天理教について

【天理教の歴史】

 天理教は江戸幕末、「中山みき」という女性によって創立された新興宗教です。
 「中山みき」が四十一歳のとき、みき夫婦と長男・秀司は、自分たちの病気平癒の祈祷を修験者に依頼しました。その怪しげな祈祷の最中、突然「みき」が異様な言動を取るようになりました。「みき」が言うには、みき自身に「元の神・実の神」と名乗る得体の知れない神が取り憑(つ)き、
 「この世のすべての人を救うため、神の住む社(やしろ)として、みきの体をもらい受けたい」
 「不承知なら、中山家を、元も子もないようにしてしまう」
と神が脅迫してきたというのです。その言葉を信じ、恐ろしくなった夫・善兵衛は、いとも簡単に「みき」を「やしろ」として神に差し出しました。天理教では、「中山みき」が「神のやしろ」と定まった天保9(1838)年10月26日を立教の日としています。

 「みき」の神がかり以後中山家は没落しはじめ、ついに自身の食べ物にも事欠くような状態になりました。その原因は「貧(ひん)におちきれ」という親神からの命令に従い、「施し」と称して全財産を人々にばらまいてしまったことに依ります。天理教団では、こうした「みき」の行動は、どんな境遇でも心の持ち方一つで、「陽気ぐらし」ができるという手本(ひながた)であると教えています。

 神がかりから15年目の嘉永6(1853)年、夫・善兵衛が死去しました。その直後「みき」は、自分の五女「こかん」を浪速(なにわ)(現大阪)の街頭に立たせ、拍子木を打ちながら「南無天理王命」と叫ぶよう命じました。天理教団ではこれを、「においがけ」(布教活動)のはじまりとしています。

 明治8年6月、みきは自宅を入念に掃除させると、庭をウロウロと歩き出しました。しばらくすると足が地面に吸(す)い付いて前後左右に動けなくなり、「みき」はその場所に印をつけました。そして、その場所こそ親神(おやがみ)が最初に人間を創造した場所「ぢば」であるといい、「かんろだい」と称する台をすえました。現在、この場所を天理教では根本道場としています。

 天理教団では、「中山みき」を「教祖(おやさま)」と称し、それ以後の教団代表者を「真柱(しんばしら)」と呼んで、今日に至るまで中山家の直系男子によって教団が継承(けいしよう)されています。


 なお、天理教から分派・独立したものには、「天輪王教会」「大道教」「朝日神社」「ほんみち」「世界心道教」「赤坂神様の家」「ほんぶしん」「修養団体誠会」「天理三輪講」「神一条教」「(財)モラロジー研究所」「太道教」「自然真道」「日月教」「八楽会教団」「神光苑」「天真教真祐殿教会」など多数の新興宗教があります。

 

まさに天理教は、新興宗教を次々と生み出す母(ぼ)胎(たい)となっているといっても過言ではありません。


【天理教の教え】

 天理教では、信仰の対象を「目標(めど)」と称します。目標(めど)とは、「ぢば」「親神・天理王命」「教祖中山みき」の三つをさします。
 「ぢば」は、親神(おやがみ)が人間を創造した際に、最初に人間を宿した場所であり、親神が鎮(しず)まっている「親里(おやざと)」であるとします。現在の教団本部(奈良県天理市三島町)の神殿中央には、この「ぢば」の目印として「かんろだい」が設置され、その場所自体が信仰の対象となっています。
 「親神(おやがみ)・天理王命」は、人間をはじめ世界を創造した根元の神であるといいます。この神は、「中山みき」の体を借りてこの世に現われ、世界中を苦しみから解放して、喜びづくめの生活(陽気ぐらし)へと導くと天理教では教えます。
 天理教の教会では、天理王命の象徴(しょうちよう)としての神鏡(しんきょう)を、教祖・中山みきの象徴として御幣(ごへい)を祀(まつ)り、信者は「神実(かんざね)」と呼ばれる小さな神鏡を祀ります。
 

 

 【教えの中心】


 ○親神(おやがみ)が人間を創造した「元初(もとはじ)まりの話」を説いています。
 この説話では、昔、月日の神(天理王命の別名)は、まず泥海に住んでいた「ぎ魚」と「白ぐつな」を夫婦の雛形として口に入れ、さらに鯱(しやち)、亀、うなぎ、かれい、などを道具として食し、そのうえに「どじょう」を食べて「たね」として人間を産んだ(趣意)とあります。そして「月日の神」が子供を宿した場所が、中山家の敷地内にあった「ぢば」であるとしているのです。天理教では「ぢば」を、すべての人間の生まれ故郷と教え、天理市の本部へ参拝することを「おぢばがえり」といって信者の重要な修行としています。
 
