日蓮正宗 妙通寺(妙通寺・日蓮正宗でも検索可)

  名古屋市中村区烏森町3丁目24番地  地下鉄「岩塚駅」下車徒歩10分

 

学会員さんは、誰もしらない…

 

創価学会が日蓮正宗から破門された理由(わけ) ~その背景~

 

 あれは平成2年1月頃のことでした。
 当時はまだ、日蓮正宗と創価学会は、ともに広宣流布(こうせんるふ)の実現に向け、協調して信心していました。

 

 人類の平和社会の理想である広宣流布の実現には、法華経に説かれた「令法久住・広宣流布」の姿が必要不可欠です。
 そのため
 ○日蓮正宗の出家僧侶が、まじめに正直に、本門戒壇(かいだん)の大御本尊を守り、日蓮大聖人の正しい仏法を正しく、ありのまま未来に伝えていくこと。
 ○創価学会などの在家信徒が、純粋(じゅんすい)な信心を行ない、生活に即した信仰活動を通じて広く社会に貢献(こうけん)し、折伏を推進していくこと。
 つまり「僧俗一致・異体同心」という広宣流布の大前提を守りながら、おだやかに信心をしていた時代です。

 

 さて、1月といえば総本山大石寺は年間を通してもっとも寒さ厳しい季節です。とくに、その日は西高東低の冬型で、大石寺周辺では夕方頃から強い北風が吹いていました。
 夜も更けて日が変わった午前2時。「本門大客殿」の雲板(うんばん)が厳(おごそ)かに鳴り響き、間もなく丑寅(うしとら)勤行(ごんぎょう)が開始されることを、大石寺の宿坊に宿泊していた創価学会員さんに知らせました。

 

 丑寅(うしとら)勤行とは大石寺において、毎朝丑寅の時刻(=午前2時~4時)に行なわれる五座の勤行(早朝勤行)のことで、日蓮正宗では重要な意義をもつ法要です
 大石寺を開創した第二祖日興上人は、第三祖日目上人への相伝書のなかで
「大石寺は御堂と云ひ、墓所と云ひ、日目之を管領し、修理を加へ勤行を致して、広宣流布を待つべきなり。」(日興跡条々之事)
と遺言(ゆいごん)されました。この中に出てくる「勤行(ごんぎょう)」とは、この「丑寅勤行」のことです。丑寅勤行では、丑寅の時刻という、一日のうちでもっとも静寂で空気も澄み切った時刻に、世界中の人々を成仏へと導く仏法僧の三宝尊へ深く感謝の祈りを捧(ささ)げ、同時に、日蓮大聖人の遺命であり人類究極の願いである広宣流布による世界平和を祈念されます。
 第二祖日興上人が大石寺を開創されて以来、日蓮大聖人の仏法を守り伝えられる歴代の御法主上人は、この伝統を固く守って来られました。大石寺では、開創以来七百年以上にわたり、一日も欠かさず丑寅勤行が修されてきました。

 

 昔、創価学会第二代戸田城聖会長は、太平洋戦争等の影響で疲弊した創価学会組織を立て直すにあたり、
 「大石寺に安置されている本門戒壇の大御本尊への信仰が、世界中すべての宗教・信仰の根源をなすものであり、末法唯一の大正法である」
との深い信心に立ち返りました。そして、すべての創価学会員に大御本尊の功徳を得せしめるため、大石寺への団体登山会を開始しました。その結果、大石寺へ参詣した一人ひとりの学会員さんが多くの功徳をいただくとともに、創価学会組織も日本最大の信仰組織にまで大きく成長することができたのです。その原動力はすべて、大御本尊よりいただいた功徳であることは疑う余地もありません。

 このように大石寺への参詣は、本門戒壇の大御本尊の御開扉を受けることにありますが、なかでも外国や国内の遠隔地から大石寺へ参詣した学会員さんが大石寺に宿泊する際、楽しみでもあり、心から願ってきたことが「丑寅勤行」への参列でした。

  喧噪(けんそう)や雑音もなく、空気も澄み渡り、厳粛な信心を奮い起こさせる、あのすばらしい「丑寅勤行」。学会員さんたちは当時、丑寅勤行に参列して広宣流布の成就、悩みの解決や家族の幸せを、御法主上人猊下の尊い御声に会わせて読経・唱題しながら、心からご祈念したものでした。(※学会破門後も、大石寺では一日も欠かさず御法主上人の大導師により丑寅勤行が勤められています)

