に越えたりと仰せられ、次いで宗祖が末法に本門の戒壇を建立する先序であるとせられている。
 そして天台伝教を御自身と比較せられて、顕仏未来記に、
 「時代を以て果報を論すれば龍樹、天親に超過し天台、伝教にも勝るるなり」
                                   (全505)

と。又開目抄に、
 「日蓮が法華経の智解は天台、伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども難を忍び慈悲のすぐれたる事は、をそれをも、いだきぬべし」               (全202)
 報恩抄に、
 「日蓮が智のかしこきにあらず、時のしからしむる耳」         (全329)
と御自身は天台伝教に勝れ、末法出現の上行所伝の本法を弘通する仏なることを示されているのである。
 次に観心内証から論ずると観心本尊抄に、
 「釈迦多宝十方の諸仏は我が仏界なり其の跡を紹継して其の功徳を受得す、中略、我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり、中略、地涌千界の菩薩は己心の釈尊の眷属なり、上行、無辺行、浄行、安立行等は我等が己心の菩薩なり、妙楽大師云く、当に知るべし身土一念の三千なり故に成道の時此の本理に称うて一身一念法界に遍し」 

                                   (全247)
と。本門一念三千の理法の及ぶ所、惣じて一切衆生は仏なり。撰時抄に、
 「一念三千は九界即仏界、仏界即九界と談ず」              (全256)
と。御義口伝に、
 「我実とは釈尊の久遠実成道なりと云う事を説かれたり、然りと雖も当品の意は我とは法界の衆生なり十界己己を指して我と云うなり、実とは無作三身の仏なりと定めたり此れを実と云うなり」                             (全753)
 上野殿尼御前御返事に、
 「我と申すは十界なり」                      (全1506)
ともあり、故に久成の仏は南無妙法蓮華経を唱うる一切衆生であり、別しては日蓮が弟子檀那である。故に、釈尊が応仏昇進した従因至果の脱仏ならば、宗祖は、
 「久遠元初の自受用報身無作本有の妙法を直ちに唱う」   (本因妙口決 全875)
久遠の仏である。しかして三大秘法抄に、
 「此の三大秘法は二千余年の当初、地涌千界の上首として日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり、今日蓮が所行は霊鷲山の禀承に芥爾計りの相違なき色も替らぬ寿量品の事の三大事なり」                           (全1023)
と、宣説せられ末法の一切衆生成仏得道の大導師と示されているのである。

 

本 論
 第一章 教相より宗祖本仏を論ず
  第一節 上行菩薩出現
 久遠の本仏が今番釈迦牟尼仏として出世して五時の調熟を経て法華経を説き、一切衆生を成仏せしめた。
 しかるにその法華経の会座に漏れた衆生がある。即ち方便品に、
 「説此語時、会中有比丘、比丘尼、優婆塞優婆夷、五千人等、即従座起、礼仏而退、所以者何、此輩 罪根深重、及増上慢、未得謂得、未証謂証、有如此失、是以不住」
と有る如く釈尊正に真実の妙法を説かんとした時、罪根深重、及増上慢の五千の四衆は退座し、釈尊は退亦住矣とこれを制止せず。よってこの五千は釈尊の化に与らないのである。
 又、宝塔品に、

 「初変娑婆、唯留此会衆、移諸天人、置於佗土次変、八方三百那由陀 無有地獄、餓鬼、畜生、及阿修羅、又移諸天人、置於佗土重変、八方二百那由佗 無有地獄、餓鬼、畜生、及阿修羅、又移諸天人、置於佗土」
 釈尊は法華経の肝心寿量品を説かんとして先ず三仏の証明を得るを要するので、多宝塔を涌現せしめ、十方分身諸仏の来集を行なわんとし、国界を厳浄して土田を三変したのであった。その時、佗土に移された諸天人は遂に釈尊の化に与らないのである。
 本門寿量品においてすら、
 「毒気深入、失本心故、於此好 色香薬 而謂不美」
の衆生も今番の釈尊の化に与ることはなかった。
 以上の三通りの釈尊の化導からもれた衆生は、何時、誰れによって得道するを得るのであろうか。この三種の不信の人々は、唱法華題目抄に、
 「大通智勝仏法華経を説き畢らせ給いて定に入らせ給いしかば十六人の王子の沙弥其の前にしてかはるがはる法華経を講じ給いけり、其の所説を聴聞せし人、幾千万といふ事をしらず当座に悟をえし人は不退の位に入りにき、(第一類)、又、法華経をおろかに心得る結縁の衆もあり其の人々、当座中間に不退の位に入らずして、三千塵点劫をへたり、其の間又つぶさに六道四生に輪廻し今日釈迦如来の法華経を説き給うに不退の位に入る所謂舎利仏、目連、迦葉、阿難等是なり、(第二類)猶猶信心薄き者は当時も覚らずして未来無数劫を経べきか(第三類)」                            (全2)

