誰にも仏性がある

 法華経の根本理念~ 一人として要らない存在はない
                                                                前御法主日顕上人ご指南

 

 現在、民主主義の社会においても自由や平等、尊厳(そんげん)ということが言われているけれども、今の世間の人には尊厳ということの意味が解(わか)らないのです。いくら頭で考えても、どうして尊厳でなければならないか、人間はどうして尊いのかは解らないのです。「愚人や悪人が多く、あらゆる悪事ばかりする人間がどうして尊いのか」ということにもなってくるでしょう。人間のみならず、ありとあらゆる生命が本当に尊いという所以(ゆえん)は、本門の寿量品の上からの無作(むさ)の意義がはっきり顕われないと徹底しないのです(略)

 

 妙法蓮華経をもって照らすならば、桜梅桃李(おうばいとうり)も皆、無作(むさ)三身の仏なのです。三身(さんじん)というのは、法身(ほっしん)、報身(ほうしん)、応身(おうじん)のことですが、例えば桜の木でも桃の木でも人間でも、一つひとつの存在を見てみると、その内容・姿は実に不思議であります。もっと言うなれば、皆さん一人ひとりの命、生命の形は本当に不思議なのです。
 ひとりの人間の身体には非常に多くの細胞が備わり、心臓でも腎臓でも、あらゆる内臓が巧(たく)みに協調して生命現象を営んでおるということ自体が、実に不思議なのです。これは、そのままが法の上からの姿であり、その法の不思議な命を「妙法」といい、また法身というのであります。

 

 また、木で言うならば、きれいな花が咲くとか、染めたわけでもないのに青い葉が出るという姿があるのであり、それがそのもの自体としての不思議な用(はたらき)としての存在であるということは法身(ほっしん)であります。そして、木が季節に応じて春には花をつけ、夏には茂り、秋には実がなるというような生住異滅(しょうじゅういめつ)の形を自ら知っておるということは、仏様の報身の智慧(ちえ)の一分と考えられるのであります。それからさらに、それらのことが色々な形で移り変わっていく姿、例えば木が生物に必要な酸素を供給し、建築等の材料となり、また色々な実をつけて多くの有情(うじょう)に利益を与えるというようなことは応身(おうじん)の用きであると言えます。
 このように一本の木においても法身、報身、応身の三つの用きがあるのであり、妙法蓮華経をもって照らすことにおいて初めて、事々物々のことごとくが妙法の当体であり、すなわち本有(ほんぬ)無作(むさ)の三身であると示されるのであります。

 

 では、あらゆるものがみんな仏様であるかというと、本門寿量品の眼を開いて妙法の上から見るならば、それがまさに真実なのです。しかし、ただそこに「理(り)」と「事(じ)」との違いがあるのです。ここのところは、きちんとけじめをつけなければなりません。本来、理(論)の上においては仏様であるけれども、理即(りそく)と言いまして、理だけですから、まだ寿量品の仏様としての用きはないのです。
 要するに、無作三身の日蓮大聖人様のお悟りをもって一切を照らされるところに、ことごとくが妙法であり、仏であるということが言えるのであって、私たちの低い境界(きょうがい)、迷った形のなかからは。何を見ても「仏様だ」等とは思えないのです。だから凡夫(ぼんぶ)には、本当の意味の値打ちが判らないのであり、本当の意味の値打ちは、妙法をもって事々物々を照らすところに観じられるのであります。
 この無作三身の仏と成るためには、まず無作三身の仏様を信ずることが大事なのです。そして、さらに無作三身の仏様の振るまいをそのまま行ずることが大切であり、つまりこの信心と修行によって初めて、我々も立派な無作三身の仏に成ることができるのであります(略)

 

 「知らず、御身は忽(たちま)ちに五障(ごしょう)の雲晴れて、寂光(じゃっこう)の覚月を詠(なが)め給ふべし」
 五障(ごしょう)というのは、大梵天王になれない、帝釈天になれない、魔王になれない、それから転輪聖王になれない、そして仏になれない、という五つの障(さわ)りのことで、これら五王には、男はなれても女性はなれないとされていました。

 もちろん、これは釈尊(しゃくそん)の爾前経(にぜんぎょう)における方便(ほうべん)の教えにおいて、女性の罪業(ざいごう)、罪障(ざいしょう)、煩悩(ぼんのう)の深さを述べておるのであります。しかし法華経に来れば、これは全く男女同権でありますから安心してください。ここでは、「女性であるあなたも、まさに法華経の信心によってこの五障の雲が晴れ」て「寂光の覚月を詠め給ふべし」。寂光(じゃっこう)というのは仏様のおわします所であります。その深く尊い清らかな境界において、悟りの月を詠(ながめ)る、すなわち即身成仏をされるであろうということです。(略)

 

 最近は科学が実に進みまして、人間のみならず宇宙の存在のあらゆる面が、アインシュタインの相対性理論とか原子物理学などということのなかで、時間的、空間的な意味において事々物々の極微(きょくび)の内容が示されてきております。その内容について考えてみますと、私は専門ではありませんけれども、やはりあらゆる事々物々はことごとく共通していることがあるのです。つまり、人間のみならず畜生もあらゆる生物も、さらに生物のみならず無機物も、あらゆるものが全部、ひとつのものなのです。すなわち、これらはすべて妙法の当体なのであり、しかもそれが仏の無作三身の意義を持っておって、妙法を信行するところ、そこに真の功徳が顕われるのであります。
 このことは、これからもあらゆる意味で進展していく科学や、一切の民衆や社会、国家、また法界の真の幸せの道の本義を、仏法が説き示していることを顕しておると思うのであります。その功徳を具体的に実践しているのが我々日蓮正宗の僧俗であることをお考えいただき、また、我々の日常における生活のなかに即身成仏やその他あらゆる功徳が具わっておるということを改めてご認識いただいて、これからの信心修行に精進していただきたいと思います。(平成6年9月20日)

 

毎月の行事

 

  ● 先祖供養 お経日  

      14:00/19:00

※日程変更あり・要確認

 

第 1    日曜日 

  ● 広布唱題会      

      9:00

 

第 2    日曜日 

    ● 御報恩 お講  

            14:00

 

お講前日の土曜日  

     ●お逮夜 お講   

            19:00

http://www.myotsuuji.info