日蓮正宗と戦争責任

                   日蓮正宗時局協議会資料収集班1班

 

【当ホームページ編者より】

※当文章は、創価学会が日蓮正宗から破門される以前の平成3年、創価学会側の「日蓮正宗は第二次世界大戦に際し戦争加担した。一方、創価学会は終始、反戦を貫いた」との主張に対して、日蓮正宗側より反論として発表されたものです。

 発表以来、30年が経過しているため、現状にそぐわない表現が含まれますが、当時の資料としてそのまま掲載します。

 

※わかりやすいように、読み仮名や但し書きなど、編者が(括弧書き)を加えたところがあります。

 

※現状において、大きく不都合があると判断する部分は削除しました(削除した旨、その都度、表記しています)

 

 

 はじめに

 今年(平成3年)3月27日の聖教新聞にシンガポール「連合早報」コラムニスト陸培春氏の「“軍国主義”加担の反省なき宗門 学会に息づく健全な国際感覚」との記事が掲載された。

 陸氏は「仏教教義の詳細にコメントしうるものではない。」と述べておられるので、日蓮正宗信徒ではないと思われる。したがって、今回の創価学会の教義違反問題について、正しい理解をしていただけるかどうか不安があるが、一応この問題について考えてみたい。

 

1.陸氏に渡された資料

 まず、今回(平成3年時点)の問題について、陸氏に渡された資料は、一方的なものではないかとの疑問がある。無論『聖教新聞』に掲載されるぐらいであるから、資料は創価学会から渡されたと想像できる。また、近頃の『聖教新聞』の論調から見て、「識者」に公正な判断を願うよりも、創価学会に不利な資料は隠し通し、自分達の主張だけを伝える資料と、恐らくコメントまで添えて「識者」に見せていると想像される。

 しかも、陸氏の記事を読めば、創価学会の正規の出版物ではなく、出所不明の「怪文書『地涌』」に掲載された資料であることは明らかである。もし『聖教新聞』の記事だとしても、その元は「怪文書」であることは否定できない。

 もっとも、『聖教新聞』『中外日報』『地涌』が、密接な関係にあることは周知の事実であるから、どうでもよいことかもしれない。ただ陸氏も、将来、創価学会とどのような関係になるかしれないので、彼等の卑怯なやり方を憶えておく必要があるかと思うものである。

 

2.日蓮正宗は慈悲が根本

 日蓮正宗の戦争責任や平和問題を論ずるときには、日蓮正宗が仏教団体であることを、まず考えていただきたい。すなわち、不殺生ということが、基本的に思想の根幹に存するのである。しかも、日蓮大聖人の仏法では、全ての衆生が最高・最勝の宗教によって、内面的に慈悲あるれる存在になり、はじめて真の平和が来ると考えるのである。社会的・妥協的平和よりも、全人類の人格向上による、宗教的平和を求めるということを、理解すべきである。

 

3.帝国拡張主義の潮流

 さらに、第二次世界大戦前後、日本・ドイツ・イタリアの三国ばかりでなく、戦勝国となった欧米諸国も、帝国拡張主義の潮流の中にあって、自国の利益のために、アジア・中央・アフリカに対して、競って権益を求めていたことには異論がないであろう。

 中にも、日本は創価学会二代会長戸田城聖氏が、「軍部の偉大な権力は狂人に刃物」と表現しているように、天皇の神格化と軍部の独裁ははなはだしく、一国の民衆はその圧制下にいたのである。しかし、民衆自身も領土拡張の戦争には反対ではなく、ごく一部を除いて政府の広報やジャーナリズムの扇動に踊ってしまったことも御存知であろう。

 その意味では、過去の日蓮正宗の僧俗も、これらの帝国拡張主義の潮流の中で、流れに抗することなく賛同加担していたのは事実である。

 その結果、実相の全ては未だ明らかとはなっていないものの、アジアの近隣諸国の民衆を、極めて悲惨な状況に堕ち入らせてしまったのである。

 このことに関していえば、これらの諸国民に対して、日本国民は深く陳謝しなければならない。

 