とある如く、「当時も覚らずして未来無数劫を経べき」者のことである。
 しかしてその者は、
 「知らず我等も大通智勝仏の十六人の結縁の衆にもあるらん」 (唱法華題目抄 全2)
 「しらず大通結縁の第三類の在世をもたれるか、久遠五百の退転して今に来れるか」
                               (開目抄 全200)
とある如く末法の我等衆生であったのである。釈尊は自分の化から漏れた人をあわれんで、方便品に、
 「若遇余仏、於此法中、便得決了」
と説かれて未来の仏によって此等の人々は決了することを教えられている。
又、寿量品の「毒気深入、失本心」の者には「遣使還告汝父已死」と告げられ遂に「是好良薬」を「即取服之」して「毒病皆愈」した。そこで「其父聞子、悉已得差、尋便来帰、咸使見之」した。その父とは、「遺使還告」の父で未来の応仏を示しているのである。
 そこで釈尊は来世末法を化導する応仏を示さんと、従地涌出品を説き、他方迹化の弘経を許さずして、下方を涌出せしめたのである。即ち迹門の大地を破って本門の眷属を涌出したのである。
 従地涌出品に、
 「仏説是時、娑婆世界、三千大千国土、地皆震裂、而於其中、有無量千万億、菩薩摩訶薩、同時涌出、是諸菩薩、身皆金色、三十二相、無量光明、先尽在、娑婆世界之下、此界虚   空中性、是諸菩薩、聞釈迦迦牟尼仏、所説音声、従下発来、一一菩薩、皆是大衆、唱導之首」
 これを宗祖は、
 「上行菩薩の大地より出現し給いたりしをば、中略、寿量品の南無妙法蓮華経の末法に流布せんずるゆへに、此の菩薩を召し出されたり」         (撰時抄 全284)
 と釈せられている。
 又、経文中、弥勒菩薩はこの上行菩薩を指して「父少面子老」を説いて、その只の菩薩でないことを暗に示している。
 さて、かくて未来の弘経者を示したから、ここに釈尊はいよいよ一代の本懐たる寿量品を説かれたのである。
 宗祖は開目抄に、
 「一切経の中に此の寿量品ましまさずば天に日月の、国に大王の、山河に珠の、人に神のなからんが、ごとくして、ある」                    (全114)
 と釈せられている如く、寿量品は釈尊出世の本懐であって、説く所は三世常住の益物であり、如来の過去常を示して久遠本地を開顕したのである。実に、開目抄に、
 「一念三千の法門は但法華経の本門、寿量品の文の底にしづめたり」   (全189)
とも、
 「本門にいたりて始成正覚をやぶれば四教の果をやぶる、四教の果をやぶれば四教の因やぶれぬ、爾前迹門の十界の因果を打ちやぶって本門の十界の因果をとき顕す、此即ち本因本  果の法門なり」                            (全197)
と、宗祖は寿量品の大切なことを説かれている。この寿量品を末法悪世に弘経せしめるために地涌千界の上首上行菩薩に、神力品を説いて付嘱したのである。
 そのことは、元来釈尊出世して法華経を説いたのは「一向に滅後の為」であるからである。宗祖は、観心本尊抄に、
 「迹門十四品の正宗の八品は一往之を見るに二乗を以て正と為し菩薩凡夫を以て傍と為す、再往之を勘うれば凡夫、正像末を以て正と為す正像末三時の中にも末法の始を以て正が中の正と為す」                            (全249)
 又、
 「仏の出世は霊山八年の諸人の為に非ず正像末の人の為なり、又正像二千年の人の為にあ   らず末法の始め予が如き者の為なり」                  (全253)
 法華取要抄に、
 「寿量品の一品二半は始より終に至るまで正く滅後衆生の為なり滅後の中には末法今時の日蓮等が為なり」                           (全334)
と示されて、法華経特に寿量品が末法のためであることを釈せられている。
 釈尊は十神力を現じて後、上行等の菩薩大衆に、
 「以要言之、如来一切所有之法、如来一切自在神力、如来一切秘要之蔵、如来一切甚深之事、皆於此経、宣示顕説」
 と結要付嘱された。
 引き続いて勧奨付嘱において如来滅後にて如説修行を説かれたのである。
 「皆於此経、宣示顕説」の此経を宗祖は「一経を指すに非ず題目の五字なり」と釈せられている。
 この上行菩薩が釈尊の付嘱を受け滅後の何時出現するのかというと、開目抄に、
 「妙法華経に云く「於仏滅度後恐怖悪世中」安楽行品に云く「於後悪世」又云く「於末世中」又云く「於後末世法欲滅時」分別功徳品に云く「悪世末法時」。薬王品に云く「後五百歳」等云云、正法華経の勧説品に云く「燃後末世」又云く「然後来末世」等云云」

                                   (全225)
 又撰時抄に、
 「釈尊は重ねて無虚妄の舌を色究竟に付けさせ給いて後五百歳に一切の仏法の滅せん時上行菩薩に妙法蓮華経の五字をもたしめて謗法一闡提の白癩病の輩の良薬とせんと梵帝、日月、四天龍神等に仰せつけられし金言虚妄なるべしや」          (全265)
の如く、末法に出現するのである。そして、神力品に、
 「於如来滅後、知仏所説経、因縁及次第、随義如実説、如日月光明、能除諸幽冥、斯人行世  間、能滅衆生闇、教無量菩薩、畢竟住一乗」
とあり、御義口伝に「斯人とは上行菩薩なり」と釈せられて上行菩薩が仏滅後末法に出現し法華経の行者として「教無量菩薩畢竟住一乗」のである。

 

  第二節 末法の弘経者は如説修行者
 釈尊は滅後末法に弘経する者を、法師品に
 「能竊為一人、説法華経、乃至一句、当知是人、則如事使、如来所遣、行如来事」
と説きて、「如来現在猶多怨嫉況滅度後」の末法において妙法蓮華経を説く者は如来の事を行ずるなりと先ず明されて、しかしてその人の弘経の心得を示された。
 「如来滅後、欲為四衆、説是法華経者、云何応説、是善男子、善女人、入如来室、著如来衣、坐如来座、爾乃応為四衆、広説斯経、如来室者、一切衆生中、大慈悲心是、如来衣者、  柔和忍辱心是、如来座者、一切法空是、安住是中、然後以不解怠心、為諸菩薩及四衆、広  説是法華経」
と如来の衣座室の三軌に従って忍難弘経を教えられたのである。
 勧持品には、
 「為説是経故、忍此諸難事、我不愛身命、但惜無上道、我等於来世、護持仏所属」
と説き弘経のために忍難して「我不愛身命但惜無上道」すべきを教えられている。
 しかして神力品に、
 「是故汝等、於如来滅後、応当一心、受持読誦、解説、書写、如説修行」
と滅後の法華経の行者は如来修行することを勧奨付嘱せられている。
 故に末法の法華経の行者は、必ず忍難如説修行の行者である。

 

