法華経 要文

 

 

 

 

無量義経(大石寺版 法華経23ページ)
 ○四十余年未顕真実
「仏眼を以て一切の諸法を観ずるに、宣説すべからず。所以は何ん。諸の衆生の性欲(しょうよく)不同なることを知れり。性欲不同なれば種種に法を説きき。種種に法を説くこと、方便力を以てす。四十余年には未だ真実を顕さず。是の故に衆生の得道差別(しゃべつ)して、疾(と)く無上菩提を成ずることを得ず」

 

 

法華経『序品』第一(大石寺版 法華経86ページ)
○法華一般の「名体宗用教」五重玄義 出処 約説の次第
「我燈明仏を見たてまつりしに 本の光瑞(こうずい)此の如し 是を以て知んぬ今の仏も 法華経を説かんと欲するならん 今の相本(そうもと)の瑞の如し 是れ諸仏の方便なり 今の仏の光明を放ちたもうも 実相の義を助発(じょほつ)せんとなり 諸人今當に知るべし 合掌して一心に待ちたてまつれ 仏當に法雨を雨(ふ)らして 道を求むる者に充足したもうべし 諸の三乗を求むる人 若し疑悔(ぎげ)有らば 仏當に為に除断して 尽して余有ること無からしめたもうべし」     

 


 法華経『方便品』第二(大石寺版 法華経89ページ)
「仏の成就したまえる所は、第一希有難解の法なり。唯仏と仏とのみ、乃(いま)し能く諸法の実相を究尽(くじん)したまえり」

 

 

法華経『方便品』第二(大石寺版 法華経93ページ)
「世尊は法久しうして後 要(かなら)ず當に真実を説きたもうべし」


法華経『方便品』第二(大石寺版 法華経101ページ)
○開示悟入
「諸仏世尊は、唯一大事の因縁を以ての故に世に出現したもう(中略)衆生をして、仏知見を開かしめ、清浄なることを得せしめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生に仏知見を示さんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして、仏知見を悟らしめんと欲するがゆえに、世に出現したもう。衆生をして、仏知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したもう」

 

法華経『方便品』第二(大石寺版 法華経110ページ)
「十方仏土の中には 唯一乗の法のみ有り 二無く亦三無し 仏の方便の説をば除く」

 

法華経『方便品』第二(大石寺版 法華経119ページ)
「是の法は法位に住して 世間の相常住なり」

 

法華経『方便品』第二(大石寺版 法華経124ページ)
「正直に方便を捨てて 但無上道を説く」

 

法華経『方便品』第二(大石寺版 法華経125ページ)
○法華経値難事
 「諸仏世に興出(こうしゅつ)したもうこと 懸遠にして値遇すること難し 正使世に出でたもうとも 是の法を説きたもうこと復難し 無量無数劫にも 是の法を聞くこと亦難し 能く是の法を聴く者 斯の人亦復難し 譬えば優曇華の 一切皆愛楽し 天人の希有(けう)にする所として 時時(とき)に乃(いま)し一たび出ずるが如し 法を聞いて歓喜し讃めて 乃至一言をも発せば 則ち為れ已に 一切三世の仏を供養するなり(中略)汝等疑有ること勿れ 我は為れ諸法の王 (中略) 當に知るべし是の妙法は 諸仏の秘要なり」


法華経『譬喩品』第三(大石寺版 法華経174ページ)
○今、法華経に巡り会うは過去の宿習による
「若し此の経法を 信受すること有らん者 是の人は已に曾て 過去の仏を見たてまつりて 恭敬供養し 亦是の法を聞けるなり」

 

法華経『譬喩品』第三(大石寺版 法華経174ページ)
「汝舎利弗 尚此の経に於ては 信を以て入ることを得たり 況んや余の声聞をや 其の余の声聞も 仏語を信ずるが故に 此の経に随順す 己が智分に非ず」

 

法華経『譬喩品』第三(大石寺版 法華経175ページ)
 「若し人信ぜずして 此の経を毀謗(きぼう)せば 則ち一切 世間の仏種を断ぜん 或は復顰蹙(ひんじゅく)して 疑惑を懐かん 汝當に 此の人の罪報を説くを聴くべし 若しは仏の在世 若しは滅度の後に 其れ斯の如き経典を 誹謗すること有らん 経を読誦し 書持すること有らん者を見て 軽賤憎嫉(ぞうしつ)して 而も結恨(けっこん)を懐かん 此の人の罪報を 汝今復聴け 其の人命終して 阿鼻獄に入らん 一劫を具足して 劫尽きなば更(また)生れん 是の如く展転して 無数劫に至らん」