 

 さて、お話を平成2年1月の大石寺へと戻しましょう。
 午前2時30分、出仕(しゅっし)太鼓が高らかに鳴り響くなか、御法主日顕上人が大客殿にお出ましになり、丑寅勤行がはじまりました。
 大石寺では「一夜番」といって、数名の僧侶が毎晩「寝ずの番」を交代で務め、大御本尊や日蓮大聖人の御書をはじめとする大石寺の重宝、境内の建物を火災などから守るため、見回りをするしきたりになっています。

 丑寅勤行がはじまったので、大客殿を見回っていた一夜番僧侶が別の建物へ移ろうとした時、建物外の広場の暗闇に、たくさんの人影を発見しました。人数はそう、20人以上はいたはずです。みな地方から参詣していた学会員さんでした。北風が容赦なく吹きすさび、体感気温は氷点下だったでしょう。皆、ガタガタ震えながら建物の隙間から聞こえてくる読経の声にあわせて、一生懸命勤行をしていました。
 「あれ? おかしいな」
 一夜番僧侶が大客殿に戻って見てみると、200~300人が参列していましたが、まだ収容には余裕があります。彼は創価学会の警備担当者に連絡をとりました。
 「大広間に入れるのに、それが分からない方が外にいるようです…」
 すると警備関係者はいいました。
 「外にいるのは学会員です。彼らは民宿などに泊まっているフリーの登山者で、前もって丑寅勤行への参加を申し込んでいなかったようです…」
 「えっ? 丑寅勤行は、日蓮正宗の信徒であれば、学会員さんでも法華講員さんでも、自由に参加できるはずですが…」
 「詳しいことは分からないので、創価学会の輸送責任者に伝えておきます」
 その後、何の知らせもないまま時間だけが過ぎていきました。一夜番僧侶も、自分の勝手な判断で、外にいる学会員さんを室内に招き入れることもできず、丑寅勤行は終わってしまいました。
 夜が明けると一夜番僧侶は、担当の上司に報告しました。その報告はさらに上へと伝わり、ついに日顕上人のお耳に入ることになりました。
 後日分かったことですが、創価学会では学会独自で作ったルールにのっとり、丑寅勤行の参加人数を決めていたようなのです。学会が人数制限をしていたことは、大石寺は、まったく知りませんでした。

 

 それからしばらくして、日顕上人と池田大作名誉会長が面談する機会がありました。その際、日顕上人から池田氏に対して、
「丑寅勤行の参加について、宿泊している学会員の何パーセントというような制限をするのではなく、参加を希望する学会員さんには、自由に出させてあげたらどうですか?そのかわり、参加したい人がいなければ、学会員さんの参列がゼロでも構いません」
とお話をされました。
 「真夜中に極寒の外で、立ったまま勤行に参加するなど、気の毒で仕方がない」
と、学会員さんの信心を尊く思われた日顕上人のお言葉でした。
 ところが、こうした何の問題もないような普通の話が、学会内部にはどのように伝わったと思いますか?
 「池田先生が日顕上人に呼び出され、『丑寅勤行に参加する学会員が少ない。もっと増やせ』と怒鳴(どな)られた」
となってしまったのです。

 

 一事が万事。平成3年以降、学会員さんが学会の会合で耳にしてる日蓮正宗の悪口、日顕上人の悪口のほとんどは、まったくの事実無根か、このように内容がスリ替えられた話ばかりなのです。

 こうした誤った情報や誤認、デマや中傷が激しくなるにつれ、創価学会は、日蓮正宗や大石寺を攻撃する集団へと変わってしまいました。そしてついに平成3年2月頃になると、創価学会では日蓮正宗の寺院に願い出ることなく葬儀や法事を独自で行なうようになりました。

 もはや「日蓮正宗は必要ない」ことを、威圧(いあつ)的な行動で示したのです
 実際、破門通告された直後の秋谷栄之助第5代会長は、「破門された日は、“精神の独立記念日”である」などといって、「日蓮正宗から破門された」ことを、歓迎する談話を聖教新聞に発表していたほどです。

