神道(神社の信仰)とは?  ~折伏の予備知識として

 

はじめに~

 古代、人々は自然界の未知なる力に対して畏敬(いけい)の念を抱き、「カミ」なるものを想像し、さらには死者・先祖への追慕の心から「祖霊神」を祀るようになりました。
 それらが国家平定にともない豪族などが自らの立場(家系)の優位性を示すために「神話神」を創作することにつながり、さらに後世には功績をなした人、偉人なども「人物神」として祀る形に発展していきました。こうした日本固有の「神道」は、教義体系が定まらないまま「八百万(やおよろず)の雑多な神」を崇拝し、神社を中心とする多神教となっていきました。
 この「八百万神」を崇拝する神社信仰は、のちに外来思想の仏教(奈良時代に伝播)や儒教(中国で発生した思想哲学)などの影響を強く受けて形が変わっていき、独特の宗教思想を形成(神や仏と呼ばれるものなら、なんでも良しとする信仰)することになっていったのです。
 明治時代になると、神道の国教化政策により、神道(神社)は国家からの手厚い優遇を受け「国家神道」として極端な国粋(こくすい)思想に利用されました。その結果、侵略(しんりゃく)戦争につながる暗い歴史の一端を、神社・神道は担うことになりました。
 なお、江戸時代幕末から維新の動乱期には、神道思想の土壌から新たな神道が次々と生まれていきました。これらの神道を「教派神道」といい、これに対して昔からある神道を「神社神道」といって区別しています。
 昭和時代に入ると、神社神道を基とした政教一致の国体思想は、国内はもとより朝鮮・中国、南方諸国へも拡大されていきました。第二次世界大戦の敗戦により、新憲法のもと政教分離したことによって、神道の勢いは一時衰退しました。しかし国民のなかに深く神道した国家神道の思想は、今日においても政治や教育を論議するなかに、時々垣間見ることができます。

 

 ここでは神社神道(昔からある神道)についての簡単な説明と、破折の要点を記します。

①<自然神>
  古代社会において人々は、みずからの能力で推し量ることのできない自然現象や、さらには巨木、巨石といったものに対し、「なにか得たいの知れない霊力、能力をもっているもの」として畏敬の念を抱き、「カミ」(神・精霊)が宿っていると想像しました。さらに狩りや漁、農耕など自然の恩恵を受ける生活のなかで、それらに対する感謝の思いが生じ、自然を崇拝の対象とする「アニミズム」(精霊崇拝)の信仰へと発展し、山の神、海の神、水の神などの「自然神」の概念が生まれました。一例は以下のとおりです。
 ・山の神…浅間神社・三島神社・日吉神社など
 ・海の神…住吉神社・宗像神社など
 ・火の神…秋葉神社・浅間神社など
 ・水の神…水天宮・諏訪神社など
 ・地の神…大国魂神社など

 

②<生活神>
    古代社会では生活のなかにも、屋敷神・穀物神・竈(かまど)神・井戸神・納戸神・厠(かわや)神・厩(うまや)神などの神を想定しました。また産(うぶ)神・死神・疫神・縁結神など、人生の出来事にも「神」を想作し、それらが八百万といわれる数多くの神の概念を生むことになりました。
 
③<祖霊神>
  祖霊神は、死者への「追慕の念」と死霊に対する「恐怖の念」が、時の経過とともに氏族の「守護神」としての働きをなすものと理解されるようになりました。こうして生まれた「神」への概念は、古代民族の風俗や習慣、文化の進展に伴い、家族や一族のなかに共同信仰を作り、さらに大和朝廷が徐々に国家統一へと向かうなかで、自然神や祖霊神信仰と結びついて、「神話神」へと発展することになりました。

 

④<神話神>
  神話神の記述は、奈良時代の『古事記』に万物生成のはじめとして「天地が初めて分かれ、三神(高御坐・神坐・御中主)が生まれ…」(趣意)という文に端を発しています。その後さらに、同書には「神代七代目の、伊邪那岐(いざなぎ)、伊邪那美(いざなみ)の結合によって、淡路島を最初とする日本国土の“国造り”となり、その後に山・川・草・木など数多くの自然界を形成していく」(趣意)と国土の生成が記されています。また「女神の伊邪那美は、生産の最後となた火神を産んだあと、程なくして死に至るや、夫の伊邪那岐に、みずからの醜態を見られたことに怨みを懐き、“一日に千人を絞め殺す”と呪(のろ)いを告げると、夫の伊邪那岐は“しからば一日に千五百人を生む”と言い返したことから、死者と新生児の数が定まった」(趣意)と、人口の増減まで神代に決まっていたと記しています。
 またこの神話神は、当初から天津神(天照太神などの天神)と国津神(大国主命などの地祇)の二つに分かれていたとしています。国津神である大国主命は、天津神から「出雲に大社を建設してもらうことを条件」に、日本国の統治を放棄することになりました。その結果、天津神の天孫が天より降臨して一時、日向国に定着しますが、ほどなくして日向三代の子(のちの神武天皇)が大和方面に征服の旅に出ることになり、その途中で各地の部族を武力で服従させ、ついに熊野より侵入して大和を征服した」と記述されています。このとき、大和を平定して橿原(かしはら)で、日本国の王として即位した神が「神武天皇」とされています。
 このように、政治力を使って神話を作り、部族・氏族がみずからの正当性を高め、ひいては氏族の長(おさ)など(皇室の祖・地方豪族の祖)を神話神と結合させて、「祖神」として崇めていくのが神話神です。

