日蓮宗 鬼子母神等を拝むのは間違い    

 

              日蓮宗系は本尊に対する信仰自体が、まちがっています!

 

 日蓮宗などの寺院には、現在、鬼子母神・稲荷・七面大明神・清正公など、三十番神をはじめ雑多な物を信仰の対象として祀(まつ)られています。しかし、これらの雑乱勧請(かんじょう)は、すべて日蓮大聖人ご入滅後、日蓮大聖人の教えに迷乱した弟子や信徒たちによって作り出された誤った信仰の産物です。こうした神々を信仰することは、日蓮大聖人の信仰とはいえません。
 どうしてこんなことが起こったのか? その信仰の誤りの歴史を辿(たど)ってみますと、京都で最初に日蓮宗を弘めた日朗(日蓮大聖人の弟子で六老僧のひとり)の弟子・日像が、民衆への布教をやりやすくするため、当時、世間で人気があった三十番神信仰(日本中で祀(まつ)る法華守護の三十の神々が、国家と庶民を毎日交代で、一ヶ月間まもるという天台宗の思想から起こった民間信仰)を積極的に取り入れ、曼荼羅(まんだら)御本尊の中に、書き加えたのがはじまりといわれています。

 そもそも仏法では、「神」の存在意義は、「正しい仏法の行者を護る」とするところに、その価値を認めています。日蓮大聖人は『新池御書』に
 「其の上、此の国は謗法の土なれば、守護の善神、法味にう(飢)へて社(やしろ)をす(捨)て、天に上り給へば、悪鬼入りかはりて多くの人を導く。仏陀は化をやめて寂光土へ帰り給へば、堂塔寺社は徒(いたずら)に魔縁の栖(すみか)と成りぬ」

                          (平成新編御書1458ページ)
と示されています。
 日本国中の為政者や民衆が、法華経の精神に背く謗法(ほうぼう)を犯しているので、本来、法華経の行者を守護すべき諸天善神はこの国を見捨てて天上世界へと帰ってしまい、その代わりに、善神の住まいとされる神社には、悪鬼(あっき)魔神(まじん)が入り込んで、その神社に参詣する人々の心を誑惑(おうわく)し、社会を混乱させているということです。ですから日蓮大聖人は、弟子や信徒たちに、神社への参詣を禁止されています。
 私たち日蓮正宗では、この精神を正しく受け継ぎ、宗派全体の僧俗に対して、神社への参詣は謗法行為として、行なってはならない旨を指導しているのです。

 ところが日蓮宗等では、『諫暁八幡抄』の
 「若し爾らば、此の大菩薩は宝殿をやきて天にのぼり給ふとも、法華経の行者、日本国に有るならば、其の所に栖み給ふべし」(平成新編御書1543ページ)
とのお言葉を都合よく解釈し、神社参詣を合法としています。つまり、
「諸天善神が天上世界に去ったとしても、法華経を信仰する人がいる場所には、いつでも諸天善神は戻ってきて守護してくれる、と大聖人は仰せられている。だから、法華経を信仰する人が神社へ参詣すれば、その時だけ一時的に、諸天善神が戻ってくることになり、神社に参詣しても合法である」
との勝手な解釈をしているのです。さて、これは本当でしょうか?
 そもそも『諫暁八幡抄』の
 「法華経の行者、日本国に有るならば、其の所に栖み給ふべし」
との日蓮大聖人のお言葉の真意は、
「法華経の行者、つまり日蓮大聖人が、謗法を責め、折伏を実行し、正法を流布されるときには、その行者の信仰を助け守る」
ことを意味します。これは日蓮大聖人と心を合わせ、謗法を破折し正法弘通に励む、門弟や信徒も同様です。その信仰活動は、正しい法華経の意に叶うものですから、題目を唱え謗法破折の折伏を実践する人には、かならず諸天善神の守護があることは疑いありません。
 一方、謗法を破折することもなく、ただ諸天の加護を願って神社に参詣する人を、諸天は守護してくれる、などということは一言も説かれてはいないのです。その理由は、先に説明したとおり、国中に謗法が充満している現今は、神社には諸天善神にかわって、悪鬼魔神が栖みついているからです。日蓮宗の皆さんは、悪鬼魔神の栖となった神社に、どうしてわざわざ参詣し、魔に祈りを捧げていくのですか?逆に伺いたいくらいです。

