池田大作氏の命終に想う 池田家のみなさんへ
昭和の終わり頃、私は千葉県の日蓮正宗寺院に在勤し、僧侶としての修行に励みつつ、大学へ通っていました。当時はまだ、日蓮正宗と創価学会(以後、学会といいます)は和合して、ともに広宣流布を目指し、信心をしていた時代です。
学会員さんは、誰もが当たり前のように地元の日蓮正宗寺院に参詣し、冠婚葬祭の依頼はもちろん、お寺での勤行や唱題にも盛んに参加してました。日曜日の朝ともなると、数百人の学会員さんがお寺へ参詣し、本堂はあふれんばかり。ご住職の導師のもと早朝から大勤行会がはじまります。そして、終了後も多くの方が本堂に残って唱題し、お寺から次の活動場所へとでかけて行きました。
日蓮正宗の僧侶は皆、学会員さんからの依頼に対しては、真心込めてあたっていました。
しかし日蓮正宗には、当時の私のように、修行途中である若い僧侶も、たくさん在籍しています。そんな青年僧侶のなかには、若さや経験不足などから、振る舞いや言葉使い等で学会員さんに迷惑をかける者もいました。しかし、どんな時も、学会員さんは正法への信心を第一に考え、日蓮正宗外護と広宣流布のため、あらゆる面で私達僧侶をサポートしてくれました。葬儀への送迎の際には、私のような二十歳(はたち)そこそこの僧侶のために、立派な車を用意していただいた上に、後部座席に座布団まで敷いて、私をそこに座らせてくださいました。私は恐縮しながらも、そんな学会員さんの誠意に、何とかお応えしていこうと誓ったものです。
このように私は、日蓮正宗直属の信徒である法華講員さんはもちろん、広布のために日々、活動に励む学会員さんの姿勢にも、心から尊敬の念を懐いていました。
平成2年11月、私は縁あって、SGI(創価学会インタナショナル)の招聘のもと、御法主日顕上人よりの御命を賜り、ヨーロッパ・アフリカの出張御授戒に従事させていただきました。SGIと学会本部の方の引率(いんそつ)で、出国から帰国までの11日間、イギリス・ロンドン、アフリカのザンビア共和国首都・アクラ、ふたたびヨーロッパへ戻ってドイツ・フランクフルトを訪問しました。特に当時のドイツは、ベルリンの壁が崩壊(ほうかい)して間もなかった時期で、国中が明るい未来を見いだそうと、躍動感(やくどうかん)に満ちていました。ちなみに、帰国直後、日本では現・上皇陛下、当時は平成の天皇陛下の即位の礼が行なわれた、そんな時期です。
出張御授戒で訪れた、どの国、どの地域においても私達僧侶は大歓迎され、数百名もの方の御授戒を執行させていただきました。御本尊様の下付も数百体に及んだと記憶しています。車椅子に乗せられた女性が、涙をぽろぽろ流しながら下付された御本尊を高々と掲(かか)げ、折伏されてから数年間、ずっと待ち続けた御本尊下付が、ようやく叶った喜びを、体全体で表現していたことが印象的でした。
イギリス日蓮正宗のK理事長、ドイツ日蓮正宗のC理事長、ザンビア日蓮正宗の理事長(名前は失念しました)は、どなたも立派な方々でした。
当時、英国の爵位(しゃくい)をも持たれていたK理事長は「私は、イギリス人としての誇りを持っていますが、私の人生で、日蓮大聖人の仏法に出会えたことを、この上ない喜びとしています」「総本山の御大会に何度も参列しましたが、御大会での御法主上人の尊いお姿に、日蓮大聖人にお会いしたような感動を覚えました」「大法要での、総本山の幽玄な佇まい、法要の荘厳さに、私は登山するたび、中世にタイムスリップしたような、お伽噺(おとぎばなし)の世界に入り込んだような不思議な感覚を覚えます」「イギリスに一日も早く日蓮正宗の寺院が建設され、ご僧侶に常駐していただくのが、今の私の最大の願いです」と語って(もちろん通訳を通して)いました(当時の私の日記より)。
ドイツのC理事長は「私は、許可をいただけるなら、私財をなげうってでも、フランクフルトに日蓮正宗寺院を建設したいと思っています。ご僧侶をお招きしたら、かならずお守りします」「レブロン・ホソイ、あなたさえよければ、このままドイツに永住してください(笑)」と語っていました(当時の私の日記より)。(もちろんこれも、ドイツ語からの通訳付です)
ザンビア理事長は政府高官を務める方であり、私達が到着した際、理事長の計らいで空港の貴賓室(きひんしつ)に通されました。そして、これから外遊に出発するというザンビアの外務大臣(?)か財務大臣(?)に「日本から、はるばるおいでいただいた仏教僧の方です。我が国の平和を祈るために、おいでいただきました」と紹介されました。当時のザンビアは発展途上にあり、理事長は「国の発展には、国民への教育拡大が欠かせません。そのために私は、御本尊様、日蓮大聖人様からお力をいただけるよう、信心に励んでいきたい」と目を輝かせながら語ってくれました(当時の私の日記より)(もちろん…)。
なぜ今、こんな昔話をするのかと言いますと、当時は、そんな理想的な、すばらしい信心を、日蓮正宗と学会とが協調して行なっていたという事実を、特に、当時を知らない若い学会員さんに知って頂きたいからです。また、昭和から平成の初旬にかけて、懸命に僧俗一致の信心にがんばっていた方々に思い出していただきたいからです。
出張御授戒を終え、歓喜と、そして広布への強い決意を胸に私が帰国した数日後の平成2年11月16日、池田大作氏は学会本部幹部会において、日蓮正宗を一方的に批判するスピーチを行ないました。それ以降、日蓮正宗と学会は断絶(だんぜつ)し信頼関係は破綻(はたん)。ついに平成3年11月、学会が「日蓮正宗から破門される」という最悪の結末を迎えることになります。
