創価学会 地区部長の体験        
                    H29年5月1日付 大白法(7面)より

 東京都在住・林 裕二さん

 

 私は昨(平成27)年の8月21日、勧誡を受け41年間に及んだ創価学会生活に別れを告げ、本門戒壇の大御本尊様のもとに25年ぶりに帰ってまいりました。

 

邪教の悲しさ
 林家の宗旨はもともと日蓮宗でした。その害毒はすさまじく、子供ながらに仲が悪い家族であったことを鮮烈に覚えています。私自身も母をいじめ抜く父を憎(にく)んでいました。九州の田舎で農業と、母が始めたラーメン屋を生業(なりわい)としていましたが、酒乱の父が暴れ出して手がつけられなくなると、母は姉と私を家から連れ出して、夜中の田舎道をどこへ行くでもなく朝まで歩いて、父から逃げていました。
 結局昭和47年、両親は離婚し、母と姉、私の三人で住み慣れた家を離れ、福岡市内の六畳のアパートへ転居し、母がトラックの運転手をして私たち子供二人を養ってくれました。

 

学会を通じて入信
 そのような中、創価学会の縁により昭和50年5月に、親子三人、福岡県の霑妙寺で御授戒を受け、日蓮正宗の信徒となりました。私は13歳でした。今では見かけないミシン台の上に小さなお厨子を置いて、御本尊様を御安置申し上げての出発でした。
 そのわずか一ヶ月後の6月に父が亡くなり、母はもとのラーメン屋を再開しました。三年余り店を閉めていましたが、かつてのお客さんが戻るとともに新しいお客さんを連れてきてくれて店は大繁盛し、昭和52年には店の裏に大きな家を新築しました。中学生の私もこの御本尊様の御力に驚き、同級生に「南無妙法蓮華経はすごい」と言っていました。
 高校を卒業し創価大学に進学した私は学生部員として活動し、折伏もしましたし、初めてご登山もしました。しかし19歳のときに大学の先輩から言われたひと言に、その後35年もの間、心が晴れませんでした。それは「池田先生と自分について考えろ」です。

 

違和感を持ちつつ活動家に
 書籍を読んでも話を聞いても、他の学生のように池田の“追っかけ”にはなれず悩みに悩み、大学をやめようとさえ思ったときもありました。あの考え方こそが邪義だったとは、思いもよりませんでした。
 社会人となり、縁あって学会女子部員だった妻と結婚して子供3人にも恵まれ、夫婦で地区部長・地区婦人部長となり、自宅を会場として提供。妻は聖教新聞の配達員を長年務め、長男、次男は創価大学に進学するという、典型的な「がんばっている学会員」でした。

 

疑問は深まり
 そんな私がなぜ学会に疑問を持ったかというと、まず学会員の中に精神的な病を持つ人が多いことでした。しかも幹部は「(病んでいる会員に)『がんばって御題目を唱えよう』等と言うな」と言うのです。では、いったいこの人たちをどうやって救うのだ、という疑問でした。
 二番目に、平気で会員を傷つける心ない幹部の言動、行動です。亡くなった方の葬儀の挨拶で、「貴重な(公明党への)一票が失われました」と言い放つ。幹部に意見する人を無視するなど、並べればきりがありません。
 最大の原因は、平成26年11月の教義変更で、信仰の根本としていた本門戒壇の大御本尊様を「受持の対象としない」でした。平成28年春に、学会版の新しい勤行要典が出てからは、モヤモヤして先の見通せない暗い毎日でした。

 

本当のことを知ろう
 昨年の8月になり、日蓮正宗の方に話を聞きたいという気持ちが高まりましたが、学会ではお寺に行くことは固く禁じていましたので、何か恐ろしい場所に行こうとしているような感じがして、3週間ほど逡巡(しゅんじゅん)していました。
 意を決して8月21日、妻が30年前によく参詣していた大修寺に車を走らせました。妻には「一人で行ってきて」と冷たく送り出されました。
 お寺の駐車場の30メートルくらい手前で、突然パンクし走行不能となりました。これは間違いない、絶対に魔だ、と強く感じました。汗だくになってスペアタイヤに交換し、お寺に着いて恐る恐る玄関の戸を開けると、鼓笛隊の練習やレクリエーションを楽しんだ少年部員を見送るご住職・国島道保御尊師がいらっしゃいました。
 私は思わず「お話を聞きたい」ではなく、「お世話になりたい」と言ってしまいました。国島御尊師のお顔が何とも言えずお優しいことで安心したのかも知れません。
 お世話にはなりたいが、学会の会合の日程を見ると、妻主催の会合や、交代してくれる人を捜さないと欠席できない会合があるので、すべてが決着してから家族で脱会したいこと、すぐ学会に知れると蜂の巣を突いたようになることをご相談すると、御住職様は