  第三節 宗祖は末法の行者である
 法師品に、
  「如来現在、猶多怨嫉、況滅度後」
 と説かれている如く悪世末法の法華経の行者は勧持品二十行の偈に説かれる三種の強敵を身に感じなくてはならない。
 しかるに如来滅後に於いてこの経文を実の通り身に読んだのはだれであるか。宗祖こそ建長の立宗の朝より弘安入滅の夕に至るまで法華経の故の受難の継続であった。
 されば上野殿御返事に、
 「勧持品に八十万億那由佗の菩薩の異口同音の二十行の偈は日蓮一人よめり」

                                   (全1557)
 又開目抄に、
 「数々見擯出」等云云、日蓮、法華経のゆえに度々ながされすば数々の二字いかんがせん、此の二字は天台、伝教もいまだ、よみ給はず、況や余人をや、末法の始のしるし恐怖悪世中の金言の、あふゆへに但日蓮一人これをよめり」           (全202)
 と示されているのである。
 然し法華経流伝の上から見た法華経の行者としては、開目抄において、
 「像法の中には天台一人法華経、一切経をよめり、中略、像の末に伝教一人、法華経一切経を仏説の如く読み給へり、中略、今末法の始め二百余年なり、中略、日蓮一人これをよめ  り」                                 (全203)
 又顕仏末来記には三国四師を挙げて法華経の行者としているが、報恩抄において、
 「内証は同じけれども法の流布は迦葉、阿難よりも馬鳴龍樹等はすぐれ馬鳴等よりも天台はすぐれ天台よりも伝教は超えさせ給いたり」              (全328)
とし、更に、
 「日蓮が慈悲広大ならば南無妙法蓮華経は万年の外、未来までもながるべし、日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ。此の功徳は伝教、天台にも超  え龍樹、迦葉にもすぐれたり」                     (全329)
 又、開目抄の、
 「難を忍び慈悲のすぐれたる事は、をそれをも、いだきぬべし」     (全202)
等とあって、天台より伝教、伝教より宗祖が一切衆生を救うために勝れている法華経の行者であることを示している。
 如説修行抄に、
 「釈尊御入滅の後二千余年が間に如説修行の行者は釈尊、天台、伝教の三人は、さしをき候ぬ。末法に入っては日蓮並びに弟子檀那等是なり」           (全504)
と示さる。されば撰時抄に、
 「日蓮は閻浮提第一の法華経の行者なり」
と宣言せられているのである。

 

  第四節 上行再誕は日蓮聖人
 上行菩薩は末法に法華経を弘通するために出現するのである。しかるに末法に宗祖以外に「猶多怨嫉」の金言の合う法華経の弘通者は一人も現われないのである。
 故に、単衣抄に、
 「日蓮、日本国に出現せずば如来の金言も虚くなり、多宝の證明も、なにかせん、十方の諸仏の御語も妄語となりなん、仏滅後二千二百二十余年、月氏、漢土、日本に一切世間多怨難信の人なし、日蓮なくば仏語既に絶えなん」             (全1514)
と、仏語を実現して末法に法華経を弘通した宗祖は先ず第一に仏の使と考えられるのである。又宗祖御自らも、北条時宗へ対して
 「日蓮は法華経の御使なり経に云く「則ち如来の使如来の所遣として如来の事を行ず」
                                   (全170)
 と、又新池御書に、
 「今までは正く仏の御使出世して此の経を弘めず、中略、今某、仏の御使として此の経を弘むる」                              (全1442)
と、宗祖は此の如く仏の使であることを示されているのは、結局、御自身を上行の再誕であるということを現わさんがためである。故に、上野殿御返事に、
 「涌出品は日蓮がためには、すこしよしみある品なり、其の故は上行菩薩等の末法に出現して南無妙法蓮華経の五字を弘むべしと見へたり、しかるに先日蓮一人出来す六万恒沙の菩薩より、さだめて忠賞をかほるべし」                 (全1557)
 と、御自ら上行菩薩であることを示されているが、又阿仏房御書に、
 「日蓮はしらず上行菩薩の御出現の力にまかせたてまつり候ぞ」    (全1305)
ともあり、 又頼基陳状に、
 「日蓮聖人は御経にとかれてましますが如くば久成如来の御使、上行菩薩の垂迹、法華本門の行者、五五百歳の大導師にて御座候聖人」             (全1157)
 「日蓮聖人の御房は三界の主、一切衆生の父母、釈迦如来の御使、上行菩薩にて御座候」      

                                  (全1161)
 百六箇抄には、
 「本地自受用報身の垂迹上行菩薩の再誕、本門の大師日蓮」       (全854)
等と宗祖を上行菩薩の再誕と明記されている。如何にして上行菩薩の再誕かということを左京日教師が五段荒量に、
 「高祖上人を上行菩薩御再誕と申す文如何、中略、如説修行の行者をば必ず上行と云うべきか、答えて云わく、然るべきなり、神力品の勧奨付嘱の下に如説修行と見えたり、中略、然る間末法の初に上行菩薩出世して此の神力結要の妙法蓮華経を弘め御座さば必ず三類の敵人甚しかるべしと見えてあるなり、経文の如く行ずるを上行菩薩の再誕、如説修行人と云うなり」                             (富士要2‐298)
と宗祖が上行菩薩の再誕であることをわかりやすく説かれている。

 