 このように、一般の学会員さんが知らないところで様々な問題が発生し、結果として創価学会は日蓮正宗から破門されてしまいました。

 日蓮正宗と創価学会とが協調し、和合しながら、ともに広布に向かっていた時代を知っている人間にとって、創価学会の破門が「正法を護持」するためとはいえ、誠に残念でなりませんでした。
 なお、創価学会が日蓮正宗から破門された理由の公式見解は以下の通りです。


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創価学会が日蓮正宗から破門された理由(わけ)

創価学会設立の目的とは?
創価学会は、日蓮正宗の信徒であった牧口常三郎氏が中心となって、教育者信徒が集まり、昭和五年十一月に「創価教育学会」として創立されました。

その後、日蓮正宗の信徒団体となり、昭和二十一年三月、牧口氏のあとを受けた戸田城聖氏が「創価学会」と名称を改めて再建しました。

第二代戸田会長は、創価学会が「宗教法人」を取得するに際して宗門(日蓮正宗)に対し、

 

一、折伏した人は信徒として(日蓮正宗の)各寺院に所属させること

 

二、当山(日蓮正宗大石寺)の教義を守ること

 

三、三宝(仏・法・僧)を守ること

の三原則を守ると約束しました。そして、東京都知事より宗教法人の認証を受けたのです。

 

この時の「創価学会規則」には
「この法人(創価学会)は、日蓮大聖人御建立の本門戒壇(かいだん)の大御本尊を本尊とし、日蓮正宗の教義に基づき…」(宗教法人「創価学会」規則 昭和二十七年八月二十七日付)


とあり、総本山大石寺に厳護する本門戒壇の大御本尊を信仰の根本とし、日蓮正宗の教義に基づいて信仰する団体であることが明記されていました。これが、創価学会設立の目的です。


創価学会の本来の使命
 

牧口 常三郎氏
  「大善生活が、いかにして吾々の如(ごと)きものに百発百中の法則として実証されるに到ったか。それには、仏教の極意たる妙法の日蓮正宗大石寺にのみ正しく伝はる唯一の秘法があることを知らねばならぬ」                                            (大善生活実証録 第四回総会報告13頁)
    
戸田 城聖氏
 「日蓮大聖人様から六百余年、法灯(ほうとう)連綿(れんめん)と正しくつづいた宗教が日蓮正宗である」(戸田城聖全集 3-111頁)
 

「私たちは無知な人々をみちびく車屋である。迷っている人があれば、車に乗せて大御本尊様の御もとへ案内していくのが、学会の唯一の使命である」 (戸田城聖全集   3-113頁)
    
池田 大作第三代会長
  「わが創価学会は、日蓮正宗の信者の団体であります。したがって、私どもは、大御本尊様にお仕え申し上げ、御法主上人猊下に御奉公申し上げることが、学会の根本精神であると信じます」

                   (昭和35年5月3日会長就任挨拶 大白蓮華昭和35年6月号7頁)
    
日蓮正宗の教義に背反した創価学会
平成二年以降、創価学会は本来の使命と目的から大きく逸脱して、御法主上人および日蓮正宗をあらゆる手段を用いて攻撃し、本宗伝統の血脈(けちみゃく)相伝による下種仏法、化儀化法、信仰にも著しく背反したのです。

 

日蓮正宗は創価学会に対して再三にわたり教導しましたが、創価学会はこれを無視し、一片の反省懺悔もないまま、ますます誹謗(ひぼう)・攻撃を加えたため、平成3年11月に日蓮正宗から破門されました。

これによって創価学会は、日蓮大聖人の仏法から離れ、日蓮正宗の信徒団体ではなくなってしまいました。したがって、正法の血脈も流れ通わなくなり、御本尊の功徳も顕れなくなったのです。

このような創価学会に所属するかぎり、成仏は絶対にできません。
自身や家族の成仏のため、人生に悔いを残さないためにも、日蓮正宗寺院に詣でて僧侶の話を聞き、一日も早く日蓮正宗信徒となって、清々しく総本山大石寺に登山いたしましょう。

 

                            (日蓮正宗リーフレットより転載)

 


     

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毎月の行事

 

  ● 先祖供養 お経日  

      14:00/19:00

※日程変更あり・要確認

 

第 1    日曜日 

  ● 広布唱題会      

      9:00

 

第 2    日曜日 

    ● 御報恩 お講  

            14:00

 

お講前日の土曜日  

     ●お逮夜 お講   

            19:00

http://www.myotsuuji.info