4.日蓮正宗の戦争加担

 これを前提に、日蓮正宗と戦争加担について考えてみると、陸氏の取り上げた「神札(かみふだ)問題」の起こった昭和18年頃は、意教義唱えたことによって日蓮正宗の教団から追放(擯斥)された小笠原慈聞氏が、軍部やそれにつながる日蓮宗身延派と一緒に「水魚会」というグループをつくり、日蓮宗身延派と日蓮正宗との合同、すなわち日蓮正宗を乗っ取ろうともくろんでいたのである。

 小笠原氏は、警察に対し、日蓮正宗(大石寺)が「不敬罪(ふけいざい)」に当るとして、

 一、御本尊の七字の題目の下に、天照太神が納められている。これは、仏を主として神を軽んじているから不敬である。

 二、管長猊下の猊下という呼称が、天皇陛下の陛下に通ずるから不敬である。

という理由で告訴した。

 もしこの時、彼等に何らかの理由を与えれば、日蓮正宗はただちに他の宗派(身延派)に合併(がっぺい)させられ、軍部及び身延派の支配下に置かれたであろう。

 

 信ずる宗教の異なる陸氏には判らないことかもしれないが、これは大変なことなのである。

 例は適当といえないば、イスラム教徒がキリスト教徒にメッカのカーバ神殿を占領され、カソリック教徒がヴァチカン宮殿を異教徒に占領されるようなものだといえば、多少判ってもらえるかもしれない。

 しかも、「偶像(ぐうぞう)崇拝(すうはい)」を極度に嫌うイスラム教やキリスト教ならば、具体的な信仰の対象(本尊)がないのであるから、聖地が汚されただけのことであるかもしれない。しかし、日蓮正宗には具体的な「根本的崇拝」の「法体」が存するのである。すなわち、本門戒壇の大御本尊である。また、御法主上人には、宗祖日蓮大聖人よりお一人だけに伝えられた教義的秘伝が伝わっているのである。したがって、御法主上人に投獄・獄死の事態が起これば、日蓮正宗にたとえ大勢の信徒・僧侶がいたとしても、その宗教生命は、そこで断絶(だんぜつ)してしまうのである。

 その至上(しじょう)の「法」を、軍部や身延派から守るために、やむなく行なった妥協が、「神札」を受けることであった。決して軍部におもねったのでもなく、国家神道に賛同して喜んで受けたのでもない。一身を捨てることは大変なことかもしれないが、「法」を守ることは、それ以上の大事である。

 日蓮大聖人の平和思想が、世界の人々がみなこの御本尊を信仰することによって達成できると信じている日蓮正宗僧侶が、大御本尊と御法主上人を守るためにとった行動であるから、戦争協力などという非難には、当惑せざるをえないのである。

 

 しかも、前(第66世)御法主日達上人は、

 「軍部が神札を祀れという問題ね、あれは(昭和)十二年のころ、兵庫県芦屋在の精道村の神主が、日蓮宗の本尊に天照太神を下の方に小さく書いてあるのは、不敬罪だと告訴したことに始まるんです。

 法華本門宗の三好という僧侶が、やはり本尊問題から不敬罪に問われて、当局にあげられましてね、これから神棚問題が起きてきました。(日蓮宗)勝劣派でも神棚を祀らないと反抗しましたから、いじめられたようですね。

 それから間もなく政府から日蓮宗全体に『天照太神をしたためてある理由』の解釈を要求してきました。これには各派が非常に困ったらしいですよ。(日蓮)正宗では、堀米猊下(65世日淳上人)がこの会に出席されたんですが、本宗の立場から堂々とのべられました。

 このとき、宗門としても神札を祀るなんてことはできないからね、一応うけるだけ受け取って、住職の部屋のすみでも置いておこうという話になったわけです」

と仰せである。

 また日達上人は

 「昭和十八年の、戦争がいよいよ盛んになった時に、国で(大石寺大書院という建物を)借り上げてしまった。国に借りられてしまったわけです。その時にその書院を『中部勤労訓練所』ということにされてしまったのでございます。(中略)その時に所長である上中甲堂という人が、書院の上段の間へ天照太神のお札を祭ったんです。