 ○天理教では、人間の身体は、親神からの「かりもの」であり、心だけが人間独自のものであるとします。人間は日頃、無意識のうちに心に
「をしい(惜)」「ほしい(欲)」「にくい(憎)」「かわい(可愛い)」「うらみ(怨)」「はらだち(怒)」「よく(貪)」「こうまん(慢)」の八つの「ほこり(埃)」
を積んでいるとし、このほこりが積み重なると、親神は、人間の心得違いを改めさせようとして、病気、不幸、災難を人間に起こすと教えています。よって人間は、親神(おやがみ)の教えを「ほうき」として使い、常に心を掃除するようにと天理教では説き、教えの理が理解できるようになると徐々に陽気づとめへと進むことができると教えているのです。
 以上のことから、天理教では信者の主な修行法としては、欲を離れるために、まず第一にその欲を起こす原因となる「金銭」「財産」「家屋敷」などは親神にお供え(おつくし)し、仕事を離れて教会に出向き(はこび)、他人のために奉仕する(ひのきしん)ことを実践徳目としているのです。



【天理教が「間違っている」と考えるおもな理由】

 ① 天理教で教える万物創造の親神(おやがみ)は、天保9(1838)年、突如として出現して「中山みき」(教祖・おやさま)に取り憑(つ)きました。しかし、それでは親神さまは、それまで一体、どこで何をしていたのでしょうか? 親神の教えによって人間は始めて救われるというなら、1838年以前の人類は、いったい、誰が救ってきたというのでしょうか?。
 残念ながら万物創造の親神(おやがみ)(天理王命)は、現代に至るまで「中山みき」の空想世界にしか出現していません。
 怪(あや)しげな修験者の祈祷(きとう)がきっかけとなり、「中山みき」の心の中に生まれた妄想の産物~それが親神(おやがみ)さまです。同じような神の出現(妄想)は、現代精神的医学の治療において、日常茶飯事に、多くの症例を見ることができることからも明白です。

 ② 天理教は、「元の理」と称して、親神が「どろ海中のどぢょうを皆食べて、その心根を味わい、これを人間のたねとされた」(天理教教典二十七ページ)と述べています。
 しかし、「どじょう」が人間の「たね」などとは、あまりにも非科学的、低級な思考と言えるのではないでしょうか。もしかすると、「中山みき」は、よほど「どじょう」料理が好きで、その大好物が忘れられず、シャーマン(狐憑(きつねつ)きのようなもの)となってからも心に染みついていたのかもしれません。
 いずれにせよ、そうした妄想(もうそう)を基とする信仰では、現実社会のなかで生死にかかわる重大な苦悩にあえぐ衆生を、心底から救済することは不可能と断言します。

 ③ 天理教では、人間の肉体は親神(おやがみ)から借りたもので、心だけが人間個人の所有であるとします。そして親神(おやがみ)の心を知れば、どのような境遇(きょうぐう)でも、その心の持ち方ひとつで「陽気ぐらし」ができると教えます。しかし、自分では「何とか元気に暮らしていきたい」と願っていても、真の幸福を得られず、人生の意義、生きがいを見つけることができない。そんな厳しい時代だからこそ、我々は苦労するのです。「心根ひとつで、陽気(ようき)に暮らせる」などという「のんき」なことを言っている場合でないのが、末法時代(人々の心が暗闇に支配される)なのです。

 ④ 天理教では、人間本来の心に、八つの埃(ほこり)がつき、その埃がすべての病気や災害を起こす原因であると教えます。しかし八つの埃(ほこり)それぞれを観察すると、そのすべては、誰でもが生まれながらに持っているものです。人間として生きていく以上、それらのすべてを取り除くことは到底不可能といえます。
 また、「欲」ということ一つ見ても、「悪い欲望」はともかく、「病気を治したい」「元気に働きたい」「家族をもっと幸せにしたい」と願うこともまた「欲望」の一つなのです。そんな前向きで素直な「欲」まで奪ってしまって、何が人間らしい人生と言えましょうか?
 このような人間の本質を見抜くことができず、「八つの埃を払う」修行を必要不可欠であると説く天理教では、一切衆生を真の幸福へと導くことは不可能と知るべきなのです。

 

※上記は「諸宗破折ガイド」(大石寺発行)を基に、筆者がまとめたものです。

毎月の行事

 

  ● 先祖供養 お経日  

      14:00/19:00

※日程変更あり・要確認

 

第 1    日曜日 

  ● 広布唱題会      

      9:00

 

第 2    日曜日 

    ● 御報恩 お講  

            14:00

 

お講前日の土曜日  

     ●お逮夜 お講   

            19:00

http://www.myotsuuji.info