細井日達上人は、「正本堂」を御遺命の戒壇であると断定されたのか、そうではなかったのか?
浅井昭衛氏の発言
◇「昭和40年2月16日、正本堂建設委員会において同上人(日達上人)は、正本堂が御遺命の戒壇に当る旨の説法をされた」(『富士』 昭和52年8月号 )
◇「昭和40年の御供養趣意書の当時は、まだ誑惑が顕著でなく、少なくとも管長猊下(日達上人)は一言も正本堂を御遺命の事の戒壇などとは言わず、もっぱら戒壇の大御本尊を安置し奉る建物であることだけを強調された故に御供養に参加したのだ(取意)」(『富士』 昭和61年8月号)
上記の発言は、まったく同じ時の細井日達上人のお言葉についての、浅井昭衛氏の見解です。
一方では「御遺命の戒壇に当る旨の説法をされた」といい、一方では「一言も正本堂を御遺命の事の戒壇などと言わず」という真逆の指導をしています。これでは、浅井氏の指導は、その場かぎりの、ご都合主義であると批判されても仕方ありません。
※浅井昭衛氏は令和5年10月16日、命終したとの報道がありました。