日寛上人ご指南

『観心本尊抄文段』 


◇本門の本尊


是れ則ち諸仏諸経の能生の根源にして、諸仏諸経の帰趣(きすう)せらるる処なり。故に十方三世の恒沙の諸仏の功徳、十方三世の微塵の経々の功徳、皆、咸(ことごと)く此の文底下種の本尊に帰せざる莫(な)し。譬えば百千枝葉同じく一根に趣くが如し。故に此の本尊の功徳、無量無辺にして広大深遠の妙用有り。故に暫(しばら)くも此の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざる無く、罪として滅せざる無く、福として来たらざる無く、理として顕われざる無きなり。

 

◇弘安二年の大御本尊こそ究極の御本尊

 

 (大石寺に厳護されている大御本尊こそ、日蓮大聖人が一生の間に顕わされた数々の御本尊の中でも、一番、根本となる御本尊であるということ)

 

弘安元年已後、究竟(くきょう)の極説(ごくせつ)なり。就中(なかんずく=とくに)、弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐(ほんがい)の中の本懐なり。既に是れ三大秘法の随一なり。況(いわ)んや一閻浮提総体の本尊なる故なり。

『寿量演説抄』

◇本門戒壇の大御本尊まします大石寺こそ本門義の戒壇の霊地

 

 

本門の戒壇の御本尊在(ましま)す上は、其の住処は即戒壇なり。其の本尊に打ち向ひ、戒壇の地に住して南無妙法蓮華経と唱ふる則(とき)んば、本門の題目なり。志有らん人は登山して拝し給へ。

 

 

◇真の報恩謝徳とは、謗法破折による折伏

 邪法を退治するは即ち是れ報恩(略)正法を弘通するは即ち是れ謝徳(略)謂わく、身命を惜しまず邪法を退治し、正法を弘通する、則ち一切の恩として報ぜざること莫きが故なり               

                             (御書文段384ページ)

 

 

『如説修行抄筆記』

◇自行化他に亘る題目の大事

 

 

心に折伏を忘れて四箇の名言を思わずんば、心が謗法になるなり。口に折伏を言わずんば、口が謗法に同ずるなり。手に数珠を持ちて本尊に向かわずんば、身が謗法に同ずるなり。

故に法華本門の本尊を念じ、本門寿量の本尊に向かい、口に法華本門寿量文底下種・事の一念三千の南無妙法蓮華経と唱うる時は、身口意(しんくい)の三業(さんごう)に折伏を行ずる者なり。是れ則ち身口意三業に法華を信ずる人なり。

 

 

 

◇子供は親を選んで産まれてくる

 

 衆生、前生に善悪の業を作り已って、死して中有にある時、其の業力に由り、能く生処の父母の交会を見て愛心を起こし胎内いやどる。これを識と云ふなり。識と云ふは心法なり。

 

 

 

 

◇菩提寺に参詣することは大切な修行      <寿量品談義より>

 何様(いかよう)の事ありとも万端をなげすて参詣して聴聞(ちょうもん)し、本門寿量の南無妙法蓮華経を唱へ奉り、報恩謝徳に擬(ぎ)し玉はん事専(もっぱ)ら大切なり。(中略)今幸いに本門寿量品を弘宣するに何ぞ参詣せざらんや。何ぞ夢中の世事にかかわって信心を励まざるや <富士宗学要集10ー143 取意>

 

 

◇自行化他の信心

自行若し満つれば必ず化他有り。化他は即ち是れ慈悲なり(御書文段 219ページ)

 

 

◇総本山への登山参詣

何様(いかよう)の事ありとも万端を抛(な)げ捨て参詣して、聴聞し本門寿量の南無妙法蓮華経を唱え奉り、報恩謝徳に擬し給はん事もっぱらなり。(歴代法主全書④164ページ)

 

◇仏法聴聞の大事

信心を進むことは法を聞くによるなり。聞かざれば信心生ぜず、信心生ぜずんば修行に怠る。修行に怠れば未来、何なる処に生るべしや。仍って歩みを運びて聴聞肝要なり

(歴代法主全書④164ページ)