 


法華経『薬草喩品』第五(大石寺版 法華経217ページ)
「是の諸の衆生、是の法を聞き已って現世安穏にして後に善処に生じ、道を以て楽を受け、亦法を聞くことを得。既に法を聞き已って、諸の障礙(しょうげ)を離れ、諸法の中に於て、力の能うる所に任せて、漸く道に入ることを得」

 

法華経『授記品』第六(大石寺版 法華経233ページ)
 「飢えたる国より来たって 忽ちに大王の膳に遇わんに 心猶疑懼(ぎく)を懐いて 未だ敢えて即便(すなわ)ち食せず 若し復王の教を得ば 然して後に乃ち敢えて食せんが如く(中略)願わくは我等に記を賜え 飢えて教を須って食するが如くならん」

 

法華経『勧持品』(大石寺版 法華経375ページ)

○勧持品二十行の偈 

「唯願わくは慮(うらおも)いしたもう為(べ)からず 仏の滅度の後の 恐怖(くふ)悪世の中に於て 我等当に広く説くべし 
諸の無智の人の 悪口罵詈(めり)等し 及び刀杖を加うる者有らん 我等皆当に忍べし 
悪世の中の比丘は 邪智にして心諂曲(てんごく)に 未だ得ざるを為れ得たりと謂い 我慢(がまん)の心充満せん 
或は阿練若(あれんにゃ)に 納衣にして空閑(くうげん)に在って 自ら真の道を行ずと謂いて 人間を軽賤する者有らん 
利養に貪著(とんぢゃく)するが故に 白衣(びゃくえ)の与(ため)に法を説いて 世に恭敬せらるること 六通の羅漢(らかん)の如くならん 
是の人悪心を懐き 常に世俗の事を念い 名を阿練若に仮(か)って 好んで我等の過(とが)を出さん
而も是の如き言(ことば)を作さん 此の諸の比丘等は 利養を貪るを為(もっ)ての故に 外道の論議を説き 
自ら此の経典を作って 世間の人を誑惑(おうわく)し 名聞を求むるを為っての故に 分別して是の経を説くと 
常に大衆の中に在って 我等を毀(そし)らんと欲するが故に 国王大臣 婆羅門居士 
及び余の比丘衆に向って 誹謗して我が悪を説いて 是れ邪見の人 外道の論議を説くと謂わん 
我等仏を敬うが故に 悉く是の諸悪を忍ばん 斯に軽しめられて 汝等は皆是れ仏なりと言われん 
此の如き軽慢の言を 皆当に忍んで之を受くべし 濁劫(じょっこう)悪世の中には 多くの恐怖(くふ)有らん
悪鬼(あっき)其の身に入って 我を罵詈(めり)毀辱(きにく)せん 我等仏を敬信(きょうしん)して 当に忍辱の鎧(よろい)を著るべし 
是の経を説かんが為の故に 此の諸の難事を忍ばん 我身命を愛せず 但無上道を惜む
我等来世に於て 仏の所嘱(しょぞく)を護持せん 世尊自ら当に知ろしめすべし 濁世の悪比丘は
仏の方便 随宜(ずいぎ)所説の法を知らず 悪口して顰蹙(ひんじゅく)し 数数(しばしば)擯出(ひんずい)せられ 
塔寺を遠離せん 是の如き等の衆悪をも 仏の告勅(ごうちょく)を念(おも)うが故に 皆当に是の事を忍ぶべし 
諸の聚落城邑に 其れ法を求むる者有らば 我皆其の所に到って 仏の所嘱の法を説かん
我は是れ世尊の使なり 衆に処するに畏るる所無し 我当に善く法を説くべし 願わくは仏安穏に住したまえ 
我世尊の前 諸の来りたまえる十方の仏に於て 是の如き誓言(せいごん)を発(おこ)す 仏自ら我が心を知ろしめすらむ」


