霊友会・立正佼成会について

立正佼成会(こうせいかい)は、霊友(れいゆう)会から分派した新興宗教です。

 

▼霊友会
 霊友会は、久保角太郎が、彼の兄嫁・小谷キミを霊能者に仕立て上げ、シャーマニズム(霊媒信仰)と法華信仰、先祖供養などを混ぜ合わせて作り上げた新興宗教です。

 久保(旧姓松鷹)角太郎は若くして両親を亡くし、養子として久保家に入りました。久保家養母の「志ん」は気性が激しく、しかも毎晩、憑(つ)き物が憑いたように騒ぎ出す女性でした。角太郎はこの養母に下男のように仕え、心身ともに憔悴(しょうすい)しきっていたとき、「西田無学」という人物の新宗教に出会いました。

 西田無学は本名を「利蔵」といい、自身が法華経に説かれる不軽菩薩の生まれ変わりであると信じ、法華経を布教していました。西田は法華経に出てくる「平等大慧 教菩薩法 仏所護念」との言葉の「仏所」について「亡くなった人間の霊が宿る場所」と解釈し、「仏所護念」とは先祖の霊が宿る場所を護り、先祖の生命を念ずることであると主張しました。西田の教えは、具体的には
 一、出家僧を否定し、在家仏教こそ真の姿であると主張
 一、夫婦双方の先祖を同時に供養するため、「総戒名」という方式を用いる
 一、自分の家とは関係なく、しかも無縁墓地となっている墓石を洗って、その墓石に刻   まれた戒名などを写してきて、自分の家に祀り、供養をする
というものであり、要するに法華経による「死霊供養」を人々に勧め歩いたのです。

 久保角太郎は、西田の教えに傾倒(けいとう)する一方、身延派日蓮宗の寺である中山法華経寺(千葉県市川市)での修行にも参加するようになり、そこで霊能者・「若月チセ」と知り合いました。角太郎が若月チセに養母の除霊を依頼したことが縁となり、戸次(べつぎ)貞夫とも親交を結ぶようになりました。
 大正13年、角太郎は西田の教えを基として、霊能者・若月チセ、戸次貞夫らとともに新興宗教「霊友会」を発足させました。設立後、しばらくして久保角太郎は、若月チセ・戸次貞夫らと袂を分かち、この時の霊友会は、そのまま立ち消えとなりました。

 久保角太郎は、その後も懲りることなく宗教に傾倒し、今度は、兄嫁・「小谷キミ」に修行をさせて、キミを霊能者に仕立て上げました。キミが行なった修行とは、
 一、真冬でも、一日中、浴衣一枚で過ごす
 一、真夏に布団を首までかけて一日中過ごす
 一、毎日、数時間に及ぶ水行(頭から水をかぶる)を実践する
 一、五十一日間、一日一合のそば粉で過ごす
 一、二十一日間の断食
などです。この修行をやりきった小谷キミは、角太郎のおだて等もあり、自身が霊能者になれたと思い込むようになりました。

 昭和5年、久保角太郎は、小谷キミらともに新「霊友会」を発足しました。発足後角太郎は、女性信者を次々と教育し、霊能者に仕立て上げながら、教団の勢力を拡大していきました。
 昭和19年11月、53歳で角太郎が死去すると、「小谷キミ」が全権を握って教団を運営をするようになりました。ところが昭和24年、霊友会は占領軍(アメリカ)の捜索を受け、なんと本部からコカインや金塊が摘発されたのです。翌年にも脱税容疑で霊友会本部に捜索が入り、その際、麻薬を所持していた「小谷キミ」が検挙されるという事件が発生しました。
 これら一連の不祥事を受けて、霊友会の幹部や会員から、教団の在り方に対する不満が一気に噴き出し、霊友会から分派して新しい宗教を立ち上げる者(立正佼成会を設立した庭野日敬など)が現われる一方、多くの会員が脱会しました。
 小谷キミは昭和28年にも、「赤い羽根募金110万円の横領」「闇ドル入手」「贈賄の容疑」で検挙されています。こうした不祥事の続発に、霊友会への社会批判が集中しました。

 昭和46年2月、小谷キミは70歳で死去しました。その後、霊友会会長に就任した小谷継成(つぐなり)は、「人間の心に帰ろう」という意味の「いんなぁ・とりっぷ」キャンペーンを開始し、脱税や麻薬、金権体質など、霊友会教団につきまとっていた悪いイメージを払拭することに努め、東京都心に巨大な「釈迦殿」を建設しました。