 また、日蓮宗等の寺院では、十羅刹女や鬼子母神など、日蓮大聖人が書写された曼荼羅御本尊に認(したた)められた諸尊を単独で祀っているところがあります。
 現在、一般に知られている東京・柴又の帝釈天も、実は「題経寺」という日蓮宗寺院であり、同じく東京・雑司ヶ谷の鬼子母神も「法明寺」という日蓮宗寺院です。ともに、本堂の本尊より、別勧請(かんじょう)で祀った諸天が有名になっています。これらの寺院の僧侶たちは、中心の本尊よりも、おまけで祀っている諸天の方が有名になっていることに、何ひとつ矛盾を感じないのでしょうか。「伝統だから」といって、間違った姿を改めないでいたら、それこそ衆生済度どころではありません。「人々の信仰心を悪用し商売している」と批判されても仕方ないのではありませんか?。

 

 日蓮大聖人は『日女御前御返事』に
 「首題の五字は中央にかかり、四大天王は宝塔の四方に座し、釈迦・多宝・本化の四菩薩肩を並べ、(略)三千世界の人の寿命を奪う悪鬼たる鬼子母神・十羅刹女等、加之(しかのみならず)日本国の守護神たる天照太神・八幡大菩薩・天神七代・地神五代の神々、総じて大小の神祇等、体の神つらなる、其の余の用の神、豈もるべきや。宝塔品に云はく『諸の大衆を接して皆虚空に在り』云々。此等の仏・菩薩・大聖等、総じて序品列座の二界、八番の雑衆等、一人ももれず此の御本尊の中に住し給ひ、妙法五字の光明にてらされて、本有の尊形となる。是を本尊とは申すなり」(平成新編御書1387ページ)
と説かれ、十界互具一念三千の曼荼羅御本尊の相について、詳しく説明されています。
 このお言葉からも明白なように、諸天善神は寿量品(文底独一本門)にて久遠の本地を開顕されたご本仏の一念の当体である大曼荼羅御本尊に内在し、その諸天は、妙法の功徳によって法華守護の任を果たす力を得るのです。したがって諸天善神そのものを本尊として祀り、信仰の対象とすることは誤りなのです。
 日蓮大聖人出世の本懐である曼荼羅御本尊と諸天善神との関係を曲解し、大聖人の御正意に迷った結果、身延派日蓮宗をはじめ日蓮正宗以外の本山や末寺では、勧請と称して仏像や番神の絵像木像なども本尊として立てていますが、これらはまさに、日蓮大聖人の御正意に背く謗法行為といえます。

 

 現在、身延の門前では、日蓮大聖人の曼荼羅御本尊の複製(コピー)を、あろうことか「お土産品」として不特定多数の観光客などに販売しています。このような実態こそ、日蓮大聖人が「諸宗は本尊に迷えり」と破折された邪宗邪義の姿そのものであり、謗法を戒め、他宗の者や過去に一度退転した人に本尊を授与されなかった日蓮大聖人の教えに背く、非法集団そのものの行為といえるのです。
 日蓮宗系の各宗派に所属する、全国、全世界の寺院住職の皆さん、僧侶のみなさん、信徒の皆さん。こうした自宗の謗法行為に気付き、それをあらためて、正しい南無妙法蓮華経の信心修行を行なうため、一日も早く、日蓮正宗の正法に帰依し、日蓮正宗の信徒となられることを願っています。

毎月の行事

 

  ● 先祖供養 お経日  

      14:00/19:00

※日程変更あり・要確認

 

第 1    日曜日 

  ● 広布唱題会      

      9:00

 

第 2    日曜日 

    ● 御報恩 お講  

            14:00

 

お講前日の土曜日  

     ●お逮夜 お講   

            19:00

http://www.myotsuuji.info