 それに対して、こちらは再三異議を申し立てたんですけれども、しかし国家でやる仕事である。国の仕事であるから、いくらこちらで何を言っても、それは及びもしない。なんとも仕方がないから、そうなってしまったのであります。(中略)別に我々がその天照太神のお札を拝んだことなどありもしない。また、実際その中(戦争中、国に借り上げられていた大石寺の大書院という建物)へ入って見たこともない。入れてもくれない。まあ借家同然で、借家として貸したんだから向こうの権利である。そういうような状態であって、決して我々が天照太神のお札を祭ったとか、拝んだとかということは、事実無根であります」

とも述べられている。

 すなわち、日蓮正宗僧侶が、好んで「神札」を受け取ったわけでもなく、また実際に「神札」を祀(まつ)ることもなかった。軍部に随っているように見せて、実質的には無視したのである。

 陸氏の引用されている「神社参拝」の件も、お判りになるように、文部省が各宗教団体に通達してきた布告を、そのまま掲載したものである。(日蓮正宗の)宗務院のコメントとして、この通り忠実に実行せよとの言葉はあるが、これも政府の指示によるものである。

 実際問題として、日蓮正宗の僧侶は、日蓮大聖人より伝統として、神社参詣はしないのが教義であるから、このような通達によっても、事項はなされなかったであろう。消極的な日蓮正宗僧侶より先に、積極的な在郷軍人会や、市町村・隣組等の自治組織、学校その他の教育機関において、すでに強制実施されていたはずである。

 結論として、日蓮正宗の戦争加担は、国民一般の感覚以上に突出していたとはいえない。また、一切衆生救済の根本尊崇の大御本尊と、一切衆生の信仰を正しくするために、日蓮大聖人から伝えられた教義の秘伝を軍部の圧政と日蓮宗身延派等の野望によって破壊侵害されないために、表面上国策に従い、実際にはそれも無効にしたのである。

 さらには、御本尊を護ることが、究極的に人類の幸福・世界平和のためであると信じての行動であった。また、現時点の我々から見てもやむないことであったし、その時においての適切な行動であったと信ずるのである。

 抵抗活動は強行であることが、必ずしも最善ではないであろう。

 

5.戦後の反省

 戦後において、日蓮正宗の僧侶から戦争責任に関する、反省の意見が、これといってないようにみえるかもしれない。しかし、現(67世)御法主日顕上人猊下は、日蓮正宗の勤行の根本である「丑寅勤行」(毎日午前2時30分より始まる)において、毎日、世界平和を御祈念あそばされておられるのである。

 また、日蓮正宗の勤行の第4座では、戦前「天皇陛下護持妙法一天四海本因妙広宣流布」云々と御観念していたが、戦後、「天皇陛下護持妙法」を削除して、「一天四海本因妙広宣流布」云々だけに変更された。この「一天四海本因妙広宣流布」とは、「世界中の人々がみな正しい宗教を持って幸せになれますように」との「究極の平和」を念願する意味である。

 日蓮正宗僧侶は、世俗的な活動・アピールこそ行なわないが、僧侶の本分に立って、心の底から世界平和を願っているのである。

 さらに私たちは、戦死した人々を回向供養することによって、再びこのようなことの起きないよう祈念しているのである。金銭を浪費して、世界に自分の名前を売り込むより、信仰者の本分において、地道に人類の幸福と平和を祈っていきたいと考えるものである。

 

 

6.創価学会と「反戦」運動

 次に、陸氏は「戦争責任」問題について、日蓮正宗と創価学会の対比において論じられているので、創価学会側についても論じなければ○○○○(「一方的だけでは足りない」という意味で使われたものですが、現在は差別用語と理解されるため削除しました)であろう。

 創価学会は、牧口・戸田両氏の入獄を「反戦活動」によるものと主張しているが、両会長の受難は「反戦活動」によるのではなく、まさに「宗教上の理由」によるものである。

 その宗教上の信念の受難に対して、日蓮正宗僧侶は、宗教上、尊敬してやまないのであるが、これを「反戦」といわれると不思議に感ずるのである。

 