  第五節 上行菩薩は久遠の仏なり
 既に方便品の退座五千人と宝塔品の移された人天は、余仏に遇ってその法の中において決了するのである。その余仏とは四依の人師である。これについて宗祖は、観心本尊抄に、
 「四依に四類有り、小乗の四依は多分は正法の前の五百年に出現す、大乗の四依は多分は正法の後の五百年に出現す、三に迹門の四依は像法一千年、少分は末法の初めなり、四に本門の四依は地涌千界末法の始に必ず出現す可し」             (全251)
 と説かれて、迹門において釈尊の化を漏れた人々は末法において地涌千界の上行菩薩が余仏として出現するからこの菩薩の化を受けて決了すべきを経文に説かれているのである。
 次に本門において、
 「毒気深入失本心故於此好色香薬而謂不美」の輩は「遣使還告」によって得脱するのである。その「遣使還告」とは、観心本尊抄に、
 「今の遣使遣告は地涌なり是好良薬とは寿量品の肝要たる名体宗用教の南無妙法蓮華経是なり」                                (全251)
 とあって、地涌の上行菩薩が「遣使還告」の人で「毒気深入失本心」の人々を救う仏である。その上行菩薩は神力品に於て「皆於此経、宣示顕説」して四句の要法を結要付嘱されてそれを末法に流布するのであるが、
 「此の経とは寿量品の南無妙法蓮華経なり」              (全251)
と宗祖は釈せられている。
 この寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経を末法に広宣流布して末法の衆生を皆成仏せしめるために釈尊から付嘱を受けたのである。御義口伝に、
 「此の妙法運華経は釈尊の妙法には非ざるなり既に此の品の時上行菩薩に付嘱し玉う故なり」                                 (全770)
と釈せられてある通り、上行菩薩が末法に出現して説く南無妙法蓮華経は釈尊のものではないのである。撰時抄に、
 「後五百歳に一切の仏法の滅せん時上行菩薩に妙法蓮華経の五字をもたしめて謗法一闡提の白癩病の輩の良薬とせん」                      (全265)
と、釈尊はこの様な目的で上行菩薩に妙法蓮華経を付嘱したのである。それ故にその上行菩薩は、観心本尊抄に、
 「此の時地涌の菩薩始めて世に出現し但妙法蓮華経の五字を以て幼稚に服せしむ、中略、地涌千界は教主釈尊の初発心の弟子なり、寂滅道場に来らず隻林最後にも訪わず不孝の失之れ有り迹門の十四品にも来らず本門の六品には座を立っ但だ八品の間に来還せり、是くの如き高貴の大菩薩、三仏に約束して之を受持す末法の初に出でたまわざる可きか」

                                   (全253)
と、此の如き高貴の大菩薩たる上行菩薩が釈尊の付嘱を受けて末法に出現するのはその本地が仏であるからである。
 上行菩薩はすでに涌出品において従地涌出せる時、その名は菩薩であるけれども、「身皆金色、三十二相無量光明」の仏の相好を具へている所を見ると内証は仏である。故に弥勒菩薩は騰疑致請に当って譬説して、
 「譬如有人、色美髪黒、年二十五、指百歳人、言是我子、其百歳人、亦指年少、言是我父、生育我等」 
と巧に釈尊と上行菩薩の関係を指して久遠の父子を示しているのである。
 伝教大師は、
 「子、父の法を弘むるに世界の益あり」
と釈し、子が父の命により父の滅後、父の法を弘むるはこれ子の代にして父と同位なりというべきである。釈尊よりの付嘱について、本門心底抄に、
 「涌出神力の明文に本化の大人を召して久成の要法を授く、故に経には、後五百歳中広宣流布、於閻浮提無令断絶と説き、釈に、当知法華真実経、於後五百歳必応流伝と明せり、加え、天台は下方を召し来る亦三義有り、是れ我が弟子応さに我が法を弘むべし、縁深広を以って能くこの土に遍く益すべしと道暹云わく、付嘱とは此経唯下方涌出の菩薩に付す、何を以ての故に爾る、法是れ久成の法に由るが故に久成の人に付す」   (富士要2‐34)
とて上行菩薩は久成の人なりと釈している宗祖は、上野殿御返事に、
 「昔の師は今の弟子なり、今の弟子はむかしの師なり、古今能所不二にして法華の深意をあらはす」                             (全1556)
と遊ばされている。これ提娑と釈尊の関係、釈尊と上行の関係、皆、能所不二である。
 又、釈迦仏と燃燈仏との関係の如く、法華経序品においては、燃燈仏は日月燈明仏の第八子として、妙光菩薩を師とした、その妙光菩薩とは、豈に異人ならんや、釈迦仏我身なりと明されているから、釈尊の妙光菩薩は師であり燃燈仏は弟子である。
 若し、釈尊の往古を見るに釈尊が因位において儒童菩薩であった時、二僧祗満にこの燃燈仏に遇い授記せらたのであるから、燃燈仏は師であり、釈尊は弟子である。
 この師弟相互の関係も、寿量品において久遠開顕した後は、

「我成仏已来、復過於此、百千万億、那由佗阿僧祗劫、自従是来、我常在此、娑婆世界、説法教化、亦於余処、百千万億、那由佗、阿僧祗国、導利衆生、諸善男子、於是中間、我説燃燈仏等、又復言其、入於涅槃、」

と説いて、久遠の本仏が「名字不同、年紀大小」に出現して、娑婆世界に「常住此説法」していることを示し、師弟不二、能所不二の一体仏を説かれている。
 左京日教師の百五十箇条に、
 「六波羅蜜自燃在前は諸仏とも菩薩ともいわるるなり、等妙二覚一仏異名と云ふ此事なり、釈迦地涌菩薩誠に一仏の異名なり」              (富士要2‐244)
釈尊と上行を「一仏の異名」と説き、日淳上人は釈尊と上行を「同体用異」と説いている。
又日教師は釈尊と上行菩薩の関係を利益の上から「互為主伴」と称している。
百五十箇条に、
 「昔虚空会の時は釈迦を本尊として脇士に上行無辺行の四菩薩、迹化他方あり是脱益の導師なり、機縁の薪尽て入滅あれば是好良薬を留めて無明難断の敵を殺すなり、三惑同時節義を顕すというも下れる義なり、不断而断の義成の為の遣使還告なり(中略)其菩薩の末代に出でて本門寿量品を弘め玉ふ時、釈迦二度の出世なり、この下種の導師を以て本門教主釈尊と申すなり、さてこそ宝塔の中の釈迦、宝塔外の諸仏菩薩上行等の四菩薩の脇士と成るべし云云、是こそ互為主伴なれ」                   (富士要2‐181)
と釈尊と上行菩薩は「同体用異」の利益を説かれ、互いに主となり伴となることを説いているのである。
それ故、三位日順師は、五人所破抄に、
 「上行菩薩は本極法身、微妙深遠にして寂光に居す」         (聖典550)
と上行菩薩の本地を明されているのである。よって百六箇抄に、
 「久遠実成の自受用身は本、上行菩薩は迹なり、三世常恒不変の約束なり」(全866)
と、本種の師弟不変の本迹を明されている。実に上行菩薩は末法出現の仏である。