 「まずあなたが勧誡を受け、家族を導かれたらどうですか? 文句を言われるのは誉れではありませんか、大聖人様も、そうされたではないですか」

とおっしゃいました。「判りました」のひと言で決定し、晴れて私は勧誡を受けることができました。
 本堂の御本尊様に御題目を唱えたとき、泣けてしようがありませんでした。「俺は今まで何をしていたんだろう。本物はこっちだ」と、心の底から思いました。

 

家族全員で信徒に
 家族をどう説得するか、いろいろ考えた末に、この感動をそのまま伝え、邪宗教となった学会は今や身延と同じで、林家を昔の自分の生家のようにしたくないとの渾身の思いで訴えたところ、翌週の8月28日に妻が勧誡、子供たちが御授戒を受け、『ニセ本尊』を払った我が家と、独り暮らしの長男のアパートに御本尊様をお迎えできました。心からの笑顔となった妻に、長男の顔つきが変わったと言うと、「何言ってるの? 一番変わったのはお父さんよ」と言われました。
 そして9月25日、支部総登山に家族で参加し、私と妻は実に25年ぶりに大感激の御開扉を受けました。本当に
 「参詣遙かに中絶せり」(御書1569)
でした。本門戒壇の大御本尊様に、まるで体にまとわりついていた何かを吹き飛ばしていただいたように爽やかになりました。その後、毎月ご登山しています。

 

確信と飽くなき行動で目標達成
 こうして法華講員となりました。(中略)私も我が家まで文句を言いに来た学会員、学生時代の同級生や後輩を折伏しましたが、言い合いになる人、話を聞かない人、泣き出す人といろいろでした。我が家は、私が10月30日に千葉に住む後輩を、御住職様のご配慮により千葉市の清涼寺で折伏して勧誡に導き、12月7日妻が地域の学会員さんを勧誡に導きました。また次男が、12月29日に親友をお寺のお餅つきに誘い、折伏して入信に導きました。12月30日、大修寺支部折伏誓願目標達成の一報に歓喜したことは、言うまでもありません。
 なぜできたのかと聞かれたならば、国島御住職様をはじめ、最後まで絶対にできると、本門戒壇の大御本尊様への確信を持って行動した諸先輩方が大勢いらしたからだと思います。

 

学会員に対する心境の変化
 次に、再入信して半年の心境の変化について話します。
 最初は、学会に対して「間違いを認めさせたい」「糾(ただ)したい」という念慮を強く持っていました。一生懸命に信仰していた母と、家内の母の晩年に『ニセ本尊』を拝ませたことが許せなかったのです
 最近は「かわいそうな人たちだ。一人ひとり助け出してあげたい」と思うようになりました。弁護するわけではありませんが、まじめな人、私のように訳が判らず悩んでいる学会員も大勢います。
 皆さん、お願いです。皆さんの近所の学会員を見捨てないでください
 来月、次男が創価大学を卒業しまし。これで創価学会とのしがらみもすべてなくなり、いよいよ誰に遠慮することなく行動を起こせると楽しみにしています。
 最後に林家の家訓には

 「他人のために唱える御題目を厭(いと)わない」

とありますが、昨年、家訓の一番目が変更になりました。

「林家は、未来永劫、日蓮正宗の信徒であり、子孫末代まで法華講員であること」

です。
 新米法華講員として、これからも御法主日如上人猊下の御指南のとおり、精一杯、がんばっていく決意です。                           以上

毎月の行事

 

  ● 先祖供養 お経日  

      14:00/19:00

※日程変更あり・要確認

 

第 1    日曜日 

  ● 広布唱題会      

      9:00

 

第 2    日曜日 

    ● 御報恩 お講  

            14:00

 

お講前日の土曜日  

     ●お逮夜 お講   

            19:00

http://www.myotsuuji.info