顕正会では、「顕正会を日蓮正宗から追放した、細井日達上人の臨終はひどい相だった」と言っていますが、本当ですか?

 

            総本山第66世日達上人 ご尊容

 

 

日達上人 御葬列 昭和54年7月24日 場所・総本山大石寺 鬼門前

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 顕正会では、彼らの前身である「妙信講」を講中解散処分に付した総本山第66世日達上人を逆恨みしています。そうした経緯からか、顕正会では以前より「細井日達は臨終に際して、バケツ3杯の血を吐き、苦しみながら死んだ」などという悪口を言いふらしてきました。

 

  かつて江戸時代、北山本門寺(現在、身延派所属)の僧が、「大石寺の第9世法主である日有は、板本尊を偽作した。その結果、日有は隠居した後、癩病という重大病を発症し、苦しみ、のたうち回りながら死んだ」と悪口を言いふらしたことがあります。(日有上人はご隠尊となられた後においても、有明寺を中心に多くの人を教化・折伏されており、こうした重病説がまったくのデタラメであることは明白です)

 このような日有上人に対する悪デマは、本門戒壇の大御本尊を否定しようとする謗法の悪侶に依るものです。いつの時代でも、正法を憎む人間は、正論で大石寺に対抗できないと悟ると、御法主上人を怨嫉し、あらぬことを言いふらして人心を惑わすのが常である、ということを証明しているのかもしれません。

 

 さて、昭和54年7月21日は土曜日でした。日達上人は土曜日の夕方をご家族と一緒に穏やかに過ごされており、ごく普通に夕食もとられました。その際、翌日のご自身の予定を側近の方に伝えられていたほどです。そして就寝され、その数時間後に、成住壊空の法理のもと、肉体としての寿命を全うされて、日達上人は御臨終を迎えられました。「バケツ3杯の血を吐いた」など、もっての他で、そのお姿は穏やかで御尊顔はふっくらと、頬には赤みをおびているほどでした。訃報を聞きつけ、ただちに全国各地から総本山に参集してきた僧侶や親族の方々も、その尊い御姿・御尊顔を拝して、深い悲しみのなかにも、報恩謝徳の念をもって静かに唱題させていただいたものです。

 当時、日蓮正宗とは無縁であった浅井会長らが、日達上人の臨終に接する機会など、あろうはずもなく、まさに「見てきたような…」と言われても反論できないでしょう。

 

 なお、平成30年9月に開催された顕正会の会合で、自称日達上人の遠戚・人物X(人物エックス)が『日達上人の臨終の相は、恐ろしいものだった』『数時間も心臓マッサージをして苦しんでいた』『突然の事だったので、たった一人きりの寂しい臨終だった』等と語ったようです。
 しかし日達上人の御臨終は、7月22日のまだ夜も明けぬ未明だったこともあり、その場には、日達上人夫人とご子息、そして一部の側近の方だけが立ち会われており、日達上人の遠戚はおろか、こうした発言をした人物の関係者が臨終に立ち会っていた事実は一切ありません。

 また、7月22日のご遷化後、日達上人のご遺体は一旦、大石寺大奥「対面所」に安置され、その後、22日の夕方に行われた仮通夜、23日の同じく仮通夜、そして24日の密葬まで大客殿(当時)東側に特設された祭壇に安置されていました。その3日間、日達上人の祭壇では、昼夜を分かたず絶え間なく読経・唱題が続けられ、数百名を越える僧侶や僧侶夫人、ご親戚や総本山従業員の方々、信徒代表の人々が、棺に納められた日達上人のご尊顔を拝しています。当たり前のことですが、そうした数多くの人々がお別れをさせていただくなか、「恐ろしい形相だった」などと語った者など一人もいるはずはなく、ただただその尊いお姿に皆、ご報恩の念を強くしたものです。
 今回、顕正会の会合で発言した人物エックスは、そもそもどのような立場の人間なのか? 「自分の母親が日達上人の縁戚で葬儀に参列」と言っているようですが、その母親は、どのような人物で、現在どこに暮らしているのか? 本当に実在する人物なのか?名前は何というのか?

 当時から総本山でご奉公されている日達上人の縁戚(こちらは正真正銘の御親類)の方々も、「日達上人の遠戚が、自分たち以外にいたことなど聞いたことがないし、まして、そんな素性のよく分からない人が、日達上人の病室に自由に出入りできるはずはない」

と証言されています。 

 「私が見たわけではないが、母親が、そのように言っていた」と責任を母親に転嫁して、さも、自分が見てきたように日達上人の悪口を言いふらす人物エックス。どうして、こんな酷(ひどい)いことを、日達上人ご遷化から40年もたった今頃になって、突然言いだすのか、まったく理解に苦しむところです。

 

日達上人 御密葬  密葬とはいえ数千名の僧俗が参列 (大客殿東側)

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 7月22日早朝のご遷化より24日の御密葬まで、3日間にわたって数千名の僧俗が、日達上人のご高徳を慕って登山参詣し、お焼香、お別れをさせていただきました。顕正会の会合にて発言した素性のわからない人の又聞き発言(母親が、そのように言っていた)と、数千名の僧俗の生きた証言と、どちらが正確なものかは一目瞭然といえましょう。

 

 

 ↑ 御密葬終了後、出棺に先立ち、参列の僧俗は日達上人のお尊体にお別れさせていただきました。その尊い御尊顔を拝した人は誰でも、悲しみのなかにも深いご報恩の念を懐いたものです。(中央すこし左に見える木目が、日達上人の御棺です)                      場所・大石寺大客殿 内陣中央

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  日達上人 御葬列  御尊体は六壺前玄関より大客殿前を通過し、表塔中参道へ

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           御密葬後、三門前より富士宮火葬場へご出棺

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               日達上人 ご遺骨ご帰山

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      日達上人 ご遺骨還御の法要  総本山・六壺 昭和54年7月24日

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    日達上人 本通夜   昭和54年8月6・7両日  大石寺大客殿

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 日達上人 御本葬   昭和54年8月8日   総本山正本堂東広場

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                 日達上人 御本葬

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       日達上人 御本葬   日達上人のご遺骨を乗せた輿

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毎月の行事

 

  ● 先祖供養 お経日  

      14:00/19:00

※日程変更あり・要確認

 

第 1    日曜日 

  ● 広布唱題会      

      9:00

 

第 2    日曜日 

    ● 御報恩 お講  

            14:00

 

お講前日の土曜日  

     ●お逮夜 お講   

            19:00

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