法華経『安楽行品』第十四 (大石寺版 法華経399ページ) 
 ○法華経こそ他の経典と比較して最高位にある
「此の法華経は、是れ諸の如来の第一の説、諸説の中に於て最も為れ甚深なり(中略)此の法華経は、諸仏如来の秘密の蔵なり。諸経の中に於て、最も其の上に在り」

 

法華経『提婆達多品』第十二 (大石寺版 法華経361ページ)
 ○浄心信敬にして疑惑を生ぜざる者、仏前に生ず
「未来世の中に、若し善男子、善女人有って、妙法華経の提婆達多品を聞いて、浄心に信敬して、疑惑を生ぜざらん者は、地獄、餓鬼、畜生に堕ちずして、十方の仏前に生ぜん、所生の処には、常に此の経を聞かん。若し人、天のの中に生ずれば、勝妙の楽を受け、若し仏前に在らば、蓮華に化生せん」

 

法華経『法師品』第十 (大石寺版 法華経319ページ)
 ○一念随喜の功徳
 「如来の滅度の後に、若し人有って、妙法華経の、乃至一偈一句を聞いて、一念も随喜せん者には、我亦、阿耨多羅三藐三菩提の記を与え授く」

 

法華経『法師品』第十 (大石寺版 法華経321ページ)
 ○ 如来の所遣 如来の事を行ずる
「若し是の善男子、善女人、我が滅度の後、能く竊(ひそか)に一人の為にも、法華経の、乃至一句を説かん。当に知るべし、是の人は則ち如来の使なり。如来の所遣(しょけん)として、如来の事(じ)を行ずるなり。何に況んや、大衆の中に於て、広く人の為に説かんをや」

 

法華経『法師品』第十 (大石寺版 法華経321ページ)
 ○ 法華経の行者 誹謗悪口の罪は莫大
「若し悪人有って、不善の心を以て、一劫の中に於て、現に仏前に於て、常に仏を毀罵(きめ)せん、其の罪尚軽し。若し人一の悪言を以て、在家出家の法華経を読誦する者を毀呰(きし)せん。其の罪甚だ重し」


法華経『法師品』第十 (大石寺版 法華経325ページ)
 ○三説超過の大法
 「我が所説の諸経 而も此の経の中に於て 法華最も第一なり(中略)已に説き、今説き、当に説かん。而も其の中に於て、此の法華経、最も為れ難信難解なり」


法華経『法師品』第十 (大石寺版 法華経326ページ)
 ○猶多怨嫉
「而も此の経は、如来の現在すら、猶怨嫉(おんしつ)多し。況んや滅度の後をや」

 

法華経『法師品』第十 (大石寺版 法華経326ページ)
○末法に法華経を護持する者 仏が衣をもって覆い守り、手をもって頭をなでられる
 「当に知るべし。如来の滅後に、其れ能く書持し、読誦し、供養し、他人の為に説かん者は、如来則ち、衣を以て之を覆いたもう為し。又、他方の現在の諸仏に護念せらるることを為ん。是の人は大信力、及び志願力、諸善根力有らん。当に知るべし、是の人は如来と共に宿するなり。則ち如来の手をもって、其の頭を摩(な)でたもうを為ん」

 

法華経『法師品』第十 (大石寺版 法華経326ページ)
 ○信心の処には堂塔を建立すべし
 「在在処処に、若しは説き、若しは読み、若しは誦し、若しは書き、若しは経巻所住の処には、皆応に七宝の塔を起てて、極めて高広厳飾(ごんじき)ならしむべし。復舎利を安んずることを須(もち)いず。所以は何ん。此の中には、已に如来の全身有(ましま)す。

 

法華経『法師品』第十 (大石寺版 法華経327ページ)
○法華経を見聞しなければ、菩薩道を修する能はず
「多く人有って、在家出家の、菩薩の道を行ぜんに、若し是の法華経を見聞読誦し、書持供養すること得ること能わずんば、當に知るべし、是の人は未だ善く菩薩の道を行ぜざるなり。若し是の経典を聞くこと得ること有らん者は、乃ち能善く菩薩の道を行ずるなり」

 

