「国立戒壇」(こくりつ かいだん)について

 

 みなさんは、冨士大石寺顕正会が主張する「国立戒壇論」について、どの程度の知識を持たれていますか?
 「井の中の蛙(かわず)」では、物事の真実の姿(諸法の実相)を識ることはできません。住み慣れた場所は、居心地がいいものです。しかし勇気をもって一度、井戸の中から外に出て、広い世界をよく知ってこそ、物事の真理の一端を見いだせるというものです。

 

 「国立戒壇」という言葉は、日蓮大聖人は一度も使われていません(御書の中には出てこない)。ですから現在、日蓮正宗では、その言葉を使用しません。しかしだからといって、広宣流布を目指し、一人ひとりが折伏を実践し、世界平和実現に励んでいく、その「広布の精神」と熱烈な信行を捨てたわけではないのです。ただ、明治時代以降に人為的につくられた「国立戒壇(こくりつかいだん)」という言葉を、あえて使わなくなっただけのことなのです。

 

 すでに、日蓮大聖人の「霊山浄土に似たらん最勝の地を訪ねて戒壇を建立すべき者か」との御遺命に従い、日興上人は本門戒壇の大御本尊を身延から富士・大石が原の寺(大石寺)に移されました。よって日興上人が、日蓮大聖人の御遺命に基づいて定められた、将来の戒壇堂建立の地は現在の大石寺なのです。僧宝(そうぼう)随一である日興上人が定められたのですから、さらに他の所に「戒壇堂建立の地」を探し求める必要はありません。
 広宣流布が達成したとき、大石寺は「本門寺」と改称し、境内地内のいずれかに大御本尊を安置する「本門の戒壇堂」が設置されるのです。

 

 顕正会では「天母山(あんもやま)戒壇説」に固執する一つの理由として「大坊棟札(むなふだ)」を根拠としているようです。しかし日興上人筆とされる「大坊棟札」は、日興上人の御字とはまったく別人のものであり、後の時代に造られた棟札(むなふだ)であることが判明しています。
 日興上人は大石寺とは離れたところにある「天母山に戒壇堂を建立する」等ということは示されていない、ということです。

 

 「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」との日蓮大聖人の御遺命について、この文章をよく拝してみましょう。
 まず、この文章では、広宣流布の時に「国主」が立てるのは「此の法」であり、「戒壇堂」という建物を指されている訳ではないことが判ります。
 つまり、「日本中の民衆が折伏し尽くされ、ついに時の国主までもが大御本尊に深く帰依し、南無妙法蓮華経の仏法を深く信ずるようになる = 国主が此の法を立てるようになった」とき、「日目上人の再誕である時の御法主上人(日蓮大聖人の代理)が、本門戒壇の大御本尊を安置する本門戒壇堂を建立しなさい」というのが大聖人の御遺命なのです。
 以上のような理由から、「時の御法主上人が建立」されるのですから、「国の法律に基づいて、文化庁やその他所轄庁が計画をたてて本門の戒壇堂を建設する」とのことを意味する「国立戒壇」との言い方は、実態に即さないことは明白です。

 

 「勅宣(ちょくせん)ならびに御教書(みぎょうしょ)」についても、現代の社会通念に適さないことは明白です。「勅宣」というのは天皇陛下の宣言であり、「御教書」もまた皇室から発せられるものを意味します。明治以前の日本の国家形態において、時の天皇陛下が日本国の国王としての権威(けんい)をもって政治を司られていた時代ならいざしらず、現代のような象徴天皇制のもとで、天皇陛下が命令書を出して国家事業を行ない、国営(国立)の戒壇堂を建設することなど不可能です。そういった意味から日蓮正宗では、「国立戒壇」との言い方は、現代から未来にわたって、そぐわないから使用しない、と決めただけの話なのです。
 だからといって、日蓮大聖人が御遺命された広宣流布を放棄したわけではありません。
広宣流布の実現は、ひとえに一人ひとりの真剣な折伏実践にかかっていることから、今はただ、「一年に一人がひとりの折伏」を着実に実践していくことを目標に、日蓮正宗の僧俗は一致団結して、自行化他に励んでいるのです。


