① その宗教を説いた教主=仏が、宇宙法界の真理と、人間生命活動の実相(じっそう)=現実の姿を完璧に悟った方であるということ。
※ある日突然、神がかり的になって、意味不明な言葉を発したような人間を教祖と仰ぐことは間違いです
② その宗教の教えが、あくまでも因果(いんが)の道理に徹底して基づいたもの
※神秘性(しんぴせい)や奇跡などを宗教の売り物としていないで、それが教典等として誤りなく表記されていること。他の宗教の教えをいろいろと良いとこ取りをして、適当に教えを作り上げたようなものでないこと。
③ その宗教の中心である本尊が、すべての人にとって尊敬し崇拝(すうはい)するに値するものであり、その本尊への信仰活動によって、現実に功徳が具わるものであること。
※拝んでも、何の利益もない無意味なものでないこと。
④ その宗教の信仰修行の規範が普遍(ふへん)的。
※時代や状況が変わったからといって、社会常識や人道的慈愛(じあい)観から逸脱(いつだつ)したものではなく、世紀末思想等で不安を募らせ脅(おど)したり、人種差別や、批判者への排他的な思想を持たない宗教であること。
⑤ その宗教を信仰することによって得られる功徳・利益が、その教えに適(かな)っており、表面的一時的なもの(金儲け・病気が治るなど)ではないこと。
※生命の根源から改革し、幸福になれるための本源的な教義が説かれたものであること。
宗教のなかには、修行として山に篭(こも)もったり、断食を勧めるもの、神札(かみふだ)や御守りを貼っておけば修行は必要ないと説くものなど様々です。
また、厳しい戒律(かいりつ)を現実生活のなかで堅持(けんじ)しようとすると、日常生活に支障を来(きた)したり、非常識な行為に走るようになる場合もあります。
あるいはまた、先祖供養に名を借りて、次から次へと直接関係ない(自身とは縁が薄い)亡者までを引っ張り出しては供養を強要したり、「物に対する執着心を捨てて幸せになるため」と称して、財産を教団に半強制的に寄付させるといった宗教も少なくありません。
これに対して、日蓮正宗の信仰は、教条(きょうじょう)的に現実生活の上での行動を規制するものではなく、生活の中で日々に御本尊を信じ、礼拝し、唱題することが基本であり、時に応ずる教化活動(折伏活動)の重要性は説かれるものの、誰でも支障なく、信仰活動と生活、仕事を両立していくことが充分に可能です。
上記の5つの絶対条件、ことごとくを満たす教えは世界広しといえども日蓮正宗のみであり、私たちは宗教や信仰に関して、あなたが抱えるいかなる疑問、質問にも、明確にお答えすることができると自負しています。
自信をもって、日蓮正宗の教えの正しさを説明することができますから、一度、妙通寺を訪問してみてください。
※東海三県(愛知・三重・岐阜)はじめ、全国各地に多くの日蓮正宗寺院があります。希望する方は、妙通寺以外にも、最寄りの寺院を紹介しますのでご相談ください。
信じるものが変われば 価値観が変わる
価値観が変われば 人生が変わる
さあ、私たちと最高の信仰をしてみませんか!
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