 

  第六節 宗祖本仏の開顕
 宗祖は既に上行菩薩の再誕であり、上行菩薩の本地は久遠の仏であるから、宗祖即久遠の仏たることは当然であるが、更に宗祖の御身に当って、末法の仏の境界を考えて見ると、
 先ず、三大秘法抄に、
 「此の三大秘法は二千余年の当初、地涌千界の上首として日蓮慥かに教主大覚世尊より□決相承せしなり、今日蓮が所行は霊鷲山の禀承に芥爾計りの相違なき色も替らぬ寿量品の事  の三大事なり」                           (全1023)
 とありて宗祖は外相に三国四師の相伝あれど内証において直に教主釈尊より霊鷲山において禀承しているのである。
 今番出世の釈尊が法華経を説く時は宗祖は上行菩薩として「迹門の十四品にも来らず本門の六品には座を立っ但八品の間に来還せり」              (全352)
 と説かれる如く法華経の会座において、但八品に列しているのであって、その八品において虚空会の説法があるのである。この虚空会の説法は現実の娑婆を超越した所の理想の世界を示すのであって、娑婆世界の宗祖に久遠の相を事において示されたのである。
 寿量品において説く釈尊の本地はそのまま久遠実成の本仏を現わしているのである。しかして釈尊が神力付嘱において久成の本仏が久成の弟子に付嘱する有様を示したのであり、そして、虚空会が直ちに霊山会として説かれるのは久遠の相をそのまま末法の娑婆世界の宗祖の身に当てはめられるのである。故に、法華取要抄に、
 「多宝の證明、十方の助舌、地涌の涌出此等は誰人の為ぞや、答えて曰く世間の情に云く在世の為と、日蓮云く舎利仏、目●等は現在を以て之を論ずれば智慧第一の大聖なり、過去を以て之を論ずれば金龍佗仏、青龍陀仏なり、未来を以て之を論ずれば華光如来、霊山を以て之を論ずれば三惑頓尽の大菩薩、本を以て之を論ずれば内秘外視の古菩薩なり、文殊、弥勒等の大菩薩は過去の古仏、現在の応生なり、梵帝、日月、四天等は初成巳前の大聖なり、其の上前四味、四教、一言に之を覚りぬ、仏の在世には一人に於ても無智の者之なし誰人の疑を晴さんが為に多宝仏の證明を借り諸仏舌を出し地涌の菩薩を召さんや方方以て謂れ無き事なり、経文に随って「況滅度後、令法久住」等云云、これ等の経文を以て之を案ずるに偏に我等が為なり」                           (全335)
と説かれて法華経は二乗、菩薩のためではなく末法の我等のためと定められ、又同抄に、「寿量品の一品二半は始より終に至るまで正く滅後衆生の為なり滅後の中には末法今時の日蓮が為なり」                             (全334)
と寿量品を宗祖の身に当てて考えられているのである。
 更に神力付嘱に対しての十神力も、観心本尊抄に、
 「前の五神力は在世の為後の五神力は滅後の為なり、爾りと雖も再往之を論ずれば一向に   滅後の為なり」                            (全252)

とあり、又、御義口伝には、
 「上の十種の神力は在世滅後に亘るなり燃りと雖も十種共に滅後に限ると心得可きなり」  

                                   (全770)
かく法華経総べてが滅後末法宗祖の身に当てての法なるのである。
 されば観心本尊抄の、
  「釈迦、多宝、十方の諸仏は我が仏界なり其の跡を継紹して其の功徳を受得す須叟も之を聞く、即阿耨多羅三菩提を究意するを得とは是なり。寿量品に云く燃るに我実に成仏してより已未、無量無辺百千万億那由佗劫なり等云云、我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり、経に云く我本菩薩の道を行じて、成ぜし所の寿命、今猶未だ尽きず、復上の数に倍せり等云云、我等が己身の菩薩等なり、乃至上行、無辺行、浄行、安立行等は我等が己心の菩薩なり、妙楽大師云く当に知るべし身土一念の三千なり故に成道の時此の本理に称うて一身一念法界に遍し等云云」              (全247)
 正しく宗祖を仏として法華経を見る時、五百塵点本有無作の三身は宗祖己心の釈尊であり、上行等の四菩薩は宗祖己心の菩薩界で、皆宗祖己心の十界である。
 撰時抄に、
 「久遠実成は百歳の叟、二十五の子となれるかとうたがふ、一念三千は九界即仏界と、仏界即九界と談ず」                           (全256)
と又宗祖己心においては、開目抄の、
 「九界も無始の仏界に具し仏界も無始の九界に備りて、真の十界互具、百界千如、一念三千なるべし」                             (全197)
と寿量品の一念三千が開かれるのである。
 かくて宗祖から法華経を見る時は常に、法華取要抄にある如く、
 「寿量品の一品二半は始より終に至るまで正く滅後衆生の為なり滅後の中には末法今時の日蓮が為なり」                            (全334)
 であるから法華経ことごとく末法においては宗祖の御振舞なり。宗祖が法華経の肝心寿量品の文底の南無妙法蓮華経を末法の衆生に、是好良薬として服せしめるのである。
 観心本尊抄に、
 「此の時地涌の菩薩始めて世に出現し但妙法蓮華経の五字を以て幼稚に服せしむ」
                                   (全253)
 の「此の時地涌の菩薩」とは宗祖の事であり、