法華経『法師品』第十 (大石寺版 法華経328ページ)
○仏道修行は、途中で諦めてはならない
 「人有って、渇乏(かつぼう)して水を須(もと)めんとして、彼の高原に於て、穿鑿(せんじゃく)して之を求むるに、猶乾ける土を見ては、水尚遠しと知る。功を施すことを已まずして、転(うたた)湿(うるお)える土を見、遂に漸く泥に至りぬれば、其の心決定して、水必ず近しと知らんが如く、菩薩も亦復是の如し」

 

法華経『法師品』第十 (大石寺版 法華経329ページ)
○衣座室の三軌
「如来の滅後に、四衆の為に、是の法華経を説かんと欲せば、云何(いかん)が応に説くべき。是の善男子、善女人は、如来の室に入り、如来の衣を著、如来の座に坐して、爾して乃し四衆の為に広く斯の経を説くべし」

 

法華経『法師品』第十 (大石寺版 法華経332ページ)
○変化の人
「若し我が滅度の後に 能く此の経を説かん者には 我化の四衆 比丘比丘尼 及び清信の士女を遣して 法師を供養せしめ 諸の衆生を引導して 之を集めて法を聴かしめんに 若し人悪 刀杖及び瓦石を加えんと欲せば 則ち変化の人を遣して 之が為に衛護と作さん」

 

法華経『法師品』第十 (大石寺版 法華経333ページ)
○たった一人でも、正法を説く者の処に仏は在す
「若し説法の人 独(ひとり)空閑の処に在って 寂漠(じゃくばく)として人の声無からんに 此の経典を読誦せば 我爾(そ)の時に為に 清浄光明の身を現ぜん 若し章句を忘失せば 為に説いて通利(つうり)せしめん 若し人是の徳を具して 或は四衆の為に説き 空処にして経を読誦せば 皆我が身を見ることを得ん」

 

法華経『法師品』第十 (大石寺版 法華経334ページ)
○正法の法師に親近すべし
「若し法師に親近せば 速かに菩薩の道を得 是の師に随順して学せば 恒沙の仏を身たてまつることを得ん」

 

法華経『見宝塔品』第十一 (大石寺版 法華経354ページ)
○勇猛精進
「此の経は持ち難し 若し暫くも持つ者は 我即ち歓喜す 諸仏も亦然なり 
 是の如きの人は 諸仏の歎(ほ)めたもう所なり 是れ則ち勇猛なり 是れ則ち精進なり」
 

法華経『随喜功徳品』第十八(大石寺版 法華経468ページ)
 「若(も)し人、是の経の為の故に、僧坊に往詣(おうけい)して、若しは坐(ざ)し、若しは立ち、須臾(しゅゆ)も聴受(ちょうじゅ)せん。是の功徳に縁(よ)って、身を転じて生れん所には、好(よ)き上妙(じょうみょう)の象馬(ぞうめ)の車乗(しゃじょう)、珍宝(ちんぽう)の輦輿(れんよ)を得(え)、及び天宮に乗せん」


法華経『随喜功徳品』第十八(大石寺版 法華経469ページ)
 「経有り、法華と名づけたてまつる。共に往(ゆ)いて聴くべし。即ち其の教を受けて、乃至須臾(しゅゆ)の間も聞かん」

 

法華経『安楽行品』第十四(大石寺版 法華経406)
○後五百歳に布教する功徳は莫大
「若し後の悪世の中に 是の第一の法を説かば 是の人大利を得んこと 上の諸の功徳の如くならん」

 

法華経『従地涌出品』第十五(大石寺版 法華経408ページ)
○地涌の菩薩
「止みね、善男子。汝等が此の経を護持せんことを須(もち)いじ。所以は何ん。我が娑婆世界に、自(おのずか)ら六萬恒河沙の菩薩摩訶薩有り。一一の菩薩に各六萬恒河沙の眷属あり」

 

法華経『従地涌出品』第十五(大石寺版 法華経410ページ)
○地涌の四大菩薩
「是の菩薩修の中に、四導師有り。一を上行と名づけ、二を無辺行と名づけ、三を浄行と名づけ、四を安立行と名づく。是の四菩薩、其の中に於て、最も為れ上首唱導の師なり」

 

法華経『従地涌出品』第十五(大石寺版 法華経420ページ)
○地涌の菩薩
「是の諸の大菩薩は 無数劫より来(このかた) 仏の智慧を修習せり 悉く是れ我が所化として 大道心を発さしめたり 此等は是れ我が子なり 是の世界に依止せり」