 霊友会から分派・独立した教団は、「霊友会系諸教団」と呼ばれており、主なものに「孝道教団」「日蓮宗法智教会」「思親会」「立正佼成会」「正道会」「日蓮宗明宝教会」「霊光会」「大乗教団」「普明会教団」「霊法会」「仏所護念会」「妙智会」「大慧会」「妙道会」「正義会」「瑞法会」「成道会」「正導会」などがあります。
 

【教えの概要】
 霊友会では、「仏所護念の本尊」と言って、各自の先祖の霊を礼拝の対象とします。また、本部の「釈迦殿」には釈迦像、伊豆にある教団道場・「弥勒山」には弥勒菩薩像を祀っています。
 霊友会では、
 「先祖が成仏していれば子孫も幸せになり、先祖が迷っていれば子孫も苦難を受ける」
と教えます。そこで霊媒者(れいばいしゃ)が霊界から仏や菩薩を呼び出して指導を受けたり、先祖の霊から苦しみの因縁を聞き出したりして、先祖の霊等を供養することにより、先祖も、また自分自身も悪い因縁を断ち切って幸せになれると説きます。
 供養の方式としては、夫婦(両親)それぞれの実家において、さかのぼれる限りの先祖の名前を本部に提出させます。そして、その名をもととして「生・院・徳」の文字が入った戒名を霊友会本部が新たに付け、それを霊友会本部と各自の家庭の両方で祀り、供養をするというものです。
 
【霊友会が間違っていると考えるおもな理由】
① 霊友会では、「西田無学」が提唱した「仏所護念」の意義づけを利用しています。しかし、法華経に説かれる「仏所護念」の正確な意味は
 「正しい覚りを開いた仏が護り、ずっと念じてきたところ」
というものです。ところが西田は「死んだ人の霊がいる所を護り、念ずること」と間違った解釈をし、「亡くなった人の戒名を護り、常に念ずること」の必要性を説いているのです。霊友会の教えは、西田の間違った解釈を基としていることから、霊友会の「先祖供養の意義」もまた、間違っていと言えます。

② 霊友会は各自の先祖の霊を本尊とします。
 しかし、人は死ぬことによって、正しい覚りが得られるわけではありません。ですから、亡くなった先祖が、ただ亡くなるという変化だけで、仏や神のような絶大な力をもって子孫を苦悩から救えるような境界に至ることはできないのです。
 先祖を本尊として祀り拝むということは、苦しんでいる病人に向かって「がんばれ、がんばれ」と応援するようなものです。それでは病人の苦痛は一向に回復せず、むしろ病人自身にも執拗なストレスを与えて病状を悪化させることにもなりかねません。
 病人の回復を願うならば、まず第一に勝れた医者に診せるべきであり、それを先祖の供養に置き換えるならば、先祖の位牌などに向かって「どうか護ってください」とお願いするのではなく、最高の仏法の功徳を先祖の方々の精霊に追善回向してこそ、真に先祖も救われ、子孫である私たちも仏法の功徳に浴して幸せに過ごしていくことができる、というものです。
 したがって、霊友会のように、先祖を本尊として祀り、礼拝の対象としても、先祖を救うことはできませんし、我々が功徳・善根を積むことにもなりません。

③ 先祖供養の方法について、霊友会では「総戒名を祀れ」と指導しています。しかし霊友会が教えの基本としている『法華経』には、どこにも「生・院・徳の文字を使った総戒名をつけて、それを崇めれば、先祖も自分も救われる」ことは、書かれていないのです。法華経を信仰するといいながら、法華経に背き、作り上げられた方式で供養しても、先祖が喜ぶはずはないのです。


▼立正佼成会
 立正佼成会は、霊友会を脱会した庭野日敬(にっきょう)と長沼妙佼(みょうこう)が新たに結成した新興宗教です。霊友会の教義に姓名判断、方位学、易学(うらない)などを加え、さらに長沼の霊能力を売り物にするなどして、第二次世界大戦後、勢力を拡大した在家教団です。

