創価学会本部

  「広宣流布 大誓堂」安置の御本尊の正体について

 

 「広宣流布大誓堂(だいせいどう)」とは、創価学会が東京都・新宿区の学会本部に建てた建物の名前です。

 

 昭和40年代後半から50年代にかけ、池田大作氏は、日蓮正宗を乗っ取って「日蓮世界宗創価学会」として作りなおし、みずからがその会長に就任しようとしました。そうした野望の塊(かたまり)、“謗法(ほうぼう)の象徴”として利用されたため、創価学会破門後に「大石寺の正本堂」は解体されましたが、その「正本堂」の代わりに、学会員さんの信仰活動の象徴(しょうちょう)として、創価学会によって新しく建てられたのが「広宣流布大誓堂」です。現在、創価学会では、かつての「大石寺への団体登山」のマネをして、全国からこの「大誓堂への参詣」を学会員さんに奨励しています。

 ところでこの「広宣流布大誓堂」に安置されている「御本尊」、実は過去に大問題となった御本尊だということを、学会員さんたちはご存じでしょうか。
 事件の詳細をご存じない方のために、「広宣流布大誓堂の御本尊の正体」についてお話ししましょう。

 

池田大作氏による「御本尊模刻事件」の真相

 「広宣流布大誓堂」に安置されている板御本尊のおおもとは、創価学会第二代会長・戸田城聖氏が日蓮正宗総本山大石寺第64世御法主・日昇上人に願い出て下付された紙幅(しふく)の御本尊です。
 この御本尊は、学会本部・広宣会館に長い間安置されていましたが、昭和49年9月に開催された日蓮正宗と創価学会との連絡会議の席上、創価学会側から「少し、御本尊が痛んできたため、板御本尊になおしたい」との申し出がありました。翌日、宗門側担当者から報告を受けたれた大石寺第66世御法主日達上人は、その申出を了承されました。日達上人は当然、「池田大作氏から正式に『学会本部常住の板御本尊』下付の申請が出される」と思われたのです。
 ところが、いつまでたっても板御本尊下付の願書が提出されないため、日達上人は、いぶかしく思われていましたが、いつのまにか池田大作氏は日昇上人紙幅の御本尊を学会傘下にあった仏具店に命じて、勝手に板に彫刻(御本尊模刻=もこく)し、学会本部に安置してしまったのです。しかも、昭和50年1月1日、池田大作氏みずからが入仏式を行なってしまいました。
 たとえ創価学会の会長といえども、日蓮正宗の信徒に変わりはありません。その信徒が勝手に御本尊を彫刻したり、総本山の許可もなく入仏式まで行なった等ということは、前代未聞の出来事でした(これが有名な創価学会・池田大作 御本尊模刻(もこく)第一事件です)。
 この第一事件は、日蓮正宗と創価学会の双方を巻き込んで大騒ぎとなりました。「先生が、御本尊様を勝手に板に彫刻して、模造品を作ってしまった!…」。創価学会員さんの間にこうした池田氏に対する不信感が広がり、全国で創価学会を脱会する人が出始めました。大混乱を見た池田大作氏は驚き、仕方なく日達上人に、すでに自分が入仏式を行なったはずの板御本尊に対して、「あらためて開眼(かいげん)法要をして欲しい」とお願いしました。
 日達上人は当初、拒否されました。しかし、池田氏が何度も懇願(こんがん)してきたことと、動揺が広がった創価学会員さんたちの信心を守るため、昭和52年11月7日、創価学会創立47周年記念法要への臨席という名目で学会本部に赴(おもむ)かれ、“例の御本尊”の入仏開眼供養を行なわれました。これにより一応、日達上人のお許しが頂けたこととなり、御本尊として拝んでも良いということに、仕方なくなったのです。しかし、当初から「日達上人の許可を得ていた」「日達上人は、許可したにもかかわらず、忘れていた」等と、日達上人に責任転嫁するのは間違いであり、すべては池田大作氏の慢心による逸脱行為が原因、というのが真相です。
 なお、池田大作氏はこれと前後して、宗門から学会側に下付されていた何体もの紙幅御本尊を勝手に模刻し、板御本尊を偽造していました(御本尊模刻第二事件)。しかし、これらのニセ本尊に関しては、日蓮正宗からは「謗法である」と厳しく指摘されました。そのため池田大作氏は、各地の会館などに安置させていた、これらの「ニセ板本尊」を回収し、すべてを「謗法払い」として大石寺に納めたのです。(第二模刻事件の結末)

 

 疑問だらけの「御本尊安置」

 このように、学会本部の「広宣流布大誓堂」に安置されている板御本尊は、日昇上人の御本尊を池田氏が勝手に模刻し、のちに日達上人のご慈悲によって、“仕方なく”お許しをいただいた「模刻第一事件」の御本尊、そのものです。

 

(疑問①)
 創価学会では「大石寺は謗法の寺」として忌み嫌っていますが、「広宣流布大誓堂」に安置されている板御本尊の元は、学会が「謗法だ」という大石寺の第64代日昇上人が書写されたものです。学会の信心の根源は、そんな矛盾(むじゅん)したものなのですか。
(疑問②)
 初代・牧口常三郎氏、二代・戸田城聖氏の信仰の原点は、「大石寺の本門戒壇の大御本尊への絶対の信心」です。ところが創価学会は現在、「大石寺の大御本尊は受持の対象とはしない」として会則を変更し、大御本尊への信仰を否定しています。
 「広宣流布大誓堂」安置の板御本尊の元は、「受持の対象としない」はずの大石寺の大御本尊を日昇上人が書写(そのまま写)されたものです。受持の対象としない御本尊の写しを、どうして学会本部に安置し、みんなで拝んでいるのですか?

 

 創価学会員の皆さん、こうした矛盾や疑問について、どのように考えられますか?
 また、大事件「御本尊模刻事件」の主役となり、現在でも学会本部に安置されている御本尊の正体を、皆さんは本当にご存知なのでしょうか。

 こうした疑問を晴らすためには、ぜひとも一度、妙通寺においでください。住職がわかりやすく丁寧にご説明します。

 

慧妙紙(平成30年2月1日号3面)掲載記事を基に、筆者が一部変更したものです。

 

 

 

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