戦後、学会組織を再建した戸田城聖氏は、次のような言葉を遺しています。
「わずか小勢百数十人の僧侶が、愚僧、悪僧、邪僧充満の悪世に、よくたえるもので、大聖人の「御出世のご本懐」たる弘安二年十月十二日ご出現の一閻浮提総与の大御本尊を守護したてまつって、七百年間、チリもつけず、敵にもわたさず、みなみな一同、代々不惜身命の心がけで、一瞬も身に心に身心一つに、御本尊を離れずに、今日にいたったのである。朝夕の給仕、大聖人ご在世と一分も変わりなく時勢の隆替にも、法主上人の代々にも、なんら変わりがないことは、大聖人ご在世を拝すると同様である」
(戸田城聖全集1巻43ページ)
つまり、戸田城聖氏は、日蓮大聖人の大仏法を、現代にいたるまで正しく伝えてきた唯一の団体が日蓮正宗(大石寺)であり、そのこと自体、日蓮正宗の大功績であると賛嘆しているのです。
学会では、それが真実であっても、ゆがめられた虚偽報道を基としたものであっても、「日蓮正宗の過去の歴史には、大いに誤りがあった」と会員に吹聴(ふいちょう)しているようです。しかし、自由な布教活動が許されない封建時代、あるいは戦時下という狂気の時局下で、あらゆるものを犠牲(ぎせい)にしてでも大御本尊と大聖人よりの血脈を守り通した方々の、筆舌に尽くせぬ辛労(しんろう)。そうした血を吐くほどの艱難(かんなん)の歴史に対し、平穏な社会に生きる現代人が、軽々に批判したり、論評したりできるものではない、と私は思います。
大聖人の信仰を受持する者にとって刮目(かつもく)すべきは、戸田城聖氏も語っているように「日蓮正宗に、大聖人の正法と大御本尊が正しく受け継がれている」という事実。このことこそ「日蓮正宗七百五十年の正義」を何よりも証明している、ということではないでしょうか。
日蓮大聖人ご在世当時なら、大聖人から直接信心を教えていただいたり、大聖人とともに折伏に歩くことで、身をもって、成仏の正しい修行を実践できたといえましょう。これに対し、現代の私たちが、大聖人の仏法を正しく修行するには、まず第一に、本門戒壇の大御本尊を信心の根本とすること。そして、御本尊があり、御書があっても、身延派日蓮宗や立正佼成会などでは、間違った題目を唱えていることからも明らかなように、大聖人から日興上人、日興上人から日目上人へと大石寺に代々受け継がれてきた正しい血脈のもとに、信を置いていくこと、これが何よりも大事です。
現在、本門戒壇の大御本尊を源とする日蓮大聖人の正法は、総本山第68世日如上人に受け継がれています。ですから、今の私たちは、日如上人の御指南のもとに、大聖人の仏法を日々実践していくことが成仏への唯一の道となるのです。
かつて総本山第67世日顕上人は、「たとえ池田大作氏であっても、我々日蓮正宗の僧侶が、やがていつかは、救っていかなければならない。我々僧侶は、そういう大慈悲心を基に、どんな誹謗(ひぼう)にも耐え抜いて、謗法は謗法として破折し、創価学会の人たちにも、正しい信心の在り方を教えていかなければならない」旨、仰せでした(これは平成5年頃、私が総本山で直接、日顕上人より伺ったお言葉です)。
池田大作氏が生前、大御本尊のもとに戻ることができなかったことは残念です。また多くの学会員さんが、現在でも、誤った指導に迷わされ、恐ろしいニセ本尊を拝まされていることは、けっして許されることのない、創価学会の大罪(たいざい)と言えましょう。
しかし、不軽(ふきょう)菩薩を迫害(はくがい)した増上慢(ぞうじょうまん)の衆生が、のちに反省懺悔(ざんげ)し、それでも一度は地獄の苦しみを経たものの、ふたたび法華経を信じて成仏できたとされるように、池田大作氏も遠い未来世において懺悔(ざんげ)し、大御本尊の元へ戻って、時の御法主上人のもとに、一から信心修行に励んでいくことができるよう心から祈っています。
現在、学会組織では「本門戒壇の大御本尊を信仰の対象とはしない」とし、いまだにニセ本尊を作製・販売を続けるなど、日蓮正宗とは相容(あいい)れない道を歩んでいます。こうした現状を見るにつけ、学会組織そのものが今後、日蓮正宗と再び協調し、行動を共にしていくことは不可能でしょう。
日蓮大聖人は『立正安国論』に
「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ」(御書250)
と仰せです。現今における“一善”とは、総本山大石寺にまします一閻浮提総与・本門戒壇の大御本尊に他なりません。
池田大作氏の遺族の皆さんには、自家の影響力等により、自由に行動することが難しいこともありましょうが、正しい信心を選んでいくことこそ、あなた方の子孫が真に幸せになっていく唯一の道である、今はそのことを真剣に考えるべきです。また、池田家の皆さんの勇気ある行動が、多くの学会員さんが目を覚ます、きっかけとなっていくことにも繋(つな)がるのです。
池田家の方々には、池田大作氏が戦後、先祖代々信仰してきた真言宗とは決別し、日蓮正宗への入信を決意した、その勇気に思いを致し、ぜひとも家族そろって学会とは決別し、日蓮正宗に再入信してください。そして、日蓮正宗の信徒として、“実乗の一善”である大御本尊のもと、日蓮大聖人の信仰の道を、心新たに歩んでいかれますよう、心から願っています。