 万一、「国立の本門戒壇堂」が天母山に完成したとして、また万一、そこに本門戒壇の大御本尊を御遷座したとして、その施設は誰が管理するのでしょうか? やはり「国立戒壇」ですから、運営や管理は日本政府に委ねることになるのではありませんか。
 すると、その先もしも退転者が相次いで政治情勢が変わり、戦時下に国家神道を強制したような人たちが政権を担うような時代に逆もどりした場合、はたして大御本尊は、どのように扱われるようになるのか不安ではありませんか?
 浅井会長自身、国家や政治は、時代や状況が変われば、人間の都合によってコロコロ変わるのが常であると指摘しています。そういった変節した政治家や役人たちに、大聖人の御法魂である大御本尊を託すことなど、到底出来ようはずもありません。そうした意味から、むしろ将来の戒壇堂建立は、ぜったいに「国立戒壇」であってはならないとさえ言えるのです。

 

 顕正会では、彼らの前身である「妙信講」を講中解散処分に付した総本山第66世日達上人を逆恨みし、「日達は臨終に際して、バケツ2杯もの血を吐いた」などという悪口を言いふらしています。
 日達上人は、なにも「妙信講を捨てて創価学会側につかれた」わけではありません。昔の創価学会と妙信講は、ともに日蓮正宗の教義を守りながら信仰していた団体・講中でした。よって、「創価学会も妙信講も、ともに広宣流布を目指して折伏に励んでいって欲しい」。「ともに折伏においては、切磋琢磨し合いながら前進していって欲しい」と願われていたのが、日達上人のご本心であったと拝します。
 しかし、正本堂建立前後、妙信講の幹部たち(当初浅井氏たちは、正本堂建立を心から喜び、正本堂建設のための御供養まで総本山に納めていたのです)は、そうした日達上人の広く深いお心が徐々に理解できなくなり、みずからの偏った考えを押し通そうとして、ついに破和合僧の行為に至ったのです。「破和合僧」は大謗法行為です。よって日達上人は、やむかたなく妙信講を解散処分に付されたのです。
 顕正会のみなさんは、そうした経緯や事実関係を理解しないまま、日達上人に対して誹謗悪口を繰り返しているのではありませんか?

 法華経には
 「若(も)し復(また)、是の経典を受持する者を見て、其の過悪(かあく)を出ださん、若(も)しは実にもあれ若しは不実にもあれ、此の人現世に白癩(びゃくらい)の病を得(え)ん」(平成新編御書570ページ)
<現代語意訳>(もし、是の経典、末法においては本門戒壇の大御本尊を受持する人を見て、その人の悪いことを言いふらす人がいます。たとえその悪口が本当の事であっても、ウソであっても、悪口を言いふらした人は、現世において白癩病などの重大病や、頭破作七分の精神疾患などを患(わずら)い、大変に苦しむことになるでしょう)
とあります。まさに日達上人の悪口を言いふらすことは大逆謗法罪です。
 血脈法水を受けられた御法主上人への誹謗~その罪障(ざいしょう)の深さをよくよく身心に当てて深慮し、一刻も早く顕正会を脱会して、日蓮正宗の信徒として、「戒壇論」をはじめ、正しい信心、正しい日蓮大聖人の教学を、初歩から学んでいきましょう。

 

毎月の行事

 

  ● 先祖供養 お経日  

      14:00/19:00

※日程変更あり・要確認

 

第 1    日曜日 

  ● 広布唱題会      

      9:00

 

第 2    日曜日 

    ● 御報恩 お講  

            14:00

 

お講前日の土曜日  

     ●お逮夜 お講   

            19:00

http://www.myotsuuji.info