 

⑤<人物神>
 歴史上の人物が神として崇められるようになったものを「人物神」といいます。
 これには神話神と結びつくなかで、古くは応神天皇にはじまる天皇系や、天満宮の菅原道真などのように歴史上に名を残した人、豊臣秀吉(豊国神社)や徳川家康(東照宮)をはじめとする戦国大名や各藩主、さらに社会事業などで功績を残した人、近くは明治天皇を祀った(明治神宮)もの、靖国神社のように戊辰戦争から明治維新を経て太平洋戦争までの戦死者を「神」として祀っているものなどがあります。

 

【破折の要点】
◇自然神信仰について…自然界の諸現象に対して古代人たちが畏敬と恐怖の念から想像力を巧みにし、生み出した自然神や生活神は、単なる観念的なものでしかありません。あたかも物語に登場する天使やヒーローのような存在であり、こうした架空の神々には、実際に人々の生活を護ってくれる力はないのです。

 

◇神話神信仰について…神話では、淡路島をはじめ四国・隠岐・九州・佐渡・本州などが「国造り」されたとありますが、その話には「北海道や沖縄」についてはまったく説かれてはいないのです。まして諸外国に対してはまったく説かれてはいないのであり、大変、狭い教えであるといえます。
 また神話による日本の神々には、古代人の観念から生じた根拠のんまい「創造神」をはじめ、怒りや怨み等による「タタリ神」(タタリ神の雷神が、雷よけの菅原道真公として学問の神、天神信仰に変遷し、タタリ神の金神(こんじん)が、のちに救済神として変化し、疫病神の牛頭(ごず)天王が、祇園社に祭祀されているなど)、または感情的になって権力や武力で相手を押さえつける神(暴虐の限りを尽くす須佐之男命)、さらには相手を裏切って得意然としている神(兄弟で争う海幸彦と山幸彦)など、煩悩に翻弄される神々が多数存在しており、それらを信仰の対象として、何を願い、何を叶えてもらうというのでしょうか?

 

◇人物神信仰について…歴史上で功績のあった人を人物神へと昇格させ、崇めていますが、その神とされる人物自身が、実際には自分の悩みを解決できず、煩悩に苦しんでいた一人の人間だったのです。歴史的に功績が尊敬に値するような人であったとしても、それをもって、ただちに人々の願いを叶えてくれる「立派な神様」になるとは考え難く、それらの人々を神として祀ることは、まったくの誤りといえます。

 

◇仏教で説く神について…仏教で説く神は、真に人類を守護してくれる力を有し、国境を越えたあらゆる民族とも融和する寛容性と普遍性をもっている存在といえます。その仏教を日本民族は受け入れて、日本古来からある既成宗教であった「神道」と融合し、国家の安泰をはかっていきました。
 仏典では、日天・月天をはじめ梵天、帝釈天など多くの神が明かされています。しかしそれぞれの神を、個々に拝む対象として説かれてはいないのです。
 『法華経』安楽行品には「諸天昼夜に、常に法の為の故に、而も之を衛護し」(大石寺版法華経 396ページ)とあり、また同じく法華経の『陀羅尼品』には
 「法華経を読誦し、受持せん物を擁護して、其の衰患を除かんと欲す」(同 579ページ)
と、諸天の神々は常に正法である法華経と、その行者を守護することを明かしているのです。
 このように仏教では、仏と神の関係を仏(正法)が主で、神を従として正しく説明しています。にもかかわらず、従う立場である神のみを信仰の対象とすることは本末転倒であり、なにら利益にはつながりません。
 なお日蓮大聖人は『立正安国論』に
 「世皆正に背き、人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てて相去り、聖人所を辞して還らず。是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる」(平成新編御書234ページ)
と説かれ、法味(南無妙法蓮華経の功徳)に飢えた神は天上世界に帰ってしまい、そのかわり神社には、悪鬼・魔神が取り入って、災難を起こし、人々を悩乱せしめているのです。こうしたことが元凶となって、いつまで経っても世の中の混乱は納まるどころか、ますます混迷の度合いを高めているわけです。
 毎年、年末年始、受験、七五三、婚礼など、いまだに神社へ参詣する人が絶えませんが、こうした神社信仰を絶たない限り、国家や社会、自然界に多くの災厄が絶えることはないのです。

 

※ 当該文章は、『諸宗破折ガイド』(大石寺発行)に収録されている文章に、筆者が一部過失、省略したものです。

 

毎月の行事

 

  ● 先祖供養 お経日  

      14:00/19:00

※日程変更あり・要確認

 

第 1    日曜日 

  ● 広布唱題会      

      9:00

 

第 2    日曜日 

    ● 御報恩 お講  

            14:00

 

お講前日の土曜日  

     ●お逮夜 お講   

            19:00

http://www.myotsuuji.info