7.牧口会長と戦争

 牧口氏は、昭和17年12月31日発行の『大善生活実証禄』(創価教育学会第5回総会報告)の座談会において、神社問題を取り上げて、

 「この問題は将来も起ることと思ふから、此際(このさい)明確にして置きたい。吾々は日本国民として無条件で敬神尊祖をしてゐる。しかし解釈が異るのである。神社は感謝の対象であって、祈願の対象ではない。吾々が靖国神社へ参拝するのは『よくぞ国家の為に働いて下さった、有難うございます』といふお礼、感謝の心を現はすのであって、御利益をお与へ下さいといふ祈願ではない。

 もし、『あゝして下さい、こうして下さい』と靖国神社へ祈願する人があれば、それは恩を受けた人に金を借りに行くやうなもので、こんな間違った話はない。天照太神に対し奉っても同様で、心から感謝し奉るのである。

 独り天照太神ばかりにあらせられず、神武以来御代々の天皇様にも、感謝奉ってゐるのである。

 万世一系の御皇室は、一元的であって、今上陛下こそ現人神(あらひとがみ)であらせられる。即ち、天照太神を初め奉り、御代々の御稜威は現人神であらせられる。今上陛下に凝集合されてゐるのである。

 されば吾々は神聖にして犯すべからずとある『天皇』を最上と思念し奉るものであって、昭和の時代には 天皇に帰一奉るのが国民の至誠だと信ずる。『義は君臣、情は父子』と仰せられてゐるやうに、吾々国民は常に天皇の御稜威の中にあるのである。恐れ多いことであるが、十善(じゅうぜん)の徳をお積み遊ばされて天皇の御位におつき遊(あそば)されると、陛下も憲法に従ひ遊ばすのである。即ち人法一致によって現人神(あらひとがみ)とならせられるのであって、吾々国民は国法に従って天皇に帰一奉るのが純忠だと信ずる。天照太神のお札(おふだ)をお祭りするとかの問題は万世一系の天皇を二元的に考へ奉る結果であって、吾々は現人神であらせられる天皇に帰一奉ることによって、ほんとうに敬神崇祖することが出来ると確信するのである。またこれが最も本質的な正しい国民の道だと信ずる次第である云々。」

と述べている。

 創価教育学会第五回総会では、続いて某氏の軍歌独唱があり、西川理事の閉会の辞があった。西川氏は、その中で

 「いまや、皇国日本か、北はアリューシャン群島方面より遙かに太平洋の真ん中を貫き、南はソロモン群島付近にまで及び、更に南洋諸島を経て、西は印度洋からビルマ○○(中国のことを表わす用語があるが、現在では差別的に扱われるため削除した)大陸に、将又(はたまた)○○(中央アジア方面を表わす言葉。同じく差別的とされるため削除)満州に至るの広大な戦域に亘り、赫々(かっかく)たる戦果を挙げ、真に聖戦の目的も完遂(かんすい)せんとして老若男女を問はず、第一線に立つ者も、銃後に在る者も、いまは恐らく戦場精神によって一丸となり、只管(ひたすら)に目的達成に邁進しつゝあることは、すでに皆様、熟知されるところである」

等と述べている。

 このほか、『大善生活実証禄』には、これに類した発言が随所にある。

 これらの言葉から、牧口氏をはじめ創価学会が「反戦団体」で、太平洋戦争に反対し、東南アジア侵略を非難したとは考えられない。

 また、牧口氏は、獄中より家族に送った書簡に

 「洋三戦士ノ御文、(中略)病死ニアラズ、君国ノタメノ戦死ダケ、名誉トアキラメテ唯ダ冥福ヲ祈ル信仰ガ、一バン大切デスヨ」

等と記している。

 この書簡は、獄中からのもので検閲もあり、通常の牧口氏の気持ちと同じだというのは残酷(ざんこく)だろう。しかし、いえることは、牧口氏もやはり当時の一般的日本人と同様の感覚で戦争を捉え、帝国拡張主義に同意していたことである。

