妙通寺信徒の声   名古屋市中村区在住  市川 和子

私の発心(ほっしん)  ②

私は三重の片田舎の農家に生まれました。祖父が浄土真宗の寺の総代を務めていた関係もあり、一家総出で神社仏閣の行事に参加しては、罪障を積み重ねる 日々を過ごして来ました。そんなことを繰り返していれば、家が栄えるはずなどありません。なんとなく家族全体が元気を失い、勢いも落ち、家族皆が苦労する ようになっていきました。
  成人した私は、名古屋にて勤務中、縁あって出会った主人と結婚し、長男を授かりました。しかし可愛い盛りの長男は、アトピー性皮膚炎が発症するなどして、私は悩むようになりました。

そんな頃、子供仲間の親であった女性から折伏され、「長男が元気に成長できるなら」と、何のためらいも無く創価学会を通して日蓮正宗に入信しました。
  入信後、「祈りとして叶はざるはなし」「冬は必ず春となる」との日蓮大聖人様の御金言を心の支えとして真剣に勤行・唱題に励み、広宣流布のため、創価学会の会合にもたびたび参加するようになりました。
  しばらくしたある祭りの日、主人をはじめ親族の人が集まってきました。そして私は、
  「市川家の長男の嫁のくせして、変な宗教をされては困る。日蓮正宗の信心を辞めない なら離婚しかない」
  「元の信仰に戻らないなら、二度と敷居はまたがせない」
 などと一斉に責められました。誰よりも愛し、頼りにしていた主人からも、
  「俺も、死んでも日蓮正宗の信心はしない」
 と言われ、私は悲しくて仕方がありませんでした。


  しかし私は、日蓮大聖人の正法によること以外に、家族の幸せはないと確信していましたので、意を決して、親類の方々に言いました。
  「今は信仰の自由が認められています。私は、家族と仲良く幸せに暮らしたい、ただそれだけのために信心しているのです。どうか、1年間、私の姿を見ていてください。お願いします」と。
  その後、なんとか信心を認めてもらおうと私は必死に信心し、家族や親類にも、いろいろと気を遣って接するようにしました。そうこうするうちに、一方では 信仰に反対していた人たちの方が、次々とトラブルを抱え込むようになり、ついに、大反対だった主人までもが、九死に一生を得るほどの大事故にあってしまっ たのです。

 

主人は「お前には仏様が味方してくださっているんだなぁ」と根負けし、ついに主人も日蓮正宗に入信してくれました。
  

その後、長女、次男にもめぐまれ、私の人生は信心と生活、仕事など、充実すぎるくらい忙しい日々を過ごしました。でも、本当に幸せでした。
  しばらくして主人の仕事の都合で、私たち一家は福山市へと転居しました。その頃からです。徐々に創価学会の信仰のあり方が、おかしくなりはじめました。 私は、学会活動を真剣に行なえば行なうほど、学会の指導に疑念を持つようになりました。「本当に、この活動が、日蓮大聖人が理想とされた広宣流布への闘い なのだろうか。」その疑念はついに学会に対する決定的な不信となり、平成3年7月、私は学会を脱会し日蓮正宗の法華講に入講しました。
  縁あって岩倉の興道寺様にお世話になり、平成7年からは、現在の所属である妙通寺様の信徒として、本門戒壇の大御本尊様と、血脈付法の御法主上人猊下様の御元に、日蓮大聖人の正しい信心をさせていただいています。
  私は今、自身と家族、親族、お世話になった方、知人・友人、みんなの本当の幸せは、南無妙法蓮華経の信心を通してこそ実現できると固く信じています。

何よりも、これまでの長年の信仰の体験を通して、この信心の正しさを確信しています。最高の「信心」という宝を、子供や孫たちにも、しっかりと受け継いでいって欲しいと、心の底から願い、毎日、真剣に、御本尊様に祈っています。


  大聖人様は
  「とてもかくても法華経を強(し)いて説き聞かすべし。信ぜん人は仏になるべし。謗(ぼう)ぜん者は毒鼓(どっく)の縁となって仏になるべきなり。何にとしても仏の種は法華経より外になきなり」(法華初心成仏抄)と教えられています。
  私はこの大聖人様の御金言を胸に、命ある限り、たった一言でもいい、折伏をし続け、一生成仏の大功徳を積み重ねていくことを、大御本尊様・大聖人様に固く、固くお誓いします。

毎月の行事

 

  ● 先祖供養 お経日  

      14:00/19:00

※日程変更あり・要確認

 

第 1    日曜日 

  ● 広布唱題会      

      9:00

 

第 2    日曜日 

    ● 御報恩 お講  

            14:00

 

お講前日の土曜日  

     ●お逮夜 お講   

            19:00

http://www.myotsuuji.info