 

 

 法華経『従地涌出品』第十五(大石寺版 法華経422ページ)
○弥勒菩薩の動執生疑 大聖人一半のはじまり
「爾の時に弥勒菩薩摩訶薩、及び無数の諸の菩薩等、心に疑惑を生じ、未曾有なりと怪んで、是の念を作なく、云何ぞ世尊、少時の間に於て、是の如き無量無辺阿僧祇の諸の大菩薩を教化して、阿耨多羅三藐三菩提を住せしめたまえる」

 

法華経『従地涌出品』第十五(大石寺版 法華経422ページ)
○弥勒 騰疑更請
「世尊、如来太子為りし時、釈の宮を出でて、伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して、阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たまえり。是より已来、始めて四十余年を過ぎたり。世尊、云何ぞ此の少時に於て、大いに仏事を作したまえる」

 

法華経『従地涌出品』第十五(大石寺版 法華経423ページ)
○地涌の菩薩に対する疑義
「譬えば人有って、色美しく、髪黒くして、年二十五なる、百歳の人を指して、是れ我が子なりと言はん。其の百歳の人、亦年少を指して、是れ我が父なり、我等を生育競りと言わん。是の事信じ難く、仏も亦是の如し。得道より已来(このかた)、其れ実に未だ久しからず。而るに此の大衆の、諸の菩薩等は、已に無量百千万億劫に於て、仏道の為の故に、勤行精進し、善く無量百千万億の三昧に入出住し、大神通を得、久しく梵行を修し、善能く次第に諸の善法を集(なら)い、問答に巧に、人中の宝として、一切世間に甚だ為れ希有なり(中略)我等は復、仏の随宜の所説、仏の所出の言(みこと)、未だ曾て虚妄ならず、仏の所知は皆悉く通達したまえりと信ずと雖も、然も諸の新発意(しんぼっち)の菩薩、仏の滅後に於て、若し是の語(みこと)を聞かば、或は信受せずして、法を破する罪業の因縁を起さん。唯然なり。世尊、願わくは為に解説して、我等の疑を除きたまえ」

 

法華経『従地涌出品』第十五(大石寺版 法華経427ページ)

「若し此の経に於て 疑を生じて信ぜざること有らん者は 即ち當に悪道に堕つべし 願わくば今為に解説したまえ 是の無量の菩薩をば 云何にしてか少時に於て 教化し発心せしめて 不退の地に住せしめたまえる」

 


法華経『如来寿量品』第十六(大石寺版 法華経429ページ)
○久遠本地開顕
「皆今の釈迦牟尼仏は、釈氏の宮を出でて、伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して、阿耨多羅三藐三菩提を得たまえりと謂(おも)えり。然るに善男子、我実に成仏してより已来(このかた)、無量無辺百千万億那由多劫なり」

 

法華経『如来寿量品』第十六(大石寺版 法華経433ページ)
○本因妙
「我本菩薩の道を行じて、成ぜし所の寿命、今猶未だ尽きず。復上の数に倍せり」

 

法華経『如来寿量品』第十六(大石寺版 法華経433ページ)
○本果妙
「我成仏してより已来、甚だ大いに久遠なり。寿命無量阿僧祇劫なり。常住にして滅せず」

 

法華経『如来寿量品』第十六(大石寺版 法華経431ページ)
○本国土妙
「我常に此の娑婆世界に在って、説法教化す」

 

法華経『常不軽菩薩品』第二十(大石寺版 法華経500ページ)
○不軽菩薩 二十四字の下種
「我深く汝等を敬う、敢えて軽慢せず。所以は何ん。汝等皆菩薩の道を行じて、當に作仏することを得べし」

 

法華経『如来神力品』第二十一(大石寺版 法華経513ページ)
○結要付嘱
「要を以て之を言わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於て宣示顕説す」

                           約行の次第

 

 

法華経『如来神力品』第二十一(大石寺版 法華経516ページ)
○地涌上行菩薩
「如来の滅後に於て 仏の所説の経の 因縁及び次第を知って 義に随って実の如く説かん 日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く 斯の人世間に行じて 能く衆生の闇を滅し 無量の菩薩をして 畢竟して一乗に住せしめん(中略)是の人仏道に於て 決定して疑有ること無けん」