「一念三千を識らざる者には仏、大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頸に懸けさしめ給う」                             (全254)
の「仏」も同様に宗祖の事である。
 今釈尊と宗祖と比較するに、釈尊は今番出世して調機の上に従因至果をなせる本果妙の仏なり。宗祖は、本果妙の釈尊が、果分の如来一切所有之法、果分の如来一切自在神力、果分の如来一切秘要之蔵、果分の如来一切甚深之事を結要付嘱し、直ちに久遠下種の本法を覚知する仏である。即ち百六箇抄に
 「日蓮が修行は久遠を移せリ」                    (全862)
と又、
「今日蓮が修行は久遠名字の振舞に芥爾計も違わざるなり)        (全863)
であるから従果向因の本因妙の仏である。故に法華取要抄の、
 「生身の妙覚の仏本位に居して衆生を利益する」            (全334)
 とは宗祖の御身であると考えられるのである。百六箇抄に、
 「仏は本因妙を本と為し所化は本果妙を本と思えり」          (全860)
 又本因妙抄に、
 「仏は熟脱の教主、某は下種の法主」                 (全874)
 とあるから本果妙の釈尊より末法今時においては、下種本因妙の宗祖を重んずべきである。 

 

  第七節 宗祖から久遠の仏を望む
 久遠五百塵点劫の本仏が世々番々に成道を唱えて能證所證の本理を顕して、今番釈迦牟尼仏となり、末法の今時において上行再誕日蓮大聖人と開顕するのであるから、

 「久遠実成の自受用身は本、上行菩薩は迹」              (全866)
なりの如く、久遠実成の自受用身は本、末法の仏日蓮は迹というのは通途の説である。
 然るに、末法今時を基本に考える時、我等所化は本仏日蓮の己心の南無妙法蓮華経の下種を受け、その南無妙法蓮華経を正直に受持して即座に開悟するのである。故に末法下劣の機においては、仏は宗祖日蓮大聖人以外に無いのである。
 当体義抄に、
 「所詮妙法蓮華経の当体とは法華経を信ずる日蓮が弟子檀那等の父母所生の肉身是なり、   正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人は煩悩、業、苦の三道、法身、般若、解脱の三徳と転じて三観、三諦、即一心に顕われ其の人の所生の処は常寂光土なり、能居所居、身土、色心、倶体倶用、無作三身の本門寿量の当体蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等の中の事なり」                           (全512)
と又、一念三千法門に、
 「父母所生の肉身、煩悩具縛の身、即本有常住の如来となるべし」    (全414)
 等とありて、生身の宗祖日蓮大聖人は末法の今日には久遠の本法、妙法蓮華経の当体を顕して、我等の仏として出世しているのである。
 宗祖は久遠の相を末法に移し、久遠即末法とせられたのである。
 久遠元初無作本有自受用身は人法一箇の相である。依て末法の宗祖の身も本有常任の自受用身人法一箇であり、その相の所顕が本門の御本尊である。
 故に観心本尊抄に、
 「此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し」                                 (全254)

と宣せられ、久遠元初自受用身人法一箇独一本門の戒壇の本尊を建立せられたのである。
 しかして宗祖即御本尊の在す所は、観心本尊抄に、
 「今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出でたる、常住の浄土なり仏既に過去にも滅せず未来にも生ぜず、所化以て同体なり」                 (全247)
 と説かれる如き、常寂光土である。御義口伝には、
  時我及衆僧倶出霊鷲山を釈して、霊山一会儼然未散の文とされ、時とは末法本時、娑婆世界時、我とは釈尊、及は菩薩、衆僧は二乗、倶とは六道。出とは霊山浄土に列出するなり  霊山とは御本尊並に今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱へ奉る者の住所を説くなり」

                                   (全757)
 と、霊山浄土は御本尊の住所と教えられているのである。
 よって今時末法において所化たる我々が能化の仏としての宗祖の御境界から久遠を振り返えって見る時は宗祖は本、久遠は迹ということになる。
 日淳上人の昭和三十四年四月六日御堂における説法に、
  「日蓮大聖人を本地と見る時、上行菩薩は迹であり、大聖人を本とすれば久遠元初自受用身は迹である」
と説かれている。百六箇抄に、
  「本果妙の釈尊、本因妙の上行菩薩を召し出す事は一向に滅後末法利益の為なり。然る間、日蓮修行の時は後の十四品皆滅後の流通分なり」           (全864)
と、滅後末法利益のため本因妙の上行菩薩即宗祖日蓮大聖人が出現し、本門の寿量文底の南無妙法蓮華経を下種するのである。御本尊七箇之相承に、
  「滅後は流通が面と或るなり」                  (聖典378)
と説かれ、宗祖の御修行は南無法蓮華経の下種、流通にあるのである。
 唱法華題目抄に、
  「妙楽大師釈して云く、仏世は当機の故に簡ぶ末代は結縁の故に聞かしむ」 (全5)
 と末法の仏たる宗祖の御修行は南無妙法蓮華経の下種、結縁である。所化の我等は、宗祖の南無妙法蓮華経を不渡余行に正直に一念信解によって即身成仏するのである。故に、末法下種の南無妙法蓮華経は一念信解刹那成道である。
 しかれば、宗祖は本で久遠元初は迹ということになるのである。百六箇抄に、
 「本因妙は本なり我本行菩薩道は迹なり」               (全864)
 と説かれるのである。この本因妙は宗祖日蓮大聖人で、我本行菩薩道とは久遠の修行を指すのである。かくて、撰時抄に、
 「法華経の流布の時、二度あるべし、所謂在世の八年、滅後には末法の始め五百年なり」
                                   (全260)
と説かれ、在世は一品二半、末法は但、題目の五字と判せられて、在世と末法の仏を明かに定められている。
 よって宗祖を即ち本門寿量文底秘沈本地難思境智冥合久遠元初自受用身の仏と称し奉る所以である。

 

