幸せとはなにか?

 

 南無妙法蓮華経こそ最高の心の財、幸せをみつける糧

 

 日蓮大聖人は「親孝行の者に横死なし」と教えられ、親孝行こそ、人間としてもっとも大切な、そしてもっとも基本となる報恩行であることを教えられています。
 そこでその「親孝行」を考えるとき、一番大切なことは、南無妙法蓮華経の信仰によって親を幸せに導いて行くということです。

 では、なぜ信心を勧めることが、最高の親孝行になるのかということを、我々はきちんと認識し、絶対の確信をもっていくことが大切だと思います。そうでなければ、両親の折伏はもちろん、知人・友人に何を話すにしても、確信が持てないまま、なんとなく「信心しない?」では説得力がありません。あるいは、法統相続したいと願い、子どもたちに「信心しなさい」と言って「なんで?」と聞かれ、うまく理由が説明できないままに、「いいから、やりなさい!」では、話にならないと思うからです。

 

「幸せ」とはなんだろう?
 そこでまず考えるべきことは、「幸せ」とは何か、ということです。

 私たちの周りには、「お金があることが幸せ」と考える人がいます。「家族が仲良し、それが幸せ」という人もいます。「健康な体こそ幸せの絶対条件だ」と考える人もいれば、「大好きな人と一緒にいられるのが幸せ」と思う人もいるでしょう。ですから、私たちが安易に、「この信心をすれば、幸せになれます」と言っても、「私は今、幸せですから、信心は必要ありません」となってしまうことが多いのです。

 

 お金があるということ。あるいは「家族が仲良し」「健康」など、それらは幸せの一つの条件ではあるかもしれません。しかし、一生それがずっと続く訳ではないのです。

 「財産やお金」は永遠のものではないのです。あるいは、「家族が仲良し、それさえあれば幸せ」だと。でも、いつかは順番に死んでいきます。「家族の和」だけが幸せの絶対条件なら、誰かが亡くなったら、その人の幸せは、そこで終わってしまうのです。

 健康が幸せ。これだって、ぜったいに誰でもが病気になるのです。そうすると、病気になった時点で幸せは無くなってしまうのです。ですから私たちは、もう少し深く、「幸せ」ということについて掘り下げて考えていく必要があると思います。

 

幸せは、他からもらうものではなく、自分でみつけていくもの。

 キリスト教では、本来の「幸せ」は個々の人間の努力によってどうにかできるようなものではなく、神様からの恵み(恩寵)によって、人は幸せを得ることができると教えます。これに対して仏教では、まったく逆で、幸せは、自分自身が、自分自身の命の中に見いだしていくもの。外から幸せがやってくる、誰かから貰うのが「幸せ」なのではなく、自分の中に見いだしていくものである。それが仏教の立場なのです。このことが分からず、悩み、苦しむ人が、今の日本には、あまりにも多いのです。

 

自殺ということ。

 最近、若年層の自殺が増えているそうです。そのような、本当に寂しい、気の毒な子どもたちは、どのような思いをしているかというと、イジメを受けたり、いろんな問題を抱えていたとしても、最後には、他人に対する恨みで死んでいくことは、ほとんどないと言います。

 他人を恨んだり、いじめた人への仕返しのために、自ら命を絶つのではなく、ほとんどの子どもが

 「自分は生きている価値のない人間なんだ」

と、「自分が悪い」「家族に迷惑をかける」「生きる価値を見つけられない」という悲しい理由ばかり。自分自身の心に、何ひとつ良い所(財)を見つけられない。そうした絶望の中、亡くなってしまうというのであります。なんともやりきれず、悲しい限りです。

 

 

信仰なんかしなくても、幸せな人はたくさんいる?

 私たちはよく、「この信心をすれば、幸せになれますよ」とは言いますが、厳密に言えば、「正しい信心をすれば、最高の幸せを見い出せますよ」ということなのです。

 「生きていく価値。自分にとっての、本当の幸せをみつけていくための信心なんですよ」と言うことなのです。

 

 お寺や神社で、お祓いしてもらったりして、ラッキーなことをあてにする。それが信仰だと考える人が多いものですから、そうしたものに反発して、「信心して幸せになるなんてウソだ」とか、「信仰しなくたって、幸せな人はたくさんいるじゃないか」と、そういう否定的な考えを持ってしまうのです。
 そうではなくて、この日蓮大聖人の信仰は、自分にとっての最高の幸せを見つける羅針盤である。言い方を変えれば六根清浄のための信心なのです。