 牧口氏は日蓮正宗の信仰を第一として、「神札」を祀ってはいけないというのである。これは、日蓮正宗の信仰者として、私達の尊敬できる点であって、究極的平和のためには、単なる「反戦活動」より、ずっと大きく評価すべきことと考えるのである。

 私達にしてみれば、牧口氏が靖国神社参詣に肯定的であったことは、今回、はじめて知ったことで、まことに衝撃的なことであった。

 牧口氏の国家神道観によれば、「天皇(現人神)」に天照太神以来の神が、全て集約しているという一元論に立脚して、神棚・神札を受持しなかったということである。ただし、牧口氏のこの意見は、日蓮正宗の教義として、正しいとはいえない。たとえか「感謝」の気持ちにしても、「靖国神社参詣」は教義違反である。

 また、「天皇陛下は『現人神』であり、天照太神以来の神が集約している。したがって、天皇を崇拝することが『天照太神』尊崇にあたる」との意見も正しくない。日蓮大聖人の教えにおいては、天皇を「現人神」と考えない。天照太神は天皇家の祖先であり、ひいては日本民族の祖先の代表としての「神」と見做すのである。日蓮大聖人の御本尊の中に、「天照太神」が認(したた)められている意味の一つはここにある。

 このように記すと、陸氏等の心に不安がよぎるかもしれないが、大御本尊の中には仏教創始の国インドの神である梵天(ブラーフマナ)・帝釈(インドラ)も認(したた)められているのである。

 一応、インドと日本の「神」を代表しているが、世界全民族の「神」も納められるのが本意である。

 日蓮大聖人の御本尊(大曼荼羅)のお姿については、御書(教義書)に

 「されば首題の五字は中央にかかり(中略)加之(しかのみならず)日本国の守護神たる天照太神・八幡大菩薩・天神七代・地神五代の神神・総じて大小の神祇等・体の神つらなる・其の余の用の神、豈(あに)もるべきや(中略)此の御本尊の中に住し給い妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる。是を本尊とは申すなり」

と仰せである。世界全民族のみならず、世界の生命あるもの全てが、「妙法」すなわち最高・最勝の宗教によって、みな幸福になり、本来の生命を活かして平和に生きる姿が、大曼荼羅の顕わす意味あいである。すなわち、私達の目指す究極的平和の姿である。

 したがって、牧口氏の「現人神天皇」一元的神祇観は、日蓮正宗伝統の教義ではないことを注記しておく。牧口氏は、あくまで自身の宗教的信念から、「神札拒否」を貫いて入獄したのであることを確認しておきたい。

 

 

8.戸田会長の「反戦」感覚

 次に、創価学会2代会長戸田城聖氏であるが、戸田氏には昭和18年頃出されたと思われる「通牒(つうちょう)」と称する文書がある。

 

 『創価教育学会各理事 各支部長殿   理事長 戸田城外(城聖)

   通牒   時局下、決戦体制の秋、創価教育学会には益々尽忠報国の念を強め会員一同各職域に於いて、その誠心を致し信心を強固に ○○(難読)米英打倒の日まで戦い抜かれんことを切望す。

 依って各支部長は、信心折伏について各会員に重ねて左の各項により、此の精神を徹底せしめんことを望む。

一、毎朝天拝(初座)に於いて御本山の御指示通り 皇祖天照太神皇 宗神武天皇肇国以来御代々の鴻恩(こうおん)を謝し奉り、敬神の誠を致し国運の隆昌 武運長久を祈願すべきことを強調指導すべきこと。

一、学会の精神たる天皇中心主義の原理を会得し、誤りなき指導をなすこと。

一、感情及利害を伴へる折伏ははさざること。

一、創価教育学会の指導は生活法学の指導たることを忘る可(べ)からざること。

一、皇大神宮の御札(おふだ)は粗末(そまつ)に取り扱はざる様 敬神崇祖の念とこれを混同して、不敬(ふけい)の取り扱いなき様 充分注意すること。 六月二十五日』

 

 この「通牒(つうちょう)」は、牧口・戸田両氏をはじめ創価学会幹部が、総本山に呼ばれて「神札を配ってきたならば受け取っておくように、すでに神札を祀っているのは無理に取らせぬこと、御寺でも一応受け取っているから、学会でもそのように指導するようにせよ」といわれたという、昭和18年の文書ではないかと思われる。

