遙拝勤行は秘術? 浅井会長の指導は、まちがっています!
遙拝勤行こそ秘術!? 大白法平成31年3月1日号より
日蓮大聖人は『南条殿御返事』に、
「彼の月氏(がっし)の霊鷲山(りょうじゅせん)は本朝此の身延の嶺(みね)なり」(御書1569)と仰せられ、「此の砌(みぎり)に望まん輩(やから)は無始の罪障(ざいしょう)忽(たちま)ちに消滅し、三業の悪転じて三徳を成ぜん」(同前)
と御教示せられている。
ここに大聖人が身延を霊鷲山に譬えられたのは、「かゝる不思議なる法華経の行者の住処なれば、いかでか霊山浄土に劣るべき」(同前)
と仰せの如く、大聖人御在所の故である。
今日は、御本仏の御魂魄(こんぱく)は本門戒壇の大御本尊と在すのであるから、総本山大石寺こそ、常寂光の霊地にほかならない。
「参詣遙かに中絶せり、急々に来臨を企つべし。是にて待ち入って候べし」(同)
大聖人がお待ちくださる総本山へ登山参詣することは「三業の悪転じて三徳を成」ずるところの精進なのである。
この大聖人の御教導を平然と踏みにじる者が、浅井昭衛率いる顕正会である。
顕正会は、昭和49年8月に講中解散処分を受けた妙信講をもととする。現在は名を変え、僭越この上ないことに「冨士大石寺顕正会」と名乗るが、今や朱門とは、全く無関係の団体である。その首魁(しゅかい)の浅井は、昨年11月5日付の顕正新聞にて、次のように発言した。
「尊無過上の『戒壇の大御本尊様』を、宗門はいま営利の具としている」
「広宣流布のその日まで、戒壇の大御本尊様を守護し奉るのが、仏弟子の責務」
「不敬そして危険な御開扉を直ちに中止すべし」
浅井は、重要な仏道修行である登山を推進することが「御開扉料稼ぎ」で、登山者が増えればその中に混じって、「天魔は戒壇の大御本尊を狙う」から危険だ、だから御開扉をやめよと主張するのだ。浅井は続ける。
「遙拝勤行こそ、末法三毒強盛の凡夫を、直接、戒壇の大御本尊に繋ぎまいらせる秘術であり、広布最終段階の信行の姿なのです」(同)
「秘術?」「広布最終段階の信行の姿?」御本尊様を直接拝する必要はない? 実に、独りよがりの妄想とも言うべき虚言。これを邪義と呼ばすに、何と評すべきだろう。
顕正会は、既に40年以上にもわたり、宗門とは別個の活動を行っていて、その間に入会した会員は、一度たりとも総本山へ参詣したことがない。
浅井が「遙拝勤行こそ」「秘術」とか、「広布最終段階の信行」などと言うのは、そんな会員たちへの目眩ましに過ぎない。
大聖人は『四条金吾殿御返事』に
「毎年度々(たびたび)の御参詣には、無始の罪障も定めて今生一世に消滅すべきか」(御書1502)
と御示しである。
この御金言を拝せば、総本山に参詣し、本門戒壇の大御本尊にお目通り申し上げることは、実に尊い仏道修行であり、そこに広大無辺なる大功徳が具わることは、明々白々である。
大謗法に陥(おちい)ったが故に総本山への参詣が叶わなくなった者に、「不敬」だの、「危険」だのと言われる筋合いは毛頭ほどもない。
総本山第52世日霑上人は『三大秘法談』に
「未(いま)だ広布の時至らず実の戒壇建立なしといえども、此の処即ち是れ本門事相の戒壇にして、此の砌に一度も参詣するの輩は無始の罪障忽(たちま)ちに消滅して三業の悪を転じて三徳を成ぜんこと、経文並びに大聖人の御金言、毛頭疑いなきことでござる」(研究教学書)
と御指南されている。
大聖人出世の本懐にして、凡下衆生の罪障消滅と積功累徳の根源たる、本門戒壇の大御本尊から遠ざけんともくろむ浅井の暴言こそ、不敬極まるものにして、かかる大謗法が弘まることこそ、危険この上ない。
この邪義邪説を駆逐(くちく)するのは我らの折伏のみ。浅井に惑わされた会員たちに、一刻も早く正義を諭していこう。