 

 

 

 

◇「智目行足 到清涼池」

 是れより何国へなりとも行かんとするには、必ず先づ目を開けて行く処の道筋を見て、さて正しく発足してあゆまねば、我が思ふ所へは行きつかれぬ。いかに目を開て見ても足を踏み出さねば思ふ所へは至られぬ。全く其の如く信心の目をあいて一切の万法我が色心の全体妙法蓮華経でこそあれと合点し解了して、さて修行の足をふみ出さねば寂光の都に至る事はならぬ。然れば尤も修行が肝心でこそあれ (序品談義 歴代法主全書④76~)

 

◇心を磨く信心修行

 此の如く三惑の塵に覆われて中々真っ黒に曇って居る処の鏡なれども、信心の砥の粉をかけて修行を力を出し、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と磨く時は、只今まで真っ黒の鏡なれども、急に曇りの塵を払い明らかになって、十界妙法蓮華経の像を浮かぶる事は偏に人の磨く修行に依る                      (歴代法主全書④76)

 

 

◇如来の事を行ずる信心

 自ら本因下種の妙法を唱へ、人をも勧めて唱へしむるは、則ち如来の事を行ずるなり

                      (新説結座説法 歴代法主全書⑥516)

 

 

◇唱題によって、曇ったわが心を磨く

「三惑(さんなく)の塵(ちり)に覆(おお)われて、中々真っ黒に曇って居る処の鏡なれども、信心の砥(と)の粉(こ)をかけて修行の力を出だし、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と磨く時は、只今まで真っ黒の鏡なれども急に曇りの塵を払い明らかになって十界妙法蓮華経の像を浮かぶる事は、偏(ひとえ)に人の磨く修行に依る」

                           (歴代法主全書④76ページ)

 

 

◇真の報恩謝徳とは?

「邪法を退治するは即ち是れ報恩(略)正法を弘通するは即ち是れ謝徳(略)謂わく、身命を惜しまず邪法を退治し、正法を弘通する、則ち一切の恩として報ぜざること莫きが故なり」(御書文段 384ページ)

 

 

◇御供養には、御本尊様への信心がなによりも大事

 「たとえ山の如く財(たから)をつみ候いて御供養とも、若し信心なくば、せんなき事なるべし。一滴一塵なりとも、信心の誠あらば、大果報を得べし」

 

 

 

 

◇一生に一度だけの唱題で、成仏が可能なのか?

 問うて云わく、若し爾(しか)らば我等衆生、一期(いちご)に一遍なりと雖も不退の位に到るべきや。答えて云わく、若し過去の謗法無き人は実に所問の如し。遂に不退に到るべし。然るに我等衆生は過去の謗法無量なり。此の謗法の罪滅し難し。天台の云わく「泰山の壊(やぶ)るに非(あら)ずんば焉(いずく)んぞ江海を塡(うず)めんや」云々。況んや文に「終に到るべし」と云う、之を思い見るべし。

 

 

◇末法の僧宝とは?

  南無僧とは、若し当流の意は(略)南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山付法南無日興上人師。南無一閻浮提の座主、伝法日目上人師。嫡々付法歴代の諸師。(当家三衣抄 六巻抄225㌻)

 

◇末法の僧宝とは? ②

 所謂僧宝とは日興上人を首と為す。是則ち秘法伝授の御弟子なる故なり(三宝抄 歴代法主全書④385㌻)

 然れば則ち吾が日興上人嫡々写瓶の尾弟子なる事分明なり。故に末法下種の僧宝と仰ぐなり。爾来日目日道代々咸く是れ僧宝なり。(同前 390㌻)

 

毎月の行事

 

  ● 先祖供養 お経日  

      14:00/19:00

※日程変更あり・要確認

 

第 1    日曜日 

  ● 広布唱題会      

      9:00

 

第 2    日曜日 

    ● 御報恩 お講  

            14:00

 

お講前日の土曜日  

     ●お逮夜 お講   

            19:00

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