 お題目を唱えて我々自身の六根を浄化していく。自分の目で、本当に正しいものを見極めていく力を身につける信心なんだと。耳もそうです。自分をだまそうとしている悪意の言葉と、自分にとって身になる善意の言葉を、きちんと聞き分ける。そういった耳をもつための仏道修行なんだと。あるいは、短気な性格で、すぐにカッとなってしまって、自分の人生、今まで、すべてをぶち壊してきてしまった。そういう修羅の命、怒りっぽい性格は、仏教では実は、非常に臆病な、弱い心の表われが、怒りであると教えるものでありまして、そういう弱い心を鍛え直すための信心なんだと。

 

他人を心配できる人が、本当に幸せな人であるということ 

 このように、「幸せになるための信心」は、「自分で最高の幸せを見つけるために、自分の心、命を磨いて、正しいものを選んでいける、そのための勤行であり、唱題なんだ」ということでありまして、そのためにこそ、今、困っていなくても、若い人でも、年配の人でも、誰もが、これから真剣に生きていく。今日一日を、よりよく生きていくための信心なんだということ。もっといえば、弱い人を助けてあげられるような人間になっていく。他人に迷惑をかけない人間になる。そのために命を磨く信心が、この南無妙法蓮華経の信心なんだと私たちは確信し、それを、教えていくことが折伏につながっていくと思うのです。

 

やっぱり「仏教」でなければ、結果は出ない

 そこで次に、なぜキリスト教でもなく、真言宗でもなく、天理教でもなく、「日蓮正宗の信仰」でなければならないのか。それはすでに、皆さんがよくご存じのとおり、まず第一に、因果応報の道理をきちんと説く教えは、世界中にある数多くの宗教のなかでは、仏教だけなのです。この大原則、因果応報ということは仏教以外には絶対に説かれない。仏教以外は、ほぼ、すべての宗教は、特別な存在である神様が、みな人間も作ったし、世界も作った。幸せは神様からもらうものだし、悪いことをすれば、有無も言わさず地獄につき落とす。だから悪いことはしてはならないと教えるのが、世界宗教の共通の認識であり、ただ仏教だけが、全部、自分の振るまいなんだと。幸せは、他人から、仏様や神様からもらうものではなく、自分で見つけていくものなんだと教えるのは、仏教だけであります。

 

 さらにその仏教においても、どんな人も平等に、仏のような智慧を持ち、かならず生きがいと喜びをもって生きていくことができる。それが説かれるのは、一念三千という教えが説かれている「法華経」以外にはないわけでありまして、さらに言えば、末法という時代に生きる我々が、成仏していくのは、その法華経の命である南無妙法蓮華経以外にはありえない。

 

親が健在でも亡くなっていても、最高の親孝行は、南無妙法蓮華経の信心によって、初めて叶う、ということ

  そこから考えるならば、人として生まれてきたそれを深く感謝し、何よりも大事な両親、親に恩返しをしていくには、親が已に亡くなっているなら、親が生まれ変わって最高の幸せを見いだすことができるように、血や肉を分けた子ども達が、しっかりと塔婆をたてて、追善回向していく。塔婆を通して、子供たち、孫たちが真剣にお題目を送っていけば、亡くなったご両親の心に感応道交して、ご両親の迷いの心が浄化され、正しい物の見方をしていく。つまり、亡くなった後の成仏になっていくのです。
 一方、ご両親がまだ健在なら、まさに、絶好のチャンスです。今という時を逃しては、もったいない。すぐに、この信心のことを理解してもらえなくても、今こそ、我々自身が、先駆けて、しっかりとこの法華経の信心、南無妙法蓮華経をしっかり唱え、みずからが正しい人生をみつめなおし、幸せの道を見いだしていく。ご両親へも、そうした最高の道を教えていく。ともに信心していただけるよう努力していく。それこそが最高の親孝行であると大聖人様は教えられているのです。

 

 宮沢賢治は、日蓮正宗の信徒ではありませんでしたが、法華経を信仰していたことで有名です。その宮沢賢治は「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と言っておりまして、やはり、みんなの幸せを願ってこその、自分の幸せもあるんだということです。
 世の中の人からいただく、あらゆる恩恵に対しても、私たちはまず、まじめに仕事をして世間に恩返しをしていかなければなりません。それが人間の大事な役目です。そしてまた、縁のある人をみつけて、必ずこの信心を伝えていくこと。折伏していくこそが、深い仏法の哲理に基づいた真実の「恩返し」になると大聖人様が示されるところであります。
                       妙通寺住職の法話より抜粋

 

 

     信じるものが変わると 価値観が変わる

 

     価値観が変わると 人生が変わる

 

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毎月の行事

 

  ● 先祖供養 お経日  

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※日程変更あり・要確認

 

第 1    日曜日 

  ● 広布唱題会      

      9:00

 

第 2    日曜日 

    ● 御報恩 お講  

            14:00

 

お講前日の土曜日  

     ●お逮夜 お講   

            19:00

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