 戸田氏の苦衷(くちゅう)も察するに余りある。大御本尊を他宗派の管理下におきたてまつる危険を避けるため、また御法主上人の投獄(とうごく)による血脈断絶に至らしめないため、さらに一般会員を守るために、やむなく出した文書であろう。

 この文書について、創価学会は「偽作文書」だというのである。その理由は、「某寺の若い住職がこの文書を取り上げて、『戸田氏の自筆だ』といった。しかし、この文書は戸田氏の自筆ではない。したがって、この文書は偽物である」との三段論法である。

 同文書のコピーを添付しておく(当ホームページでは、『通牒』のコピーは掲載しません。写しを見たい場合は、日蓮正宗発行の『創価学会のいうことは こんなに間違っている』との書籍等をご覧ください)ので、真偽の判断は御自分でされるとよいが、謄写版刷りの文書であるので、戸田氏自身が書いたかどうか不明である。しかし、戸田氏が他人にガリ版を切らせても偽物とはいえない。「教育学会」を名乗り、事実、教師が多かった創価教育学会には、ガリ版切りの名人が相当いたであろう。

 

 9.戦後の戸田会長の「反戦」

 戸田氏は、この後、牧口氏とともに入獄し、昭和20年7月、出獄したのである。その入獄の理由も、牧口氏と同様、宗教的信念によるものであることは、いうまでもない。

 終戦近くまで牢獄にいた戸田氏には、「通牒(つうちょう)」以外にこれといった発言がないので、戦争に対する考え方は判らない。

 戦後の昭和32年9月8日、横浜において「原子爆弾を使用するものは死刑にすべきだ」(取意)との戸田氏の発言があるが、これが創価学会の反戦団体と主張する元となっているようである。

 もちろん「原水爆禁止」は、世界の民衆の声であって(死刑の是非はさておいて)、私達も大賛成であるが、戸田氏の反戦的発言は、これ以外に見当たらない。

 むしろ、昭和20・30年代の創価学会は、常に軍歌の替え歌(学会歌)を歌って士気を鼓舞した団体であり、青年部も○○部隊の名称を用いて活動していた。したがって、軍国主義に敏感であった当時の世間からは、軍国主義的団体・好戦的団体と、奇異の目で見られていたのである。

 終戦の余燼(よじん)いまださめやらぬこの時代に、平気で軍国主義を連想させるような歌を歌うのであるから、軍国主義や東南アジアの人々に対する反省の気持ちないといってはよいであろう。まさか、「自分は投獄されたから、軍国主義に責任はない、したがって軍歌を歌ってもかまわない」などという理由付けをするはずもないだろうか。

 つまり、戸田氏は「法華経の故に」難に遭ったのであって、平和運動や反戦運動が原因ではない。また、難に遭った戸田氏自身が、戦後(昭和26年)日蓮珠洲の僧侶について、

 「わずか小勢百数十人の僧侶が、愚僧、悪僧、邪僧充満の悪世に、よくたえるもので、大聖人の『ご出世のご本懐(ほんがい)』たる弘安二年十月十二日ご出現の一閻浮提総与(そうよ)の大御本尊(令和に入った現在も、総本山大石寺に安置されている本門戒壇の大御本尊のこと)を守護したてまつって、七百年間、チリもつけず、敵(てき)にもわたさず、みなみな一同、代々不惜(ふしゃく)身命(しんみょう)の心がけで、一瞬も身に心に心身一つに、御本尊を離れずに、今日にいたったのである。(中略)この上に、大聖人のご教義は、深淵(しんえん)にして、厳(広)博であって、愚侶の伝えうべきことではないのに、賢聖時に応じてご出現あらせられ、ということは、仏法ー真実の仏法哲学を滅しないことであり、実に偉大なる功績(こうせき)ではないか。 以上、この二つのご功績は、これ日蓮正宗僧侶の大功績と称(たた)えなくてはならない」