 第二章 観心より宗祖本仏を論ず

  第一節 機の上より論ず
 末法の我等は、大通結縁の第三類の在世をもれたるか久遠五百の退転して今に来れるか」
                               (開目抄、全100)
の衆生で即ち方便品の五千人であり、宝塔品の移諸天人であり、又寿量品の毒気深入失本心の者である。伝教大師は
 「人を原れば五濁の生」
と説いている。この衆生に対して如何なる仏を求むべきかが問題なのである。夫れ釈尊は、色相荘厳の本果妙の仏である。我等の機には及ばないのである。
 日有上人は化儀抄に、
 「当宗の本尊の事、日蓮聖人に限り奉るべし、仍て今の弘法は流通なり滅後の宗旨なる故に未断惑の導師を本尊とするなり、地住已上の聖者には末代今の五濁闘浄の我等根性には対  せらるべからざる時分なり」                     (聖典979)
 「当宗には断惑證理の在世正宗の機に対する所の釈迦をば本尊には安置せざるなり、其故は末断惑の機にして六即の中には名字初信に建立する所の宗なる故に、地住己上の機に対す  る所の釈尊は名字初心の感見には及ばざる故に釈迦の因行を本尊とするなり、其故は我等  が高祖日蓮聖人にて在すなり」                    (聖典996)

と、釈尊は我等の機の及ばない所で、未断惑の凡夫僧の宗祖を仏と敬め奉るべきことを示されている。日順師は本因妙口決に、
 「無作本有の妙法は法の中に最上甚深の秘法なり、此の法は最下劣の機を済度するなり、最下劣の機を引導する時は我身を下機に同じて利益するなり、故に高祖の凡夫と下って理即  の我等を済い玉うなり」                     (富士要2‐83)
 又日元上人は
 「富石の仏法は一文不通の愚人の上に建立あれば全く久遠最初に同じく本未有善の機、六即の中には理即名字の修行なり、故に師弟同じく、愚人にして大聖尊は是れ今時の一迷先達  の大導師なり」                         (富士要1‐381) 
等と説いている。
 宗祖は御身分を自ら明されて、本尊問答抄に、
 「日蓮は安房の国長狭の郡、東条郷、片海の海人が子なり」       (全370)
と、我等と同じ凡夫身であることを示されており、そして、法華経を末法に流通する故に、
 撰時抄に、
 「我身はいうにかひなき凡夫なれども御経を持ちまいらせ候分斉は当世には日本第一の大人なりと申すなり」                          (全289)
 と或は、如説修行抄に、
 「末法今の時は教機時刻当来すといへども其の師を尋ぬれば凡師なり」  (全501)
とも、又、顕仏未来記には、
 「日蓮は名字の凡夫なり」                      (全507)
と常に凡夫僧の姿を示されている。教機時国抄に、
 「機を知らざる凡師は所化の弟子に一向に法華経を教うべし」      (全438)
と宗祖は凡師と任じ、但、南無妙法蓮華経を聞かしむるにあったのである。
 が、いざ我々を済度する段になると、撰時抄に、
 「日本国の人皆無間大城に堕ちむ事よ、悦しきかなや、楽かなや不肖の身として今度心田に仏種をうえたる、中略、今日本国の高僧等も南無日蓮聖人ととなえんとすとも南無計りに  てやあらんずらんふびんふびん」                    (全287)
 と自ら日本国の人々に南無妙法蓮華経を下種したことを申され、いつか南無日蓮聖人と拝むべきを示されているのである。故に
「釈迦如来にも日蓮をとり奉るぺからざるか」
とも或は
「釈迦如来よりも大事な日蓮」
とも仰せられているのである。これ一重に我等機情にまかせて、久遠の本仏が末法に示同凡夫として出現しているのを示しているのである。

 

  第二節 時の上より論ず
 撰時抄に、
  「夫れ仏法を学せん法は必ず先づ時をならうべし」          (全256)
 とまっ先に説かれているが宗祖本仏も時の上から考えることが又重要である。撰時抄に、
  「機に随って法を説くと申すは大なる僻見なり」           (全287)
 とし、しかも同抄には、
  「此の経の一字は如意宝珠なり一句は諸仏の種子となる此等は機の熟不熟はさてをきぬ時のいたれる故なり」                         (全256)
 と説かれている通り、この経即ち南無妙法蓮華経はいつ流通すべきであるかというに、
宝塔品に、
  「誰能於此娑婆国土広説妙法華経今正見時」
と釈尊は唱募せられているが、その時とは、 開目抄に、
 「仏、恐怖悪世、然後末世、末法滅時、後五百歳なんど正妙の二本に正しく時を定め給う」                                 (全203)
と、時を示されている。そして又、撰時抄に、
  「彼の大集経の白法隠没の時は第五の五百歳当世なる事は疑ひなし、但し彼の白法隠没の次には法華経の肝心たる南無妙法蓮華経の大白法の、中略、広宣流布せさせ給うべきな   り」                                 (全258)
とも又、
 「大集経の白法隠没の時に次いで法華経の大白法の日本国並びに一閻浮提に広宣流布せん   事も疑うべからざるか」                        (全265)

とも示されている。そしてこの時に、
 「上行菩薩に妙法蓮華経の五字をもたしめて謗法一闡提の白癩病の輩の良薬とせん」                               

                                   (全265)
 又、本因妙抄には
  「今末法は、本化の菩薩たる上行等の出世の境、本門流宣の時剋なり」 (全345)
と教えられている,
 上行菩薩即ち宗祖大聖人が出現して南無妙法蓮華経を流通するのである。故に、宗祖は末法の大導師であるのであって、自ら龍樹、天親、天台、伝教等を皆、内観冷然外適時宣と判ぜられ、そして、顕仏未来記に、
 「時代を以て果報を論ずれば龍樹、天親に超過し天台、伝教にも勝るるなり」

                                   (全506)
と、説かれて、
 「一閻浮提第一の法華経の行者」

と明されているのである。これとても、報恩抄に、
 「日蓮が智のかしこきには、あらず時のしからしむる耳」        (全329)
 と末法の本仏たる所以を明されているのである。

 

