「細井日達上人の臨終はひどい相だった」と言っていますが?

 

 顕正会では、彼らの前身である「妙信講」を講中解散処分に付した総本山第66世日達上人を逆恨みしています。そして、怨嫉心から会長・浅井の長男などは「細井日達は臨終に際して、バケツ3杯の血を吐き、苦しみながら死んだ」などという悪口を言いふらしてきました。

 

  かつて江戸時代、北山本門寺(現在、身延派所属)の僧が、「大石寺の第9世法主である日有は、板本尊を偽作した。その結果、日有は隠居した後、癩病という重大病を発症し、苦しみ、のたうち回りながら死んだ」と悪口を言いふらしたことがあります。(日有上人はご隠尊となられた後においても、有明寺を中心に多くの人を教化・折伏されており、こうした重病説がまったくのデタラメであることは明白です)

 こうしたデマは、本門戒壇の大御本尊を否定しようとする謗法の悪侶によるものですが、いつの時代でも、正法を憎む人間は、正論で大石寺に対抗できないと悟ると、御法主上人を怨嫉し、あらぬことを言いふらして人心を惑わすのが常である、ということを証明しているのかもしれません。

 

 さて、昭和54年7月21日は土曜日でした。日達上人は土曜日の夕方をご家族と一緒に穏やかに過ごされており、夕食も普通にとられました。その際、翌日のご自身の予定を側近の方に伝えられていたほどです。そして就寝され、その数時間後に、成住壊空の法理のもと、肉体としての寿命を全うされて、日達上人は臨終を迎えられました。そのお姿は穏やかで御尊顔はふっくらと、頬には赤みをおびているほどでした。訃報を聞きつけ、ただちに全国各地から総本山に参集してきた僧侶や親族の方々も、その尊い御姿・御尊顔を拝して、深い悲しみのなかにも、報恩謝徳の念をもって静かに唱題させていただいたものです。

 当時、日蓮正宗とは無縁であった浅井会長らが、日達上人のご臨終に接する機会など、あろうはずもなく、まさに「見てきたような…」と言われても反論できないでしょう。

 

 なお、平成30年9月に開催された顕正会の会合で、自称日達上人の遠い親戚・人物X(人物エックス)が『日達上人の臨終の相は、恐ろしいものだった』『数時間も心臓マッサージをして苦しんでいた』等と語ったようです。
 しかし日達上人のご臨終は、7月22日のまだ夜も明けぬ未明だったこともあり、その場には、日達上人夫人とご子息、そして一部の側近の方だけが立ち会われており、日達上人の遠戚はおろか、こうした発言をした人物の関係者が臨終に立ち会っていた事実は一切ありません。
 そもそも人物エックスは、どのような立場の人間なのか? 「自分の母親が日達上人の親類で葬儀に参列」と言っているようですが、その母親は、どのような人物で、現在どこに暮らしているのか? 本当に実在する人物なのか? 

 「私が見たわけではないが、母親が、そのように言っていた」と責任を母親に転嫁して、さも、自分が見てきたように日達上人の悪口を言いふらす人物エックス。どうして、こんな酷(ひどい)いことを、日達上人ご遷化から40年もたった今頃になって、突然言いだすのか、まったく理解に苦しむところです。

毎月の行事

 

  ● 先祖供養 お経日  

      14:00/19:00

※日程変更あり・要確認

 

第 1    日曜日 

  ● 広布唱題会      

      9:00

 

第 2    日曜日 

    ● 御報恩 お講  

            14:00

 

お講前日の土曜日  

     ●お逮夜 お講   

            19:00

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