と、戦時中の日蓮正宗僧侶の行動を全く非難していない。

 この後、「神札問題」等に関して、多少宗門批判的言辞はあるものの、創価学会の活動自体、全く日蓮正宗の教義に依存し、総本山大石寺に参詣することによって、信徒の幸福を願ってきたのである。

 したがって戸田氏から見ても、(日蓮正宗僧侶の戦時中の)僧侶の行動が非難に当らないことを証明しているのである。「七百年間、チリもつけず、敵にもわたさず(乃至)なんら損するなく、なんら加うるなく、今日まで清純に、そのままに伝えられた」等の言葉を、よく考えてほしいのである。

 さらに、戦前の創価教育学会は、海軍大将・野間口兼雄氏を顧問の一人に戴いていた団体である。このことからも、「反戦活動」が方針であったとは、とても思えないのである。むしろ、創価学会が、なぜ今になってから、牧口氏・戸田氏が反戦であった、創価教育学会が「反戦団体」であったと、歴史を塗り替えたいのかが問題となろう。

 

 

↑当時の戸田理事長(のちの2代会長)名によって、創価教育学会員に対してだされた『通牒』という文書。「皇大神宮の御札(おふだ)は粗末(そまつ)に取り扱はざる様 敬神崇祖の念とこれを混同して、不敬(ふけい)の取り扱いなき様 充分注意すること。 六月二十五日」と明らかに示されている。

 

当時、戸田城聖氏は、「城外」と名乗っていたことは、ほとんどの創価学会は知らないことだろう。この文書では、その通り「城外」となっていることからも、真書であることがわかる。

 

 

 

 

10.池田名誉会長の反戦活動

 では、第3代会長、現名誉会長(令和3年現在)池田大作氏はどうであろうか。

 池田氏が、なぜ戦争に行かなかったのかはよく知らないが、当時、反戦を強く叫んでいたなどという話も聞いていない。軍隊まがいの当時の創価学会組織において、部隊長や参謀(さんぼう)を務めたのは周知の事実であるが、戦争に対して反省の心があれば、戸田氏に別の形の組織をつくるように、進言もできたのではないか。

 また、現創価学会(平成3年当時)の最高指導会議議長・和泉 覚氏は、戦時中、憲兵(けんぺい)であったと聞き及んでいるが、戦後、常に創価学会の中枢の地位にいた和泉氏の口から、戦争に対する反省や、東南アジアへの侵略に対する反省の言葉を聞いた憶えがない。なぜだろうか。

 

11.近年の平和運動

 それはさておき、近年の池田氏の「平和」運動が、かなり多くの人の評価を得ているとの記事が『聖教新聞』にしばしば掲載されている。それなら、それで結構なことである。私達も、今まで「平和運動」についての記事を読んで、陰ながら賛同してきたのである。

 ただ、池田氏の「平和」論が、私達の目的とする「究極的平和」、すなわち「宗教的平和」と異なり、「妥協的・社会的平和」にしか過ぎないことに違和感はあったのである。しかし、これも現実的にまず休戦し、互いの殺戮を止めてから、正しい宗教による究極の平和を目指すものと、好意的に解釈してきたのである。

 

 

12.創価学会の体質と反戦平和

 しかるに、今回(平成2年以降)の(宗門攻撃)問題が起こってからの創価学会は、言論・腕力・経済封鎖など、ありとあらゆる暴力をもって、宗門いじめに没頭し、はじめは(今でも創価学会員に対しては同じである)「人権」などといっておきながら、他人(僧侶)に対しては、平気で人権無視を行なっているのである。

 個人名を出して、僧侶が「堕落(だらく)」しているという実例を挙げ(多く事実無根・歪曲である)、(日蓮正宗の)寺院に参詣したい人を実力で阻止(そし)し、執拗(しつよう)な「説得」で信徒を嫌がらせ、寺院においての法要・供養が根拠のないものである(多く教義・歴史の歪曲)等と、『聖教新聞』等に大々的に掲載し、私達が最も大切にしている総本山の行事まで攪乱(かくらん)したのである。(以下240文字強は、事実認定が確定していないため、削除します)