 庭野日敬(本名・鹿蔵)は17歳のとき、東京・大久保にあった炭屋に丁稚(でっち)として入り込み、そこの主人から、九星・六曜・金神などの民間信仰や占学を学びました。
 昭和5年、庭野鹿蔵は結婚しました。しばらくののち、庭野は長女の病気が縁となって女修験者(真言密教系)・「綱木梅野」に弟子入りして師範代まで務めるようになりました。2年ほどで、綱木の基から離れると、今度は小林晟高(せいこう)のもとで姓名学(姓名判断)を学びました。
 昭和9年、庭野は近所の女性から勧誘されて霊友会に入会しました。翌年には霊友会の支部長になり、長沼マサ(妙佼)を勧誘して霊友会に入会させました。以後、庭野鹿蔵は長沼マサと組んで霊友会の布教に励みましたが、教祖・「小谷キミ」の行動や発言に疑問を懐くようになり、二人そろって霊友会を脱会。昭和13年3月、長沼とともに「大日本立正交成会」を設立して、庭野の自宅を本部としました。以後、長沼の霊感による病気治しと、庭野が得意とする姓名判断、易学(うらない)などで布教を展開しました。
 長沼マサが死去すると庭野は、昭和33年1月に「教団設立から長沼死去までは、方便の時代であり、今や真実顕現の時代に入った」として霊能中心の教えから、教学重視へと教団運営の転換をはかりました。昭和35年には会の名称を「立正佼成会」と改めています。
 平成3年、庭野鹿蔵(日敬)は長男に会長職を譲ってみずからを「開祖」と称し、平成11年10月、死去しています。


【信者の信仰形態】
 入会したばかりの会員には、自宅の仏壇などに総戒名を祀(まつ)らせます。信仰が進むと、今度は「御守護神」や「釈迦の絵像」を祀らせ、幹部になると「大本尊」といわれるものを授与しています。
 立正佼成会が「総戒名」を用い、法華経によって先祖供養と懺悔滅罪することは、霊友会の教義や修行方法を受け継いでいるからです。ですから、立正佼成会では霊友会の教えに、さらに長沼マサの霊感や真言宗の密教的な修行、庭野があみだした姓名判断、易学などを利用したものといえます。
 立正佼成会では、「佼成会に入会したのちも、従来の宗教を捨てる必要はない。自分の檀家寺や氏神を大切にせよ」と教え、ハードルを低くして言葉巧みに人々を入会へと誘います。会員にとって大事な修行として、「お導き」(布教)と「本部通い」(労働奉仕)の実践が強調されています。


【立正佼成会が間違っていると考えるおもな点】
①立正佼成会では、「本尊」を六度も変更しており、その都度、信者は本部から言われるままに、信仰の形を変えていかなければなりませんでした。信仰の根本である本尊がクルクル変わるような宗教は、教えが確定していないということです。日蓮大聖人が「諸宗は本尊にまどえり」と指摘されているように、立正佼成会が、いい加減な宗教であることの証拠と言えます。
 
②立正佼成会では、長沼マサの「神のお告げ」によって、本尊を交換したといいます。しかし、信仰の根本である本尊が、いかがわしい「お告げ」によって簡単に変わること自体、信ずるに値しない邪教といえます。

③庭野鹿蔵(日敬)は、久遠の釈迦像を本尊とし、それが釈尊の心であり、さらに日蓮大聖人の心でもあると語っています。
 しかし日蓮大聖人が「仏の御意は法華経なり。日蓮がたましひは、南無妙法蓮華経にすぎたるはなし」(御書685)と断言されているとおり、釈尊の本意は法華経であり、日蓮大聖人の御意は南無妙法蓮華経の御本尊にあるのです。どこにも「釈尊の像を、本尊として祀りなさい」などとは説かれてはおらず、庭野の説は、釈尊や日蓮大聖人の教えとは無関係の「思いつき宗」であると言えます。

法華経には「不受余経一偈」と書いてあります。これは、「法華経を信仰する者は、他の教えは、わずかでも信じてはならない」との法華経の根本精神を表わした言葉です。しかし立正佼成会では、「従来の檀家寺や氏神への信仰はそのまま続けて構わない」と教えています。この一点をとってみても、立正佼成会の教えは法華経に背いていることが明白です。

※ 当該文書は、「諸宗破折ガイド」に掲載された当該項目文章を、筆者が要約、加筆したものです。

毎月の行事

 

  ● 先祖供養 お経日  

      14:00/19:00

※日程変更あり・要確認

 

第 1    日曜日 

  ● 広布唱題会      

      9:00

 

第 2    日曜日 

    ● 御報恩 お講  

            14:00

 

お講前日の土曜日  

     ●お逮夜 お講   

            19:00

http://www.myotsuuji.info