法華経『属累品』第二十二(大石寺版 法華経519ページ)
○迹化他方菩薩への一経付嘱
「未来世に於て、若し善男子、善女人有って、如来の智慧を信ぜん者には、當に為に此の法華経を演説して、聞知することを得せしむべし。其の人をして、仏慧を得せしめんが為の故なり。若し衆生有って、信受せざらん者には、當に如来の余の深法の中に於て、示教利喜すべし。汝等、若し能く是の如くせば、則ち為れ、已に諸仏の恩を報ずるなり」

 

法華経『薬王菩薩本事品』第二十三(大石寺版 法華経526ページ)
○薬王菩薩の身を捧げる行
「自ら身を燃(とも)して、光明遍く八十億恒河沙の世界を照す」

 

法華経『薬王菩薩本事品』第二十三(大石寺版 法華経532ページ)
○法華経受持の功徳
「若し復人有って、七宝を以て三千大千世界に満てて、仏、及び大菩薩、辟支仏(びゃくしぶつ)、阿羅漢に供養せん。是の人の所得の功徳も、此の法華経の、乃至一四句偈を受持する、其の福の最も多きには如かじ」

 

法華経『薬王菩薩本事品』第二十三(大石寺版 法華経532ページ)
○法華経の功徳 最第一
「此の法華経も、亦復是の如し。諸の如来の所説の経の中に於て、最も為れ深大なり」
「此の法華経も、亦復是の如し。諸経の中に於て、最も為れ其の上なり」
「此の法華経も亦復是の如し。能く一切の不善の闇を破す」
「此の経も亦復是の如し。衆経の中に於て、最も為れ其の尊なり」
「此の経も亦復是の如し。諸経の中の王なり」

 

 

法華経『薬王菩薩本事品』第二十三(大石寺版 法華経535ページ)
○法華経の功徳 莫大なり
「清涼の池の能く一切の諸の渇乏の者に満つるが如く、寒き者の火を得たるが如く、裸なる者の衣を得たるが如く、商人の主を得たるが如く、子の母を得たるが如く、渡に船を得たるが如く、病に医(くすし)を得たるが如く、暗(やみ)に燈(ともしび)を得たるが如く、貧しきに宝を得たるが如く、民の王を得たるが如く、賈客(こきゃく)の海を得たるが如く、炬(かがりび)の暗を除くが如く、此の法華経も亦復是の如し。能く衆生をして、一切の苦、一切の病痛を離れ、能く一切の生死の縛(ばく)を解かしめたもう」

 

法華経『薬王菩薩本事品』第二十三(大石寺版 法華経538ページ)
「所得の福徳、無量無辺なり。火も焼くこと能わず、水も漂(ただよ)わすこと能わじ

 

法華経『薬王菩薩本事品』第二十三(大石寺版 法華経539ページ)
○広宣流布
「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん」

 

法華経『薬王菩薩本事品』第二十三(大石寺版 法華経539ページ)
○病即消滅不老不死
「此の経は則ち為れ、閻浮提の人の病の良薬なり。若し人有らんに、是の経を聞くことを得ば、病即ち消滅して不老不死ならん」

 

 

法華経『普賢菩薩勧発品』第二十八(大石寺版 法華経603ページ)
○普賢菩薩の誓い
「世尊、我今、神通力を以ての故に、是の経を守護して、如来の滅後に於て、閻浮提の内に広く流布せしめて、断絶せざらしめん」


法華経『普賢菩薩勧発品』第二十八(大石寺版 法華経606ページ)
○法華経信受の人の悪口を言えば、白癩病となる
「若し復是の経典を受持せん者を見て、其の過悪を出さん。若しは実にもあれ、若しは不実にもあれ、此の人は現世に、白癩の病を得ん」

 

仏説観普賢菩薩行法経(大石寺版 法華経619ページ)
○憶持不忘
「憶持して忘れじ」

 

 

 

 

毎月の行事

 

  ● 先祖供養 お経日  

      14:00/19:00

※日程変更あり・要確認

 

第 1    日曜日 

  ● 広布唱題会      

      9:00

 

第 2    日曜日 

    ● 御報恩 お講  

            14:00

 

お講前日の土曜日  

     ●お逮夜 お講   

            19:00

http://www.myotsuuji.info