 自分の「人権」のみ主張して、他人の人権を無視する。意見が違う人には大勢での○○(確定していない表現なので削除します)行為も辞さない。情報は一方的に流して、会員が他の情報に接するのを防止する。もちろん、人の意見には耳も貸さない。他人を備考してスキャンダル(本当かどうかも不明)を暴露し、寺院に参詣しようとする人を、青年部が門前で追い返す。もし寺院に参詣したことが判れば、その人は幹部の執拗(しつよう)な訪問を受けて、今日はまがいの言葉で二度と寺院にいかないように「説得」される。陸氏等は信じられないであろうが、私達も信じられない状態(平成3年当時)である。しかし、これが創価学会の実像なのである。

 このような体質の人達のいう「平和」とは、どのようなものだろうか。このような感覚の下での「民主主義」は、どのようなものになるのであろうか。このような人達と「仲よく」するためには、どうすればよいだろうか。

 いま私達は、池田名誉会長が「反戦平和主義者」であることに、大きな疑問を持つに至ったのである。

 私達の目には、最近(平成3年当時)の池田氏の行動が、かのイラクのフセイン大統領の姿と二重写しになって仕方がないのである。「民衆」に媚びて「人気」を盛り上げる一方、他国が弱いとなると、遠慮会釈なく攻め込む。反対勢力を防止するために、親衛隊を使って脅し、陥れ、抹殺も平気で行なう。国内で自分の立場が批判されそうになれば、他国に責任を転嫁して、「民衆」の注目をそらす。このように「民衆」を操(あやつ)り、欺(あざむ)いて、自分の意志のままに、全ての物事を運んでいく。まことに巧(たく)みであるが、まことに恐ろしいことである。

 これでは、私達も池田氏の「反戦平和」に賛同するわけにはいかない。他国の人達にこのような「民主主義」を輸出するわけにはいかないのである。(以下略)

 

13.正しい事実の確認を

 陸氏も、私達のいうことが信用できなければ、来日してでもぜひ現実を見ていただきたい。それが無理ならば、信用のおける日本のジャーナリストに「真実はどうか」と尋ねてほしいのである。もし、『聖教新聞』しか信用できないのであれば、もう何もいうことはない。私達は、陸氏がその程度の人であると判断するだけである。

 

 

おわりに

 戦争責任・戦争加担を考えることは、まことに大事なことである。日本国民に反省が足りないといわれることには、異論もある人もいようが、東南アジア諸国の戦争の傷跡と現実を見れば、確かにお詫びが足りないといわれても、仕方がないであろう。また、今後、決して戦争にいたぬように、人間同士が傷つけあうことのないように、誓っていくのは当然である。

 いま(平成3年当時)、創価学会が反戦平和運動に努力するのもよいことである。しかし、太平洋戦争中からそうか教育学会が反戦団体であったとか、牧口・戸田両会長が軍国主義に抵抗して入獄したということは事実ではない。権力に抵抗したことは事実でも、あくまでも宗教的信念によってである。

 現在(平成3年当時)、創価学会が何を目的として、このような作りごとをするのか判らないが、都合が悪くなると過去の歴史を書き換えるのは正しいことだと思えない。過去は過去として正直に反省し、未来に誓いを立てることが何よりも肝心なことである。戦争責任の反省、反戦・平和主義というのは、そこに根本があるのではないだろうか。

 不正直・暴力・人権抑圧の中には、民主主義も平和もありえない。互いの人格向上を召さない口先だけの平和主義は、湾岸戦争のように、停戦と同時にまた次の抗争が始まるのであって、結局何の解決にもならないであろう。まして、平和を唱える本人が不正直であっては、いつまで経っても真の世界平和は実現しないであろう。

 陸氏には、ぜひ公正公平な感想を、今一度、発表していただきたいものである。

 

毎月の行事

 

  ● 先祖供養 お経日  

      14:00/19:00

※日程変更あり・要確認

 

第 1    日曜日 

  ● 広布唱題会      

      9:00

 

第 2    日曜日 

    ● 御報恩 お講  

            14:00

 

お講前日の土曜日  

     ●お逮夜 お講   

            19:00

http://www.myotsuuji.info