  第三節 国の上より論ず
 釈尊は法華経を説くに当って先ず序品に、
「爾時仏、放眉間自毫相先、照東方、万八千世界、靡不周偏、下至阿鼻地獄、上至阿迦尼●天」
とあって、経家これを釈して眉間白毫は四方を照し、あらゆる国土を知る。今、東方の一方を指して四方を表わすというも、東方を照らすことは釈尊が未来に掛けたる深意と拝すべきである。宗祖は四条金吾殿御返事に、
 「仏法は月の国より始めて日の国にとどまるべし。月は西より出で東に向ひ日は東より西へ行く事天然のことはり」                      (全1165)
 と又、顕仏未来記に、
 「月は西より出でて東を照し日は東より出でて西を照す仏法も又以て是の如し正像には西より東に向い末法には東より西に往く」                 (全508)
 と仏教が西の印度から東漸する様を示され、しかる上に、
 「仏法必ず東土の日本より出づべきなり」               (全508)
 と日本国に末法において仏教が顕れる事を示されているのである。
 その日本国は「名の目出度き国」、「大乗種性の国」と一往は賞讃さるれども、白法隠没の時代になればやはり三種類の強敵は顕れるのである。
 開目抄に、
 「当世は如来滅後、二千二百年余なり、中略、三類の敵人、必ず日本国にあるべ」
                                                                               (全225)
と示されている。この時、宗祖は如来滅後二千百七十一年という時に日本国の安房の国に生まれたのである。されば、一昨日脚書に、
 「就中、日蓮生を此の土に得て豈に吾が国を思わざらんや」       (全183)
と、その一生を立正安国論の生涯に始終せられ、単衣抄にある如く、
 「日蓮、日本国に出現せずば如来の金言も虚くなり、中略、日蓮なくば仏語既に絶えなん」                                (全1514)
 と、宗祖が日本国に出現したことは、深き因縁のしからしむるところであることを示されているのである。その因縁深き日本国にして忍難弘経し、撰時抄の、
 「日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑いなし」        (全284)
 とも、報恩抄送文の如く、
 「日本国に是(宗祖自らを指す)より外に法華経の行者なし」      (全330)
 と、示されているのである。
 かくて龍の口の頸座において発迹顕本せられ末法の仏として本門の三秘の建立となったのである。よって、観心本尊抄の、
 「一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し」               (全254)
 と仰せられ、遂に三徳兼備の仏であることを示されて、真言諸宗違目の、
 「日蓮は日本国の人の為めには賢父なり聖親なり導師なり」        (全40)
とも、
 「日蓮は当帝の父母、念仏者、禅衆、真言師等が師範なり又主君なり」  (全265)
とも 開目抄の、
 「日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり」               (全237)
 とも説かれているのである。
 しかして宗祖の慈悲により南無妙法蓮華経の流通は、報恩抄の、
 「日本国は一同の南無妙法蓮華経なり」                (全329)
となって本仏宗祖日蓮大聖人下種の南無妙法蓮華経が日本国乃至一閻浮提に広宣流布するのである。                                     

 

  第四節 教法流布の前後より論ず
 釈尊は最初から法華経を説かんとせられたのであるが、機なく、時いたらざる故に調熟の時を経たのである。故に滅後も経の流布次第があったのである。如説修行抄に、
  「正像二千年は小乗権大乗の流布の時なり、末法の始めの五百年には純円、一実の法華経のみ広宣流布の時なり」                       (全503)
と正像をすぎて末法には、ただ法華経の広宣流布を示され、しかも諸経の題目は一往は、流布は法流の順序として南無妙法蓮華経の流布以前にある事を示されているのである。即ち撰時抄に、
  「権大乗経の題目の広宣流布するは実大乗経の題目の流布せんずる序にあらずや」
                                   (全284)
と説かれている。
 そして又、龍樹、天親すら口唱せざる題目、又天台、伝教すら法華経の迹門においてのみ止つた、本門の題目は、小乗、権大乗等のそれぞれの題目の流布の後に必ず、宗祖が出現して流布することを、下山殿御消息に、
  「地涌の大菩薩、末法の初めに出現せさせ給いて本門寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生に唱えさせ給うべき先序のためなり」     (全346)
と説かれているのである。
 かくの如く久遠の本仏は世々番々に出世し今番は釈尊、次番は宗祖と仏の順序において出現しているのである。

 

結 論
 今、宗祖の本仏たることを宗祖の五網判によって論じて見たのであるが、
 1、宗祖は未萌を知り三度の高名の上から
 2、前代未聞の天変、地夭の大瑞相の上から
 3、三類の強敵に遭遇の上から
 等数多の方面から末法本仏たるの證明は立てられるべきである。
 いずれにしても宗祖大聖人は外相は上行菩薩の再誕として末法に出現し、内証は久遠元初自受用身として久遠においての即座開悟の南無妙法蓮華経を末法の我々に授与せられたのである。故に、南条殿御返事に、
 「教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり、されば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり、舌の上は転法輪の所、喉は誕生の処、口中は正覚の砌なるべし、かかる不思義なる法華経の行者の住処なれば、いかでか霊山浄土に劣るべき、法妙々るが故に人貴し、人貴きが故に所尊しと申すは是なり」   (全1578)
と生身の仏の境地を明されている。そして又、乙御前脚消息には、
 「日蓮が頭には大覚世尊かはらせ給いぬ昔と今と一同なり、各々は日蓮が檀那なり争でか仏にならせ給はざるべき」                      (全1221)
と弟子檀那にさとされている。宗祖は常に常寂光の本土に常住此説法せられている所の久遠の本仏であることを知るべきである。

 


※日蓮大聖人御書は「御書全集」を、その他の文献は「日蓮正宗聖典」「富士宗学要集」を引用しています。

毎月の行事

 

  ● 先祖供養 お経日  

      14:00/19:00

※日程変更あり・要確認

 

第 1    日曜日 

  ● 広布唱題会      

      9:00

 

第 2    日曜日 

    ● 御報恩 お講  

            14:00

 

お講前日の土曜日  

     ●お逮夜 お講   

            19:00

http://www.myotsuuji.info